見果てぬ夢
乙女が、兵を引き連れて反乱を起こした。それは緻密な計画があったといえる物ではなく、忽ち鎮圧される。

彼女の主である、司馬昭が赴く必要すらなかったのではというくらい、呆気なくその反乱は終わった。彼女は首謀者として牢獄に居る。再び司馬昭の元に帰ろうとする意思はないようで、既に死を受け入れているらしい。刑が執行されるまで残り数日の時間しか彼女には残されていないが、彼女は反乱を起こした理由を語らなかった。

司馬昭にならば話すかもしれない。そういった声が上がり、彼は乙女の元に向かっていた。

彼にすら、何故彼女が離反したのか、その理由を読むことは出来ないままだ。

彼女は良く働いていたし、誰に対しても忠実、恐ろしい程に従順だった。だから司馬昭は、彼女の働きに報いて褒美を与えようとした。何度も、何度も。

だが彼女は全てを固辞した。どこまでも慎ましく、謙虚であった。そして司馬昭に言うのだ。「私の本当に欲しいものは手に入らない」と。金も名誉も、彼女ならば自分の手で手に入れる事が出来るはずだ。女の身であるとはいえ、将来の夫すら自分の意思で選べるような人間だ。司馬昭は、彼女が一体何を求めているのか分からなかった。

だから、今の彼女に会ったとしても大した答えは得られないと司馬昭は思った。

面倒だ。彼の口癖は、こんな時であっても自然に漏れ出る。彼女の才は失くすには惜しいものだ。だが、所詮才ある人間の内の、ただの一人でしかない。

説得も、彼にとっては面倒事の内に入るのだ。だから彼女を引き留めるつもりもない。彼女が死を覚悟している以上、誰が行っても同じではないか。そんな考えが浮かぶのは、重用した部下への情が無いなどと謗られるだろうか。司馬昭は自分を気にかける王元姫の顔を思い浮かべた。

「ああ、来てくださったのですね」

牢の中で笑う乙女は、自分が虜囚であるなど微塵も思っていないかのように司馬昭に笑顔を見せる。

囚われの姫様を助けに来たわけじゃねえんだぞ、俺は。司馬昭はそう叫びたくなるのを堪えた。何故こうも能天気で居られるのだろうか、この女は。

「お前は、なんで俺を裏切ったんだ」

へらへらと笑う乙女とは対照的に、司馬昭は険しい表情を浮かべていた。

「だって、私が本当に欲しいものを手に入れるには、こうするしかありませんでしたから」

「じゃあ、お前の欲しいものって何なんだよ。俺はお前に何でも与えようとした、それなのにお前は……」

「あなたの首を手に入れるには、こうするしかないでしょう」

一瞬にして、場が凍りついたようだった。乙女は司馬昭を睨む。司馬昭もまた、背筋が粟立つのを感じながら、彼女の瞳を見下ろした。

「それにしては、随分と稚拙な策で、兵の統率も取れていない」

彼女が率いたにしては穴の多い陣形で、兵の士気も高いとは言えないものだった。本気で司馬昭を弑することを目的としているのならば、もっと策を練るはずだ。何かがおかしいのだ。彼女の行動は。

「まあ、あなたの首を取れると本気で思っているほど、私は思い上がってはいませんよ。もっと単純に、あなたが欲しかったから……これだけでは理由になりませんか?」

求めているものは手に入らないものなのだと彼女は言った。それは自分のことだったのかと司馬昭は初めて知る。彼女が司馬昭に対して従順で何を任せても全てを実行したこと、浮いた話が一切噂されなかったことなど、全ての欠片が繋がったようだった。

ぞっとした。そんな勝手な理由で反旗を翻すなど。司馬昭に恐れが湧き上がると共に、苛立ちが襲った。

「お前の言ってること、悪いが全く分からねえな。そんな理由で兵を動かした? それに俺が欲しかろうとなんだろうと、お前が敗北しているのなら意味はないだろう。全て無駄だ、お前の企みは」

「怒った顔も大好きですよ、司馬昭殿」

牢という壁を隔てているからなのか、乙女は挑発的な態度を崩さなかった。余裕綽々、その態度に反吐が出そうだ。司馬昭は辟易しそうになる。

「お前が首を刎ねられたならば、俺のこの顔も見れなくなるぞ」

「良いんですよ。私が一生を懸けてもあなたを手に入れる事なんて出来ませんから。それならば私は死を選びます。あなたが幸せを貪っている所を指を加えて呑気に見ているなんて、もう耐えられない。だから、わざとですよ。乱を起こしたにしてはお粗末なものだったでしょう?」

それは、いびつな愛だった。こんな人間を部下として重んじていたのが、今の司馬昭には信じられなかった。傍に置くには危険すぎる。今まで彼女が尽くしてくれたこと、些細な思い出が黒く塗り替えられて行く。

やはり、生かしておくべきではない。可能ならば今すぐにでも。

「今ここで私を殺して下さっても構わないのですよ。そうすればあなたは私を忘れないでしょう」

司馬昭の心の内を読んだかのように、乙女はさらに彼を煽った。

「精々、自分の選択を悔やめば良い。俺はお前のことなんて、直ぐに忘れるだろうさ」

それは半分真実で、半分は虚実だった。諸葛誕も鍾会も、乱を起こした叛徒であり、司馬昭は彼らを忘れた訳ではない。

だが乱を起こした多くの人間の内の一人だというだけで、彼らを討ったことを後悔することも、感慨に浸る事もない。

今まで殺した虫の数など覚えていないのと同じだ。司馬昭は既に、殺した人間一人一人に肩入れする程の気概など残していない。それらを全て呑み込んで、未来へと歩もうとしているのだから。

乙女のことすら、そういった有象無象にしか過ぎないのだ。

哀れなものだ、と司馬昭は乙女を見て感じた。自分が彼女のことを忘れないなど、烏滸がましい希望を抱いているなど。

司馬昭はこれ以上何も言わず、彼女に背を向け去ろうとした。

「あなたのそのお顔が見れて嬉しかったですよ。今夜はいい夢を見て眠れそうです」

乙女の言葉に返答せず、司馬昭は彼女の前から姿を消した。あの場に居れば、頭がおかしくなりそうだった。

早くあの女が処される日が来ないものかと思いながら、司馬昭は足早に歩みを進める。何故かは分からないが、無性に王元姫に会いたくなった。

(20240408)
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