独りにしないで
好きだった人が死んだ。戦場に立つ武人として、戦いの末命を落とすことは珍しくも何ともないありふれたことなんだということは分かっている。実際、私だってそうだ。殿を務めて矢から逃げ惑うのは今までで一番恐ろしかったし、何でこんな目に遭ってまで戦ってるのかと自問自答したことは何度もあった。
それでも戦い続けているのは、劉備殿のためだ。彼のためなら命を捧げる覚悟がある。それは好きだった人も同じだ。
分かっていることだったはずだ。いつ死んでもおかしくないなんて。それでも心は沈んでいて、何で彼に思いを伝えなかったんだろうとか、私が代わりに死んでいれば良かったのにとか、色々な思いが頭のなかを巡り巡って、よく分からないままに部屋に引きこもっていた。
残っている作業にも手がつかないけど、なんだかもうそれすらもどうでもいいや、けどこんなことで皆に迷惑を掛けるというのは情けない。どうにかして気合いを入れ直さないといけない。そう思ってた時だった。
きっと落ち込んでいる私を見かねていたのだろう。馬岱殿から一緒に呑もうよとの誘いが来た。はっきりいって、今の自分は楽しめるかどうかも分からなかったけど、折角の誘いなのだから断るわけにもいかない。それに彼はいつでも明るくて、優しい。それに私があの人のことが好きで好きでどうしようもなかったのだということも知っている。私の調子が悪い理由も馬岱殿なら知っている。だから、彼に会うことを決めた。
「ほんとに好きだったんだよね、辛いよ、馬岱殿。私、どうすればいいのかなあ、これから」
自分でもこんなに泣いてしまうとは思っていなかった。初めは湿っぽい話をすることもなく、あくまでも楽しく友人とのひと時を過ごしていたはずだ。馬岱殿も私が悲しんでいることに触れずに酒を勧めてくれたし、私も普段と同じように呑んでいた。
自分がこんなに泣き上戸だってことを知らなかった。知らなかったというより、単純にここまでの酒を呑んだことがなかっただけなのかもしれない。浴びるように呑んでしまっているのだから、性格が変わってしまうくらい当たり前なのかもしれない。
「うんうん、辛いよね。そういう嫌な気持ち全部吐き出してさ、今日くらいはすっきり眠ろうよ」
馬岱殿は優しい。私は何も言っていないのに、あの日から私があまり眠れていないということも見抜いている。きっと化粧でも隠せないほどの隈が出来ているのだろう。それに今は涙で顔がべしょべしょで、余計に顔色の悪さが際立っているはずだ。悲しいはずだったけど、馬岱殿がこの場でも明るく振舞ってくれているからか紛れてきたような気がする。やっぱり馬岱殿の誘いを断らずにいて正解だったと思う。
「うーん、やっぱり悲しいよ、でも馬岱殿が居るから心は落ち着いてきた気がする、でも、それでも苦しいんだよね、私、なんにも出来てないし、やっぱり悲しいし、」
酒が回ってきたのか、私は自分でも何を言っているのかがよく分からなくなってきた。きっと顔は真っ赤になっているし、同じことを繰り返して喋り続けているように思う。それでも馬岱殿は嫌な顔せずににこにこ笑って聞いてくれている。何でこんなに優しいんだろう。そう思いながらも彼の優しさに甘えて私はぐちぐち、延々と話し続けている。私は酒はどんどん呑み進めていってしまったから、何を言ってるのか分からなくなってきただけじゃなくてなんだか頭がふわふわしてきた。そろそろ呑むのを辞めないとまずいかもしれない。
「……俺もさ、若以外のみんなが死んじゃった時は、乙女みたいに自暴自棄になったよ」
今まで明るく話していた馬岱殿が急にしんみりとした声色でそんなことを言うものだから、私の涙は一瞬にして引っ込んでしまった。心做しか酔いも覚めたような気がする。それほどまでに馬岱殿の様子がさっきまでとは変わってしまった。驚きながら彼の横顔をじっと眺めてみると、それまでにこにこしていた口角は元からそうだったように真っ直ぐになっていて、なぜだか少し、恐ろしくなった。
