素直になりなよ
「鍾会殿。また変な書簡を寄越したでしょう」
「書簡? 一体何のことやら。私があなたに私信を送るなど、そもそもする必要がないでしょう」
乙女は、鍾会がこうしてしらを切ることぐらい、簡単に予想している。だが今日こそ彼から問いたださねばならない。乙女宛に来る謎の書簡について。
「私のお父様に付け入ってあんな便りを送ってきたのだと思っていたけど、あなたが私の父を騙っているのだわ。あなたは人の筆跡を真似るのがお得意だから」
乙女の元に送られる書簡。それは以前から何通も届き、彼女を悩ませていた。
全て、乙女の父親から来たとされている。彼女に届けた部下は皆そう言っているし、実際、署名は父の名前だ。だが内容が総じておかしい。離れた場所に住む娘を心配するのは当然であるし文の一つや二つは当たり前だが、回を経るごとにある人物への言及が増えたのである。
鍾会を頼れ、鍾会は素晴らしい人間などと。明らかに怪しい内容が増えてきたのである。なぜそんなことを父が書くのか。意味が分からないのである。不審に思い父親に乙女のほうから連絡を入れると、そんな文を送っていないというから、やはり鍾会の仕業としか考えられないのである。
鍾会はとんでもなく字が上手いし、どういう訳か人の筆跡を真似るのも得意だと聞いた事がある。その為乙女は鍾会を訪ねているのだが、彼は一向に認めようとしない。
「ふうん。あんな便りとは、一体何が書いてあったと言うのですか」
「鍾会殿を頼れとか、お前が結婚するならば鍾会殿のような人が良いとか……どういう意図があるのかしら」
きっと鍾会は、自分と結婚したいのだろう。事実を認めない鍾会を見つめながら彼女は思った。乙女は遠縁とはいえ司馬家の血を引く家系にある。力を伸ばす司馬家の娘を娶れば、鍾会はこの世で有利な立場になりやすいとでも思っているのだろう。立場の低い彼女ならば、有無を言わさず婚姻に漕ぎ着けることが出来るのだと思っているのだ。
政略結婚を受け入れないと思っているわけではないが、それならば素直に正攻法で向かってくれば良いのに、と乙女は考えるものだ。自分はこうして彼の元まで自分の足で来ているというのに。
「あなたの父君がそう思っているからそう記しただけでは」
なかなか化けの皮を剥がさない鍾会に歯がゆさを感じる乙女。自分だけ本気になって怒るのは不平等だ。どうにかして鍾会の口から反省を聞き出したいというのに。だがもっと率直に言わないと、この男には響かないのだ。
「……鍾会殿。あなたの思惑は分かってるわ。お父様という私にとって近しい人間から、あなたの良さを説かれたならば、私はあなたに靡くと思ってこんなことをしているのでしょう」
鍾会はむっとして乙女を見た。図星だったのだろうか、不愉快そうにして眉間に皺まで寄せている。
「そうだとしても、あなたは今自分の意思でここに居る。私と居るのが満更ではないとご自分でお思いになっているから、わざわざ足を運んでやって来たのでは」
ああ言えばこういう。ここまでしてつらつらと言い訳出来るのならば、初めから正直に言えば済むことだというのに。乙女は呆れた。何故こうも頑なな態度を貫くというのか。
「言いたいことがあるのならば、私のように直接言えば終わることでしょう。私は末席とはいえ司馬家に名を連ねる身。あなたは私ではなく、司馬の力が欲しいだけ」
「それは違う!……はっ」
大声を出して否定する鍾会の姿に、乙女は怯んだがそれも束の間。一連のやり取りを否定するということは、あの書簡に関わっていることを自分から仄めかしているのと同義だ。
この勝負、勝った。乙女は心の中でほくそ笑んだ。
だが乙女の予想に反して、鍾会は彼女の言葉を否定する。では一体何のためにあのようなことをしたのか。
ふと彼の様子を見ていると、みるみるうちに顔が赤くなっているではないか。彼は気恥しそうに頬を押さえた。
「……あなたとの接点はほとんど存在しない。あなたに少しでもお近づきになれるのならと……いや、私はまだあなたがこの私の妻に相応しいなどと思ったつもりはない!…………失礼する!」
小声、早口でごにょごにょと呟きながら、くるっと体を反転させ、彼は足早に去っていった。
政略ありきで近づこうとしたのではなく、単純に乙女のことが気になるが、自分から話しかける度胸は持ち合わせていなかったということか。
それならば、回りくどい事をせずに、やっぱり直接会いに来れば良かったのに。そうすれば気持ちよく彼の相手を出来るというものだ。乙女は珍しく取り乱した彼の姿を思って、笑った。
妻に相応しいなどと思ったつもりはない、か。乙女は、彼が去り際に言った言葉を反芻して、やはり吹き出しそうになる。彼のことを可愛らしく思ったのはこれが初めてだった。
素直になれば良いのに。乙女はこの部屋に入った時とは反して、上機嫌に部屋を出た。
(20240406)