赤い花弁が舞う
「乙女。あたし今から買い物に行くんだけど、あんたも一緒に来ない?」
「買い物?」
「そう。花を買いに行こうと思って。ついでにお茶でもしたいから、あんたもどうかなって。ほら、ずっとここにいたら息詰まっちゃうでしょ」
鮑三娘の言うことは確かに正しいのかもしれなかった。乙女は遥か遠い未来からやっていた少女である。鮑家の敷地内で偶然にも倒れていたところを、鮑三娘に見つけ出されそのままここに居ついている。
三國時代という乱世真っ只中。乙女にとっては縁もゆかりもない、恐ろしい時代だ。そうであるにも関わらず、鮑三娘は乙女と気が合った。そう思っているのは乙女だけかもしれなかったが、とにかくいい意味でこの時代に似つかわしくない、乙女から言わせれば「現代っ子」な彼女に拾ってもらえたのは幸運だった。
本当にこの時代の人間で間違いはないのだろうかと、乙女は鮑三娘に対して思ってしまうこともある。乙女が語る未来のことは嬉々として楽しく聞いているし、彼女は第一印象とは異なり物覚えがいい。例えば現代の若者は、中高年ならば辟易するような新語、流行語を作りそれを日常に用いて会話するが、鮑三娘はまさにその若者のような話し方と振る舞いをしているのだ。
現代では成績も中の上、いわゆる「カースト」も中の上とパッとしない毎日を送っていた乙女だったが、彼女と話していると自分がクラスの「一軍」に属しているような気さえしてくる。
こうして、「一軍」である彼女から外出の誘いを持ちかけられるのも、元の世界ではありえないようなことである。丁度屋敷の中で過ごす生活にも慣れ、暇を持て余す時間が増えてきた乙女にとって、彼女の誘いをわざわざ断る理由はない。
「うん。行こう。この屋敷のことしかこの時代のことを知らないから。楽しみ」
「じゃあ決まりってことで! 早速準備して、出かけちゃおう!」
ばたばたと部屋を出ていく鮑三娘を見送ったのち、乙女も出かけるために準備を進めた。鮑三娘くらいしかまともに話したことがないため、出かけるための準備といっても何をするべきなのかよく分からなかった。とりあえず、以前彼女が「もういらないから、良かったら着てみてよ」と言って渡してくれた衣服を着る。似合っているのかも分からないが、「この時代の人間」に擬態するには十分な気がした。
「うん、似合ってる。あたしの感覚は間違ってなかったっぽいね」
「ありがとう。あなたが居て本当に良かった」
鮑三娘がそう言うのならば、間違いではないのだろう。乙女は安堵しながら、彼女の隣を歩く。
初めて見る市場の様子はまるでドラマか映画の世界のようで、乙女は全てが夢の中のようだと思った。ここは紛れもなく現実だというのは、信じ難い。
「ほら、こっちこっち。よそ見してると危ないじゃん。あたしにちゃんと着いてきてよね」
「ご、ごめん」
「慣れてないんだから、気をつけないと」
見慣れない店や人々に気を取られる。乙女はその度に鮑三娘に窘められた。
人々が物を売り買いするのは現代と同じで、これが何百年も続いているというのは不思議なように思った。乙女はそうした意識からか度々鮑三娘から離れようとしてしまい、その度に引き戻される。対等な友達のように接していた二人だが、これではまるで親子のようだった。
そんなことをしながら二人は歩いていく。はたと鮑三娘は立ち止まると、店主と親しげに話し、花を買った。乙女はそれをただ横で見ているだけだが、やはり現代と変わらないんだな、と鮑三娘の横顔を見つめながら思う。
「じゃ、どっかお茶でも飲みに行こー」
鮑三娘は花を抱えながら、再び歩き始める。白くて綺麗な花だと乙女は感じた。名前すら知らない花だった。
「その花って、何に使うの?」
ふと気になった乙女が尋ねると、鮑三娘は威勢よく言う。
「あたしの、運命の人に今度渡すの! 関索っていう人!」
「運命の人?」
「そう、お互いに運命の人なの。あたし、関索のこと大好きなんだよね。今度あんたにも会わせたいな。誰にでも優しくて、かっこいいんだから」
恋バナというものは、それが誰の話であっても多少は心が騒ぐものだ。乙女はこの世界で初めてできた友人の恋に関する話を聞けて誇らしく思った。彼女に一歩近づけたような気がしたからだ。
鮑三娘がそれ程ぞっこんなのだから、さぞ素敵な人なのだろう。乙女が思いを馳せたその時だった。
「覚悟!」
「危ない!」
店の影から飛び出して来た男が、乙女に向かって刃物を突き出そうとしていた。瞬時に鮑三娘は乙女の体を押し、自身も刃物を交わす。
乙女はわけも分からず、尻もちを付いたまま動くことが出来ない。辺りには先程買ったばかりの花が散らばった。
「なんで乙女を狙うっていうの?」
「乙女? 俺は鮑家の三女を……」
「あーうるさいうるさい。結局あたしってことね!」
鮑三娘は物怖じすることなく男に飛びかかり、刃物を奪う。武器を奪われた男は逃げようとするが、鮑三娘はそれを許さずに男の首に奪った刃物を突き刺した。
男は何かを叫んでいるようだったが、やがて目を開いたまま倒れ絶命した。流れた血が白い花を染める。
「……あたしが関索と一緒に居るから、変なとこから恨まれちゃったのかな。あたしの服、あんたに着せてたからあんたが初めに狙われたのかも。でももう大丈夫だから!」
鮑三娘が手を差し出すが、その手も血に濡れている。
ここは乱世であって、平和な現世とは程遠い。鮑三娘も戦場に出て戦う立派な人間だ。学生生活を送っている乙女とは、程遠い人生を送っている。それを分かっていたはずなのに、いざ目の前でこれが行われたという現実を、乙女は受け入れられなかった。
鮑三娘の手を掴もうとする乙女の指は震えている。彼女は未だそれに気づいていない。
これから、どんな顔をして鮑三娘と喋ればいいのだろう。彼女の純粋無垢な笑顔が恐ろしいと思った。
(20240602)