成都の中心で愛を叫ぶ
張苞は面倒見が良い。妹が居ることに加えて、少し抜けている部分のある関興の世話を焼いたりしているから余計にそう見えるのだろう。
かく言う、乙女も面倒を見られている人間の一人なのだ、と彼女自身は思っている。
彼と同世代というだけで、乙女は特に張飛や関羽のように偉大な父親を持っている訳でも血筋が良い訳でもない。
同世代というたったそれだけの細い糸のようなもので二人は繋がっている。はっきり言って、張苞が乙女と親しくしていることで得られる利点などないのだと乙女本人は考えているのだが。それでも彼のほうから近づいてくるので、拒めないでいるのだ。
「乙女、何してんだ?」
乙女が武器の手入れをしていると、どこからともなく張苞はやってくる。何をしていると言われても、見れば分かるようなことしか乙女はしていない。大体何度目なのだろうかこのやり取りは、と乙女は心の中で悪態を突く。
「張苞殿。見ればお分かりでしょう。武器の手入れをしているのです」
張苞は乙女の言葉にめげることもなく、それどころか笑顔を浮かべて彼女の隣に座った。いつものことであるから、乙女は何も言わない。すぐに張苞から目を逸らして武器に視線を向けた。
「……まったく。もっと俺を頼ってくれてもいいんだぜ? 」
「それ、いつも言ってますけど……私、本当に大丈夫なんです。自分で出来ますから」
乙女は本当のことしか言っていない。だが張苞はそれを虚勢だと思っているのか、度々こうして世話を焼きに来る。大抵は彼女が根負けしてしまうのだが、一度は断りを入れる乙女に対して張苞は一度も退いたことがない。初めは拒まれると分かっていながらも、こうして彼女に近づいてくる。どれだけ人がいいのだろうかこの人は。乙女はやはり、呆れる。
「大体、なんでいつもそんなに私に構うのですか。……これ、何度も何度も同じこと繰り返していますけど……私に優しくしても、あなたにはきっと何の得もありませんよ」
いつもはここまで辛辣な言葉を吐くことなく張苞の意のままになってしまう乙女だったが、この日は違った。いい加減彼に対して鬱憤が溜まっていたというのもあるし、身分の違う自分が彼に気に入られることによる周りからの嫉妬も耐え難いと感じていたからだ。ただでさえ女だからというだけで侮られる。星彩のように生まれと武芸に説得力があれば良いのだが、生憎乙女にそのようなものはない。
張苞は少しだけ怯んだようだったが、すぐに笑顔を取り戻す。そして僅かにその笑顔を潜めて、やけに真剣そうな表情に切り替えた。
流石に怒らせてしまうのだろうか。乙女は思わず身構えたが、彼が言おうとしているのはそんな事ではなかった。
「…………俺……俺さ……」
張苞は当たりを見渡す。鍛錬に勤しんでいるものや書簡を運んでいる者など、多くの人がこの地を行き交っている。それを見て少し躊躇したのか語気は弱い。
「…………」
乙女は何やら嫌な予感がした。彼からはきっと、怒りが降ってくるのではない。もっと別の方向で、乙女を困惑させるような。そんな言葉が発されそうな気がした。
その予感は、外れることなく的中する。
「……お前のことが好きだ! 好きなんだ!」
その場に居た人間全員が、いや、草木や花さえも振り返ったのではなかろうか。とにかく、それくらい大きな声で張苞は叫ぶ。
間近でその声を受けた乙女は思わず叫び返していた。
「あんた……何言ってんのよ!! 皆、見てるじゃない、」
乙女は口を噤んだ。それは周りの視線が痛かったからではない。
張苞に向かって、砕けた口調で言い返してしまったからだった。乙女と張苞は、身分が全くもって異なる。それなのに、身内の中でしか使わないような言葉遣いをしてしまった。
反射的に謝りそうになる乙女だったが、それよりも先に張苞は口を開いた。
「そう、お前のその言葉が聞きたかった! 対等に話したかったんだ。仲間なんだからさ。どうやったらお前と対等に話せるのかってずっと悩んでた。初めから素直に言っていれば良かったんだ」
「え、ええっと……それじゃあ、好きっていうのは」
突然の告白。しかも風情も何もあったようなものではない。それだけでも乙女にとっては恥ずかしいことこの上ないが、対等に話したかったというからには友人として好きということなのか。乙女は自分が取り乱したことを後悔した。少なからず恋愛的な意味があると認識していたからこそ、ああいう物言いをしてしまったからだ。
「いや、それも違うのか……俺はお前のこと、本当に好きだ! 好きだからこそ、お前に何度もあしらわれても何とも思わなかったし……とにかく、同じように話したいんだ。だから、さっきみたいに言ってくれて……嬉しかったんだ。お前は俺の事、本当に好きじゃないのかもしれないけど、俺は……好きなんだからな!」
……やっぱり恥ずかしい、この男は!
乙女は相変わらず大声で話す張苞に呆れ返ったが、彼の言いたいことは分からないこともない。それどころか、彼に対して申し訳ないことをしていたのかという錯覚までしてきた。してきたというだけで、彼女は特に今までの行いを反省しているというつもりでもない。ただ身分相応に慎ましく生きてきた……つもりだ。今までは。
それにしても、罵倒されても嬉しいものなのか。恋は盲目とは正にこの事なのだろうと乙女は思う。
「……張苞殿。私、別にあなたのことが嫌いだからあなたにそっけなくしているんじゃありませんよ。ただ私は家柄もよくありませんから……あなたと対等に話すわけには」
「そんなこと関係ねえから! な? それよりも良かった、お前に嫌われてなくて……早速お前を親父に紹介したいんだ、行こうぜ!」
「ちょ、ちょっと!」
……またやってしまった。
乙女はそう思ったが、やはり謝る暇もなく張苞に腕を引っ張られる。同世代とはいえ女と男の力の差は大きく、乙女は彼の思うがままがままに走り出していく。
張飛殿に会ったら私、何を言われるんだろう。まさか、早速結婚の準備とか言われないよね。
そんな危惧を抱きながらも、乙女はどこかで心が逸っていることを自覚していた。それはきっと、張苞のことを好いているからだ。認めたいような認めたくないような、釈然としない気持ちが乙女の中で渦巻いているのだった。
(20240531)