明日も晴れるかな
「ホウ統様、お茶が入りました」

「ああ、すまないねえ」

兵法書を読んでいるホウ統に、乙女は茶を差し出した。乙女は小さく頷き去ろうとしたが、何か思うところがあるのか立ち止まっている。

「……少し、話したいことがあるのですが」

彼女が与えられた仕事に関すること以外で自分から話すのは珍しいことだ。ホウ統は書から顔を上げて彼女を見る。普段と同じように何を考えているのか分からない彼女の表情はやはり何を伝えようとしているのか、ホウ統にも分からない。

昔からそうだった。飄々とした態度を崩さないホウ統だが、その態度に反して彼は人の心の動きに敏感で、誰に対しても歯に衣着せぬ物言いをする。だから、彼に問い詰められれば恐れをなして逃げていくような人間も多い。

だが彼女は違った。今よりもあの頃の彼女は自己を主張していて、とある仕事で荒れた村を歩いていたホウ統に対して、堂々と「連れて行ってほしい」と言ったのだった。

ホウ統は当然ながら受け入れようとしなかったが、あまりにも彼女が連れて行けとうるさくするものだから、ついに耐えかねて連れて帰ってしまったのだ。

その頃から、彼女の考えは読めなかった。ホウ統の特徴的な風貌を非難するわけでもないし、軍略を学びたいわけでもない。武芸に優れているわけでも、天下のために力を尽くそうとしているわけでもない。それに、あんなに駄々を捏ねていた彼女はいざホウ統に付き従うや否や人が変わったかのように大人しくなった。

最低限の家事はしているし、最低限の知識は備えている。だがそれ以上のことは何もなかった。何も分からなかった。

それは今も同じだ。だが、だからといって彼女の申し出を断る理由もない。ホウ統は彼女の話を聞くことにした。

「私、ずっと隠していたことがあります」

「隠していたこと?」

ホウ統はとぼけてそう言ったが、この女が隠し事をしていないということはないだろうとは薄々思っていた。それが自分や劉備には害をなさないだろうという気がしていたから、ホウ統は何の対処もしていなかった。ただ彼女がそれを打ち明ける時が来るまで待てば良いだけのことだと思っていたからだ。

「……信じてもらえるかは分かりませんが……私、未来が分かるのです」

「……未来が?」

眉唾ものだった。ホウ統は相手が乙女だから寸前のところで信じることが出来ているが、これが彼女でないのならば早々に話を切り上げていたところだ。

「その……あの時ホウ統様が私の村に来た時も、私は村があんなことになるというのは分かっていたんです。ホウ統様が来るということも」

「じゃあ、お前さんがあっしに自分を連れていけと言ったのも、そういう未来が見えていたということかい?」

ホウ統は聡い。未来が見えているなどという信じ難いことが真実なのだとすれば、こうして彼女がホウ統と居ることも全て彼女の想定通りということなのか。見えもしない運命に操られているような気がして、ホウ統は少し気分が悪くなった。

「いえ……私、親も兄弟も、皆死にましたから。あの日私に見えていた未来は、何事もなせずに、惨めなまま死ぬということだけです。だから、逃れられないのだとしても……縋る思いで、ホウ統様に懇願したのです。連れ出してくれるのならば、誰でもよかった」

「ひとまず、その話を信じるとして……それで、お前さん自身の未来は変わったのかい?」

「……分かりません」

分からないなら、それで良いのではないか。ホウ統には理解の出来ない領域だったが、彼女の様子を見るにやはり本当のことを話しているのだろう。未来が見えているのならば、自分や劉備が身を削って戦っていることも予め定められたものなのか。ホウ統はそう思うとやり切れない気持ちが湧き上がってくる。だがそれを彼女にぶつけた所で意味がないということ程度、ホウ統は分かっている。

自分の未来など、知りたくはない。だからホウ統は、彼女の話だけを聞こうとした。何を考えているかよく分からない彼女が真実を語ってくれただけで、ホウ統にとってはそれで十分だと思えた。

「それにしても、どうして今更打ち明ける気になったんだい? 今まで通り隠していても、あっしは何にも思わなかったけどねえ」

「……私。ホウ統様も未来も見えてしまっていて。自分の運命を変えたくて、ホウ統様に着いてきたから……もし貴方が亡くなってしまえば、その時に私も死んでもいいと思った。結局何をしても、意味がないのだから。……けど、あなたは死ななかった。……運命が、変わったんです」

「あっしの運命が?」

「……はい。[D:38610]城であなたは亡くなるはずでした。私にはそう見えていた」

未来が見えると打ち明けられた時は半信半疑だったが、ここまで来ると信じない方が有り得ないのではないかという思いがホウ統の胸の内を刺激する。

落鳳坡。鳳雛と呼ばれたホウ統にとっては、不吉なことこの上ない地である。

確かに、あの場で自分が死んでいてもおかしくはなかったと、ホウ統は戦いを思い返した。それ程壮絶なものだったからだ。

「まあ確かに、あそこであっしがしんでいてもおかしくはなかったけどねえ……」

「……ですから。私、ホウ統様に無理を言って着いてきて、本当に良かったと思ったんです。あれから……運命が変わってから、私は未来が見えなくなりました。先程、自分の未来が分からなくなったと言ったのは、こういうことです」

そう言って乙女は笑った。その笑顔は、ホウ統が見る限り少し寂しげに思えた。

「未来が見えなくなったのが不安なのかい」

「今まで見えていたものが見えなくなったのだから、不安に決まっています。けれど、ホウ統様が居てくださるなら、乗り越えられる気がするんです」

「あっしは何かをした覚えはないよ」

「そんなことありません。私にとってはホウ統様は希望の象徴です。……これからも、一緒に居て良いですか」

「……あっしの運命が許すのなら、いつまでも居ておくれよ。あっしはきっと、お前さんに救われてるんだからねえ。この命があるのは、お前さんのおかげかもしれないね」

何だかんだでホウ統も、彼女に甘いものである。自分の運命が変わったらしいことと彼女の存在がどう関係しているのかは分からないが、今更彼女を追い出すなどホウ統にとっては考えられなかったのだ。


それからも彼女はいつものように与えられた仕事をこなしているし、それに加えて家事や執務に勤しんでいる。あれから彼女は己の見た未来の話をすることは一度もなかった。まるで、未来が見えると話したあの日は幻だったように。夢だったかのように。ただ、彼女自身ははあの日から少しだけ変わった。感情表現が増え、声を出して笑うことも増えたのだ。ホウ統から見て、何を考えているのか分からないということもなくなった。その様子を見る度に、ホウ統は思った。あれは幻でも、夢でもなんでもなかったのだと。

(20240601)
mainへ
topへ