初めから分かっていても
王元姫が、結婚した。相手は当たり前というべきか、もはやそれ以外には有り得ないだろうと誰もが認める男、司馬昭である。
乙女もそれは納得している。王元姫は司馬昭のお目付け役とはいえども何だかんだで仲睦まじかったし、王元姫は優秀な女性である。これからの世を司馬昭と共に支えるにしてはうってつけの人間である。
分かっている。分かっているのだが、彼女が結婚してからというものの、乙女は何事も手につかぬ日々を送っていた。
今も書きかけの書簡と乾いた筆が辺りに散乱しているし、当の乙女本人は一人で酒を飲んでいる。それも昼からだ。
正気の沙汰とは思えない。まさかあの乙女様が。屋敷のものはそう口々に彼女のことを揶揄、或いは心配している。
乙女は王元姫の副官だった。彼女の結婚と乙女自身の功績からさらなる地位が与えられることを約束されている、優秀な人間だったはずだ。それがなぜこのようになったのだと、人々は噂する。
一説には、司馬昭の結婚が気に食わなかったのだと言った者がいた。密かに思いを寄せていたが、今までは結婚していなかったから、想うだけなら自由だ。それがついに出来なくなってしまったから、乙女はそれまで溜まっていたものが爆発してこうなったのだと。
的外れだと乙女は思った。司馬昭に恋慕しているなど、冗談ではない。
乙女が思いを寄せていたのは王元姫のほうだ。初めから叶わぬと分かっていたから、余計に悲しくて、やるせなくて、酒を飲んで己の本当の気持ちを紛らわせるしかないのだ。
「酒ばかり飲んでいれば仕事にも支障が出るし、あなたの健康にも関わるでしょう? あなたらしくない」
そんな中である日、乙女が荒れているという話を聞いたのか、王元姫が直々に彼女の元にやってきたのだった。
相変わらず乙女は酒を飲んでいるし、執務は必要最低限を遅刻寸前ともいえる遅さでしか進んでいない。
「だって、好きだった人が自分じゃない人と結ばれたのが、悲しくて、悔しくて……本当ならば喜ばないといけないのに、素直に喜べない、そんな自分も嫌なんです」
ぐすぐすと音を立てて泣く乙女の様子を見るのは初めてだった。王元姫の知る限り、乙女が誰かに懸想していたという話は聞いたことがない。それに、直近で自分たちの他に結婚したという話も聞いたことがなかった。
「その好きな人っていうのは、」
「言わないでください。これは、私が、私の力で解決しないといけないんです。王元姫殿の手を煩わせることはしたくないんです。だって、私のことを納得させられるのは、きっと私だけだから。それでも、辛いものは辛いから、こうして自堕落な毎日を送ってしまうんです」
聡い王元姫ならば、察してしまうだろうと乙女は思った。そうであってもどうしようもないのだから、別に構わなかった。
「……私も女ではなく、男に生まれたならば、もっと世のために尽くすことが出来たのだと言われたことがあった。……きっとあなたも同じようなものを抱えているのね」
王元姫はどこまでも優しい人だと乙女は思った。だからこそこうして惹かれているのだ。
王元姫が女であってもここまで登りつめてきたのは、幾多の時と努力が必要だった。
乙女がどれだけ努力しても、彼女が王元姫と結ばれるなどとは有り得ないことだ。それでも、王元姫は自分に寄り添ってくれているのだということははっきりと分かった。
いずれ、時間が解決してくれるのだろうか。王元姫が世間に認められたように、乙女も王元姫のことを受け入れることが出来るのだろうか。
受け入れなければいけないと思った。ただの副官である自分のために時間を割いてくれる、彼女のために。彼女のことを真に受け入れたそのとき、向ける感情が恋ではなく親愛になっていますように。そう願わざるを得ないと思った。
(20240506)