ブロンズが割れる
奇妙な妖術師が居る。そんな噂が軍中に、いや国中に広がっている……と言っても過言ではない。

面妖な道具を使って敵陣を翻弄し、勝利をかっさらう。その姿は噂によると年端のいかない少女とも、老いた淑女とも、はたまた筋骨隆々とした大男とも言われる。とにかく、その脅威から曹操の飼い狐と言われ恐れられていた。

「今や乙女殿の名は広く知れ渡っているようだが……」

徐晃は乙女の方を見てそう言った。徐晃からすれば、このような少女が妖術師として恐れられているということなど、到底信じられない。噂というものはいい加減で、彼女はただの少女だった。老婆でも大男でもなんでもない。

だが、彼女は漢服ではない見慣れない服を着て、さらに見慣れない板のようなものを持っている。確かに、妖術と呼ばれるのにも無理はないのだろう。

「まあ、変な格好して変な道具を使って陣中にいれば、自然と噂は広がるでしょう」

年齢の割に肝が座っている。屈強な男に囲まれても、危険渦巻く戦場にいても、物怖じしない。彼女が少女とはいえ得体の知れない存在であることは、徐晃も理解していた。

「……無理はしないでくだされ」

それでも徐晃からすれば、どう見ても庇護すべきか弱い存在のように思える。軍の中でも特に実力を持つ徐晃の傍に居れば安全だからという理由で乙女はいつも彼の行軍に着いていくのだが、徐晃からすれば気が気でない。

戦がない時、彼女は徐晃の屋敷で暮らしている。徐晃からすれば、屋敷に居てくれる方がありがたいのだが、彼女は徐晃と共に居たいのだと言って聞かなかった。

彼女が言うには、徐晃は信用出来ても徐晃の屋敷に居る人を信用出来るとは限らないらしい。どうやら相当彼に懐いているようだった。その理屈は、徐晃にとって理解できないわけではなかった。徐晃も、誰だか分からない人間に乙女を任せるよりは自分のほうが守ってやれるという自信はあった。それほどまでには乙女に対し情が生まれていたのだ。

今回の戦は落ち着きを見せている。講和が成立すればこれ以上の被害はお互いに出ない。だが平和というものは儚いものである。軍の中には戦は終わったと安心しきっている者も居たが、まだそう判断するには不十分だ。

「徐晃様が居れば安心ですよ」

そう言って笑う乙女には、まるで危機感がない。いくら自分が守るとはいえ、戦場では何が起こるか分からないというのに。徐晃はそう思ってしまう。彼は複雑な気持ちが収まらないままだった。


乙女は徐晃たちには想像もつかない、遥か未来からやってきた少女だった。

初めは敵国の内通者であるなど疑われもしたが、曹操の取り計らいによりその場は丸く収まった。彼女が未来から来たということも、一応は限られた者しか知らないことになっている。

彼女のことをよく思わないものも居たが、何よりも彼女が彼らに受け入れられた理由としては、未来から持ってきていた道具を彼らのために使ったことだろう。

乙女は説明が面倒だとしたので、徐晃は勿論のこと、曹操も詳細は知らない。が、彼女は盗聴器を埋伏の毒として敵国に忍び込んだ人間に持たせるといった諜報活動に特化していたため、その能力が評価され正当に居場所が与えられたのだった。

能力が評価されるということは喜ばしいことに違いない。徐晃も乙女が軍の中で虐げられずに受け入れられるということには安心しているのだが、彼女の存在が受け入れられれば受け入れられるほど、同時に不安が募っていくのだった。

噂というものは、発信者が思う以上に誇張され、広がってしまうものである。乙女の名前や能力が知れ渡るほど、彼女の身に危機が訪れてしまうのではないか。

そう徐晃は危惧し続けていた。妖術師などと呼ばれて持て囃されてはいるが、その細腕では何かあった時に抵抗など出来ないだろうと心配しているのだ。


徐晃は乙女を見つめた。だが彼女は余裕綽々と言った様子で微笑むのみだ。

「そろそろ天幕に戻りますね。徐晃様も、お休みなさってください」

そう言って乙女は足早に徐晃の元を去った。彼女は相変わらず、彼女しか知らない道具を手に持っている。一人で無茶をしないことを祈りつつ、徐晃も休む準備に取り掛かった。



その夜のことである。物見櫓の伝令すら、油断しうとうとする程までに、皆が油断していた。講和がまとまろうとしている頃だったから、それも無理はない。だが、敵から言わせれば、そんなもの騙される方が悪いに決まっている、と喜びたくなるだろう。敵にとっては、自分の有利な状況を作り出せるのならばこちらの状態などどうなってもよいのだ。

