私たちは似ている
乙女は華佗の弟子だ。弟子といってもまだ半人前で、本格的に人を診ることも、薬を作ることもできなかった。精々薬草を取りにいったり、客人に茶を出してもてなすのが精一杯である。

それでも身寄りがなかったところを華佗に拾ってもらったものであるから、彼には報いようと懸命に働いていた。そんな姿を華佗も知っていたから、二人は血が繋がらないながらも慎ましく暮らしていた。

そんな日々を送ってきたところ、二人のもとに客人が訪れた。

いつものように、病を診てもらいたいと思っている人が訪れたのだろう。それか、薬が切れたから調合してくれという顔見知りか。いたって疑問を抱かずに、乙女は叩かれた扉を開いた。それが彼女の役目だから、ごく自然にそれを行った。

「華佗様に、何か御用でしょうか」

そこにいたのは中老と見られる男性と、乙女とそう歳の変わらないように見える女性がいた。

厳格そうな顔つきの男性に対して、女性は憂いを帯びたように顔を俯かせている。自分の風貌に自信が持てずにいるような、そんな表情だった。

一体何が目的なのだろうか。乙女は見当をつけることすらできなかったが、男性が「とにかく華佗に用がある」とだけを告げるものだから、乙女は二人を招きいれることにした。

二人のうちどちらかが病というわけではなさそうだ。では家族が病床に伏しているのか。それならばそうといえばいいものを。乙女は不思議に思った。

女性のほうはそうではないが、男性は妙に切羽詰まっている様子である。ただならぬ様子から一刻も早く華佗に会わせるべきだと思い、乙女は彼に事情を話した。

「とにかく、華佗様に会いたいとおっしゃっているのです。私には、何のことだかさっぱり……」

乙女はたどたどしく話したが、華佗はそれでも納得したようだった。

華佗は乙女に下がるように言い、二人を室内に入らせた。乙女は早速出る余地がなくなってしまったのだが、どうしても二人の客人が何を望んでいるのかを知りたくて、隔たれた壁の向こうからこっそり聞き耳を立てることにした。

微かに、男の喋る声が聞こえてくる。

何やら、あまり良くない話をしているようだ。乙女は華佗の指示に従って生きているし、それ以上のことを望んだことはない。だが男は、自分一人では到底抱え切ることができずに溢れ落としてしまいそうになるような、そんな大きなものを抱えているようだった。

政治の話も、ここ世の中の情勢の話も、乙女は興味が湧かないと思っている。だが男は違うようだ。あの女性も、そうであるのだろうか。

「このようにこの娘は、美貌を携えているとは言い難い。だが、董卓と呂布を引き裂くには、私の悲願を果たすには、何としてもこの娘に暗躍してもらわなければならないのだ」

董卓も呂布も、乙女は名前すら知らなかった。この二人がどんな関係で、今の世の中でどのような力を持っているのかも。

ただ仲を引き裂く必要があると男が言っているのだから、あまり良い人物だとは言えないのだろう。

だが、男の仲を引き裂くために、女を利用する。その意味は、世間の情勢に疎い乙女もそれとなく理解することができた。

美人でなければ成り立たないことを、男は仕掛けようとしているのだ。

女性は確かに、美しくはなかった。だがそれは、単純に顔の造形が優れているとか優れていないとかといった問題だけではなく、その立ち振る舞いや心の清らかさを含めているのだとしたならば、また違った評価ができるのだろう。内面をよく知らない以上、乙女は何も言えないものだったが。

単純に、顔の善し悪しを言われるのは同じ女性として不愉快だと乙女は思った。

顔が美しくないからといって、華佗に対して何を求めているというのか。

乙女は思考を凝らしたが、やはりよく分からなかった。その後の男は声も小さくなり、華佗もそれに応じていたため、乙女はこっそり盗み聞くことを辞めてしまった。



そうして、いつの間にか男と女性は帰っていたようだ。玄関のほうで、何やら物音がしていたのを最後に、華佗や客人がいた部屋はついになんの音もしなくなっていた。乙女はこの日、特に何かすることを命じられてはいなかったから、寝台の上に転がって天井をただただ見上げていた。