「乙女はさ……復讐とか、考えたりする?」
馬岱殿も酒に酔っているのだろうか。今まで聞いたことのないくらい低い声で話している。復讐なんて、私は考えたこともなかった。そんな暇もないほど悲しんでいたのだから。だから、私は「そんなこと、一度も考えたことないよ」と言った。
それを聞いた馬岱殿は悲しそうに笑う。馬岱殿と馬超殿は、二人を除く一族を喪っている。私なんかとは比べ物にはならないほどのものを背負っているのだろう。自分がちっぽけなことで泣きじゃくっていたのが情けなく感じた。
「俺もさ、乙女と同じ。若は皆を殺された悲しみも怒りも全て、復讐心として燃やして、燃やし続けて、それを戦いに活かしてる。若は強いよ。俺なんかよりも。俺はさ、あれから一人で居るのが怖くなった。……乙女はそういうの、大丈夫なのかなって思って。俺とは違って親戚の人達とかいるみたいだし、今日こんな誘いをしたのもお節介かなって思ったりしたけど、我慢できなくて」
孤独が、怖くて……嫌なんだ。振り絞るようにして声を発した馬岱殿。馬岱殿のこんな姿を見ることは初めてで、私は戸惑ってしまった。酒に酔ってるからとかそういうのは関係なく、今話したことはきっと馬岱殿が常日頃から感じている本音なのだろう。
「……ありがとう、馬岱殿。……孤独を怖く、寂しく感じるのはさ、当たり前のことだよ」
私はそう言うと、馬岱殿は小さく、「ありがとう」とだけ言った。何となく、私が死んでも馬岱殿は酷く塞ぎ込んでしまうのかな、と思った。
あの日から、情勢は随分と変わってしまった。私と馬岱殿を取り巻く状況も。
蜀はもう滅びる。こんな国に従っていても意味がない。一族を取りまとめていた私の遠縁にあたる人がそう言ったから、私も従うことになった。つまり、蜀を見限って魏に降ったのだ。
あの頃私が好きだった人を殺したのは魏軍だった。当時の私だったら魏に降るなど死んでも嫌だと思ったはずなのに、私はすっかり魏の人間になってしまった。馴染んでしまった。馬岱殿は私のことをどう思ってるのかな。考えても意味なんかないだろう。私はもう魏の人間だ。馬岱殿は蜀の裏切り者を斬ったらしいと聞く。きっと私のこともどうとも思わなくなったに違いないと思った。
むしろそう思ってくれていないと困ると思った。それなのに、戦場で出会った彼はあの日酒を酌み交わした日のように曇った表情を浮かべている。
「俺さ、君なら俺の気持ちを分かってくれるかなって思ってたんだよ」
こんなことを言われるくらいなら、かつて復讐に燃えていた馬超殿のように、怒りのままに向かってきてくれたほうが良かったと思った。それならばきっと刹那の苦しみを味わうだけで済んだはずだ。
「孤独が嫌だって、俺、君に言ったよね。若にもそんなこと言ったことなかったんだよ。君だから言ったんだよ。若が居なくなって、俺はさらに一人は嫌だなって思った。それで君も居なくなったじゃない。居るには居るけど、心は俺たちの元から離れていった」
私だって、馬岱殿を陥れたくて蜀を裏切ったわけじゃない。蜀を裏切りたくて裏切った、とも少し違う。ただ蜀には未来がないだけだ。私の好きだった人が死んだように、馬岱殿の一族が死んだように、死んでしまえば何にも残らない。私はそれが嫌だと思ったから、一族の長に従っただけだった。そう言いたかった、言いたい気持ちはあったのに、私の口はなぜか堅く閉ざされていて言うことを聞いてくれなかった。
「俺、本当に苦しいんだよ。今すぐにでも君を蜀に連れ戻したいくらいと思ってる。でもそれが簡単にできるほど、君は甘くないよね。……それとも俺たちがそうだったみたいに、君の一族皆死んじゃえば、君はもう一度俺の孤独を分かってくれるのかな……?」
馬岱殿はあの頃よりもやつれているように見える。彼をここまで追い詰めてしまったのは私なのかもしれない。彼に対する罪悪感からなのか、私はついに何も言い返すことは出来なかった。
(20240525)