「敵襲、敵襲ー!!」

敵軍の兵士が夜襲を仕掛けて来たのだった。武装を解いていた者も多く、右往左往する人間が陣地を覆う。

そんな中、徐晃は飛び上がるようにして目覚めた。鎧は脱いでいないし、武器は枕のそばに置いている。ただ、乙女のことが気がかりだった。だが、天幕を出ると味方と敵が入り交じっており、とてもじゃないが探しにいけるようなものではない。完全に敵の方が上手だ。徐晃はそう思いながら武器を構える。乙女の無事と、無理をして敵に対峙していないことを祈りながら、徐晃は襲いかかってくる敵をなぎ倒した。

「乙女殿! 乙女殿はおらぬか!!」

徐晃は牙断を振り敵を打ち倒しながら、乙女の名前を叫び続ける。だが声が返ってくる気配はなかった。夜襲によって乙女と分断されるのは初めてのことだった。徐晃は敵襲を受けたことではなく、乙女の安否を確認出来ないことに冷や汗が流れているのを感じた。

「乙女殿……」

敵に囲まれている状態ではどう突破するかしか考えようがないが、周りの敵を蹴散らしたことで、徐晃には余裕が生まれた。その余裕も乙女のことを思えば消し飛んでしまう。

「こんな所で立ち止まってはおれぬ」

徐晃はそう思い足早に乙女の天幕へ向かった。敵の勢いは落ち着いてきたが、それでもまだ混乱は収まっていない。女性が戦場で捕まってしまったその先が分からないほど徐晃は無知ではない。彼女の無事を祈りながら、駆けた。

どの天幕に彼女が居るのか、徐晃には見当もつかない。が、兵士の一人が運良く場所を教えてくれたおかげで、無事に辿り着くことが出来た。彼女が中に居ることを願いながら、急いで天幕に向かう。

「……!?」

天幕はもぬけの殻だった。徐晃は、自分の血の気が引くのを感じた。だが、備品が荒らされた形跡は一切ない。彼女が連れ去られたならば、もう少し散らかっていてもいいはずだ。しかし、彼女が肌身離さず持っていた道具は見当たらない。自分でこの場を抜け出してしまったのだろうか。

「これは……」

残されていたのは彼女のものらしき銅鏡だけだった。自分の持ち物を大事にする彼女が、このように一つだけ持ち物を置いている光景を徐晃は見たことがなかった。きっと彼女にとっては大切なものに違いない。そう思って彼は銅鏡を抱えて、天幕を出た。早く乙女に会って渡さねばならない。徐晃の不安は大きくなるばかりだった。


敵襲により狼狽した軍内は次第に落ち着きを取り戻し始めている。夜明けが訪れたこともあって、敵軍の中には降伏の意思を示している将も居るらしい。起死回生の手段だった奇襲が通じなくなったため、戦う理由をなくしてしまったのかもしれない。

戦後処理の準備を忙しなく行っている人間も多い。未だ姿を見せない乙女のことが気がかりで、徐晃は再び自分の天幕へと戻った。

「これ程までに、拙者は乙女殿のことを思っていたのだな」

そう徐晃が思うのも無理はないほどに、彼の頭は乙女のことで埋め尽くされていた。ひょんなことから出会った彼女が、得体のしれない存在であることに変わりはない。だが、傍に居て欲しいと強く願うほどまでに、徐晃は彼女のことを好いているという自覚があった。

このまま乙女の姿が分からないままだったら、敵に捕らえられていることが分かったら……徐晃はそう思うだけで身震いする。武に関しては自信があるが、自分の武だけではどうにもならない戦いもある。その最もたる例がこれだ。