扉の向こうから華佗の呼ぶ声が聞こえて、乙女は思わず飛び起きる。急いで華佗の元に向かうと、彼は客人の目的は一体何なのかを話し出した。そしてそれは、乙女に新たな仕事を命じるということに繋がっていたのだった。

「西施の首、ですか」

乙女は聞き返した。簡単に信じることができなかったからだ。華佗は、紛れもなくそれは真実なのだ、とでも言うようにして頷いた。

早速支度をするように。彼はそう言って、何やらこれから起こるであろうことに備えての準備をごそごそと始めるのだった。

美しくないと言われた、あの女性。

美しくないのならば、如何すべきか。

その答えはあまりにも残酷だった。

遥か昔に亡くなった美女、西施。彼女は、越王が呉王に献上した女たちの中にいた。呉王は彼女を含めた女たちに夢中となり、結果として国の滅亡を招いた。

傾国の美女と呼ばれるにふさわしい生き様だった。

その首を、華佗は乙女に墓から暴き出すことを命じたのだ。つまり、男は女性に、傾国の美女として生まれ変わることを望んでいる。

首を差し替えよと、望んでいるのだ。きっとそれは、華佗が提案したのだろう。おおよそ常人には考えもつかぬ治療法をもって、彼は病人を癒している。

だが、これはいくらなんでも女性と、西施に対する冒涜ではないのか。だが乙女は、逆らう術を持っていなかった。大人しく、墓を暴きにいくしかなかった。乙女は渋々、墓に行くまでの旅支度をするのだった。



「ただいま、戻りました」

乙女は、長い道のりを越えて、華佗の邸宅に帰参した。その手には大きな風呂敷を携えている。

紛れもなく、そこには西施の首がある。

彼女の首は、朽ちることなく、今もその美しさを保っていた。乙女は思わず心臓が止まってしまいそうになったものだ。墓荒らしに対する罪悪感などではない。その罪悪感すら、この美貌の前にはたちまち消えてしまった。美しさは、人を殺す。乙女は身をもってそれを知ったのだった。

ご苦労だった。華佗がそう言い、西施の首を乙女から受け取る。

そこには既に、男と女性がいた。相変わらず背筋を伸ばして凛とした構えをしている男とは対照的に、女は暗く淀んだ表情をしていた。

自らが自らでなくなるのだから、そうなってしまうのも当然のことだろうと乙女は思った。

本当に、首を差し替えるなどという行為をみすみすと見ているだけでいいのだろうか。女性を見ていると、思わずそのような感情が乙女に浮かぶ。

そう思えば、自然とその思いは声に出ていた。

「華佗様。この女性と、少しばかり話をしてよろしいでしょうか」

華佗は、男と顔を見合わせた。男が頷くのを確かに見届けた後、華佗は乙女に許可を出した。

女性の手を取り、乙女は自室へと向かわせた。女性は抗うことなく、乙女に従っていた。抗うという行為の意味すら、理解していないのかもしれない。乙女はそんな不安に襲われた。

「……いきなり、申し訳ございません。まだお名前を聞いていなかったと思いまして。私は乙女。華佗様の弟子、のようなものです。あなたは?」

いきなり本題に入るよりは、これくらいのことを入口にする方が良いだろう。乙女が恐る恐るだがそう聞くと、女性はゆっくりと顔を上げて、口を開いた。彼女の声を聞くのは初めてだった。

