距離は如何程
乙女は唸った。なぜ重要な書簡があんな高所に置かれているのだ。背を伸ばしても、腕をうんと高く上げても、飛び上がっても届かない。
乙女は背が低い。戦場に立つ立派な将という地位を得ているものの、その外見からは必要以上に子供扱いされがちだった。
子供がこんな戦場で出しゃばるなと、敵だけでなく味方にまで罵られたこともある。そのような人間にこの場を見られてしまったら、さらに馬鹿にされるに違いない。乙女は誰も通りかからないことを祈りながら必死に格闘していた。
「この書簡を取りたかったのですか?」
乙女に大きな影を作った男が、ひょいと彼女の望んでいた書簡を手に取る。
「文鴦殿……ごめんなさい」
「いいえ…私は背が高いから、遠慮などいりません。むしろ私のことをもっと使ってほしいくらいです」
「そんな、恐れ多いこと出来ませんよ」
乙女は文鴦から、目当ての書簡を受け取る。彼女から見た文鴦は随分と背が高く、ずっと彼の顔を見ているのは肩が凝ってしまいそうなぐらいだ。
「何も恐れ多くなどありませんよ」
乙女は文鴦の副官であるのだから、上官をつまらないことで使うなど以ての外だと思った。
「まあ、矜恃があるんですよ。私にも」
そう言って乙女は卓上に書簡を広げる。見た目で侮られるのは気に入らない。それにこのようなことで文鴦に指示してしまうのは、乙女だけでなく文鴦の顔にも泥を塗ってしまうようなものだ。
「……昔は、今とは違って素直に良く私を頼っていたというのに」
「文鴦殿」
咎めるような乙女の声を、文鴦は首を振って否定する。
「ほら、今も素直じゃないだろう。他に誰も居ないのだから、気にすることもない」
文鴦に促されて、乙女は、渋々と言った様子で口を開いた。
「んー……、だって、私が次騫に勝ってるところなんてないから。次騫を頼ったら、私何にもなくなっちゃうよ。今だって色んな人に馬鹿にされるし、次騫も何か言われちゃうかもしれない。私に構ってばかりいたら」
「私は乙女と居られるのならば誰に何を思われたとしても気にしない」
小っ恥ずかしいことも平気で言えちゃうんだ、この男は。乙女は、自分のことを思ってくれているだろう文鴦に対して少し複雑な気持ちを抱いた。それでもきっと、彼と自分を表す言葉は主従というありふれたものでしかないのだ。
昔は次騫よりも背が高かったのになあ。文鴦を見上げながら、乙女は過去を思い描いた。昔から文鴦に着いて回っていたが、背が高いというのは唯一彼に勝てる部分だったように思う。彼に置いていかれたくなくて必死に努力していたのだ。そうすれば副官という地位をいつの間にか得ていた。それだけだった。
「でも私、副官だしさ。所詮。これから先、離れ離れになっちゃうかもしれないよ」
これまで文鴦のそばに居れたのは、運が良かったのだと言わざるを得ない。
ただ幼なじみというだけでこの立場が保たれると思うほど、乙女はおめでたい頭をしていない。
互いが、それぞれ全く縁のない相手と結婚しなければいけないかもしれない。そうなれば、乙女は文鴦の副官としてやっていく自信を失くしてしまうことだろう。
彼に置いていかれたくはないし、ずっと彼に着いてきたのは、やはり、どうしようもないほどに好きだからなのだ。普段は副官として感情を殺すこともあるが、許されるのならばずっと文鴦と共に過ごしたいのだ。
「離れ離れになるくらいならば、私はお前を罷免するだろう」
「それって、どういうこと」
文鴦からそんな言葉が出るとは思わなかったなめ、乙女は動揺した。彼の言っている意味が良く分からなかった。
「副官としてではなく……家族として支えてほしいからだ」
「……副官でも、家族になれるよ」
突然の告白に、乙女はそう返すのが精一杯たった。
精一杯の、照れ隠しだった。
ちらりと文鴦を見れば彼も恥ずかしげに目を逸らしていて、乙女は思わず吹き出してしまうのだった。
(20240508)