そんなことを考えていた矢先である。
徐晃が抱えていた銅鏡がひとりでに動き出し、光を放った。

「……な!?……これは……」

強烈な光に耐えきれず、徐晃は腕で目を覆う。光が大きくなり天幕全体を包むのではないかというほど眩しいものだった。

「徐晃様……?」

光が消え、現れたのは乙女だった。彼女は銅鏡を手に持っている。光を放っていたほうの銅鏡も動きを止め、乙女の手元に収まる。彼女は心底驚いたように目を丸くした。

「乙女殿!!……よくぞ無事で……」

徐晃は思わず乙女に抱きつきたくなる衝動に駆られたが、耐えた。光から彼女が現れたことに対する混乱はあるが、とにかく再会出来たということが徐晃にとっては重要だった。

感慨深い気持ちに包まれ我を忘れそうになったが、徐晃は慌てて本題に入ろうとする。

「乙女殿……貴公は一体……」

乙女は妖術師と言われているものの、正体の分からない不可思議な道具を使っているからそう呼ばれているのであり、幻術を使用している使用しているわけではない。だが今の光景は本当に妖術の類のようだった。

「……隠していたことを、全てお話しましょう。徐晃様になら、大丈夫ですから。私は勿論、妖術師でも何でもありません。ただ、元いた世界でこの銅鏡を手に入れたことが、この地に私がやってきたきっかけでした」

戦場は落ち着きを取り戻している。辺りは静寂に包まれていた。彼女の透き通るような声が良く響く。

「この銅鏡は、たまたま訪れた骨董品店で譲ってもらったものです。鏡を見ると、そこに写っていたのは自分の顔ではなく、見慣れない景色でした」

彼女の言う見慣れない景色がどこなのかは、徐晃にも容易に予想がつく。銅鏡に不思議な力があるということは、つい先程知ったばかりだ。

「そして、気づけば私はこの地に……そこには私が持っていたものと同じ銅鏡がありました。そしてその銅鏡には、私の知る世界が写っていました。つまり、この銅鏡があれば、私はこの世界と元いた世界を行き来することが出来るのです」

乙女は語った。それは徐晃だけでなく、彼女を初めに保護し、守った曹操でさえも知らないことだった。

「……貴公は、元の世界には帰りたいとは思わないのだろうか。その銅鏡があれば、簡単に帰れるのだろう。実際、貴公は昨晩から姿が見えなかった。それはその銅鏡を使っていたからではないのか」

あまりにも淡々と話す乙女に、徐晃は違和感を覚えた。それに、彼女が元の世界に戻っていたことは明らかだ。わざわざ死地に赴かずとも、慣れているであろう元の世界に留まったままの方が、彼女にとっては平穏に過ごすことが出来るのではないだろうか。徐晃はそう思う。

「元の世界に居ても、私に居場所はありませんから。昨晩の私は敵に一矢報いるために使えるものがないかと銅鏡を使って戻っていました。この世界で誰かの役に立つことが出来るならば、私は世界を行き来して道具と知識を集めることも、そしてこの世界で死ぬことも、どうでも良いのです」

「乙女殿!!」

徐晃は、何か乙女にかける言葉を思いつくよりも先に、自分の体が動いたのを自覚した。乙女の体を引き寄せ、自分の腕の中にすっぽりと包み込むようにして、抱きしめる。乙女は銅鏡や荷物を持ったままで身動きが取れない状態だったが、抵抗はしなかった。

「……御身にとっては、拙者の存在すら些細なことであるかもしれぬ。だが……拙者は御身の姿が見えないだけで、気が動転し我を失いかけた。拙者にとっては、御身が存在しているだけで心の支えになる。だから……」

拙者の傍に居て欲しい。徐晃のそんな言葉に対して、なんでもない事のように話していた乙女の体は、僅かに震えていた。

「……ああ、私……」

生きていていいんだ。乙女の本音を、徐晃は初めて聞けたような気がした。





妖術師の噂は次第に消え、もはやその正体を探ろうとする者も居なくなった。ただ、徐晃が嫁を娶った頃と妖術師の噂が消えた時期が一致しているとまことしやかに囁かれていたという。


「あの銅鏡は、今の私には意味がありませんから」

銅鏡は、乙女自身が割った。元の世界から持ち込んだものは、全て火の中に消えた。彼女は、完全にこの世界で生きることを選んだのだった。

「徐晃様は、私に生きる意味を与えてくださった。もう、戻る必要はありません」

元の世界に帰る手段を失くしたことを心配した徐晃に対して、乙女はそう呟いたものだった。

銅鏡の破片はもう、光を反射するだけで元の世界とこの世界を繋ぐという役割を終えた。

それでも、そう呟く彼女の顔は美しく晴れやかであったと、徐晃は胸に刻み続けるのだった。

(20240113)
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