「……貂蝉、と申します」

その声は、鳥が唄うかのようだった。

「貂蝉殿。あなたは本当に、覚悟がおありなのでしょうか」

名前を聞くや否や本題へと突き進んでしまったが、それを後悔する余裕は、なぜだか乙女からは消え失せていた。

「……はい。養父のために、私は動かねばなりませんから。恩を返すためにも」

「養父?」

乙女はそう聞き返しながらも、男と女性は親子にしては歳が離れているという理由に納得した。血が繋がっていないのならば、何ら不思議はなかった。

「はい。私は自分を拾ってくれた養父、王允の為ならば例え私が私でなくなってしまったとしても、よいのです」

言っていることは立派だ。だが、最後の方は声が震えているではないか。乙女は、同情した。

自分と同じだからだ。これから貂蝉が行おうとしていることに比べれば些細なものであるのだろう。だが、立場は同じだ。養父のために尽くし、彼のためならどんなことでもやる。

放っておけないような気がした。

「もう一度、聞くことをお許しください。……覚悟が、あるのですか」

「……はい」

少しだけ躊躇しているように見えたが、養父に尽くそうとする気持ちは本当のようだった。

自分も同じような立場であるから、これ以上は強く言うことができないだろう。乙女はそう思って、華佗と男がいる部屋に彼女を連れて戻った。華佗は既に切開と縫合の準備を整えていたようだった。

「それでは、乙女様。どうか成功を祈ってください」

貂蝉も彼女なりに乙女に親近感を覚えていたのか、そのような言葉を投げかけた。乙女は深く頷くことしかできなかった。手術を行う部屋は、患者と華佗以外の人間が立ち入ることを禁じている。乙女は、貂蝉の後ろ姿を見ることしかできないのだった。



手術は、無事に成功したらしい。首を刃物でぎこぎこと斬り落として、代わりに西施の首を繋いだというのは本当だった。

華佗は恐ろしい人だし、貂蝉の養父という男もおぞましいと思った。

貂蝉は寝台の上に寝かされている。顔色は悪い。そして、胸が上下している様子はない。

死んでしまったのではないか。乙女は怖くなったが、華佗は死んでいないのだという。

その言葉を信じることしかできなかったが、乙女は自分の非力さを実感した。

「貂蝉殿の首はどうなるのですか」

乙女はふと気になって、華佗にそう尋ねる。華佗は、もう要らないものだからどこかに埋めてくれと言った。

そんな簡単に、人の首を捨てるというのか。乙女は、怒りの感情がふつふつと湧いて出てくるのを感じた。

せめて、私一人だけでも毎日祈りを捧げられるような所に埋めよう。乙女はそう思って、華佗の言葉に応えた。

人の首というものは、見ているだけで心臓を鷲掴みされているかのような、そんな感覚がする。

乙女は邸宅からほど近い場所に貂蝉の首を埋めた。

本当に、あのようなことをしなければいけなかったのだろうか。乙女は貂蝉の首を見つめた。

閉じられた目が開くことはない。本当の貂蝉を知るものはもうこの世からいなくなる。

どこかやり切れない気分だった。



7日間、貂蝉は目覚めなかった。だがその翌日になってから乙女が貂蝉の顔を覗くと、そこには生きている人間と同じくらい血の色がさしていた。

そうして、乙女が少し部屋を離れてから次に戻ってきた時には、貂蝉は既に起き上がっていた。

「貂蝉殿」

乙女は、変わらずにそう呼んだ。

西施の顔は、美しい。思わず乙女は息を呑んだ。

「私は、生まれ変わることができたのですね」

淡い笑みが浮かぶ。これならば、男を手玉にとるということができるのだろう。

「これでお義父様の望みを叶えられます」

貂蝉は喜んでいた。彼女がそう思っているのならば、乙女も彼女を止める資格はなかった。

養父の力になることこそが、生きる目的なのだ。やり方は違えど、やはり自分と彼女は似ているなと乙女は思った。

男は貂蝉の無事を喜び、直ぐに連れ帰った。

やがて、貂蝉は董卓に取り入ることができたのだということが男を通じて華佗の元に伝えられた。



だが、男は相変わらず憂いていた。世の情勢のことだけではない。再び世話になるかもしれぬと書かれた便りが、華佗の元に届いた。

「荊軻の肝、ですか」

西施の首を持ってこいと言われたときと同じような反応を乙女は示した。

また墓荒らしをしろと言われているのだから、そうなってしまうのも仕方がないような気がした。

「貂蝉は肝が小さいから、始皇帝の暗殺を謀った男、荊軻のものと取り替えるべきだ」

華佗が下した結論はそれであった。

また自分が取りに行くしかないのか。だが反発する気持ちはなかった。

華佗の言うことならば、素直に従うことができる。理由は分からなかった。きっと貂蝉と男もそのような関係なのだろうと乙女は思いながら、すぐに支度を整えて出発した。

墓を荒らすのは、気分が悪い。荊軻は罪人であるから、その体はバラバラにされている。だが肝だけは残っていた。石のように固く、大きかった。

始皇帝を暗殺するように、貂蝉は董卓と呂布を引き離すのだろう。乙女は肝を華佗の元に持ち帰った。

帰ってくると、やはり以前と同じようにして、男と貂蝉がいた。

早速始めるのだろう。乙女は自分がされるわけでもないのにどきどきした。

「今回も、本当にありがとうございます」

貂蝉はそう言った。

貂蝉は、どんな顔をしていたのだろうか。久方ぶりに見る彼女の顔は、元からそのようであったのだと思ってしまうほどに、違和感というものがなかった。乙女はぎこちなくこちらこそ、と言うと、やがて貂蝉は以前のように手術室に向かった。



首を落としたわけではないから、手術はすんなりと終わった。貂蝉の意識もある。乙女は、そこだけは安心することができた。

「貂蝉殿。ご無事で何よりです」

貂蝉は、以前よりも堂々としているように見えた。肝が座っているというのは、こういうことなのだろう。

「はい。華佗様、そして乙女様。感謝してもしきれません。私はようやく、悲願を遂げることができる……」

うっとりと微笑む貂蝉は、前にも増して別人のようだった。

「……貂蝉殿。無事に生きて帰ることができたのならば、もう一度ここに来てくれませんか。私、あなたにもう一度会いたい」

きっと、貂蝉は無事では済まないだろう。董卓と呂布を引き離すということは、きっとそういうことなのだ。

西施は権力者を殺めることに繋げるため、荊軻は未遂に終わったとはいえやはり権力者を殺すために生きた人間である。

貂蝉もそうであるのだろう。そう思えば、彼女の無事を願う他なかった。

「……はい。約束しましょう」



貂蝉は、無事に勤めを果たしたらしい。

董卓が呂布に討たれたのだという報は、この人里離れた邸宅にも届いていた。

だがそれは、同時に貂蝉はこの地に戻ってこないということも伝えていた。

とある女性の名で届けられたその書簡だったが、これは貂蝉が書いている。乙女は書簡の内容からそう察した。

彼女の養父は殺されたらしい。呂布は自分を連れて行こうとしている。だから、急いでこれを書いたのだと。

きっと、これが届く頃には私はもう長安を出ていっている。そう書かれていた。

華佗と乙女に対する感謝の気持ちで、その書簡は締めくくられていた。

貂蝉の人生とは、一体なんだったのであろうか。乙女は、自由に生きることができなかった彼女のことを哀れに思った。

だが、それは自分も同じなのだ。

乙女は邸宅のほど近くに埋めた貂蝉の首を掘り起こした。

その首は相変わらず、そのままの形で残っている。

あなたのことは、忘れない。

あの日死んでしまった本当の貂蝉に向かって、乙女は誓った。そんなはずはないのに、首だけとなった貂蝉は微かに微笑んでいるような気がした。大層、美しかった。

(20240701)
mainへ
topへ