蒼天過ぎ去りし日を思う
「天からの贈り物」。乙女はこの世界でそのように呼ばれ、扱われてきた。
それは、この地で倒れていた乙女を拾ったのが、太平道の教組であり黄巾党の首魁である張角という男だからだった。
奇妙な格好と、この世界にいる人が知らないことを知っている。担ぎあげられるには、それだけで十分だった。
天からの贈り物として、張角にも大層可愛がられている。教祖がそのような調子であるから、信者たちも乙女には張角に接するように、いや、もしかするとそれ以上に畏敬の念を表していた。
彼らの使う術はおよそ現代でも見たことがない奇妙なものばかりで、乙女は正直辟易している。だがこうして無条件に世話をしてくれる人間が居るというのは、悪いものではない。
乙女を見つけたのが張角でなかったとしたら。きっと彼女は生きていくことなどできなかったであろう。だから、その部分は感謝している。
だが、乙女が元の世界……つまり、この世界から見た遥か未来(といっても訳の分からない妖術が跋扈しているので、単純にこの世界を過去だと言っていいのかはよく分からないが)に戻るための手段を得ることは、全くできなかった。
「乙女。天からの預言は、未だきたらず、か」
することもなくぼーっとしている乙女の前に、張角はやってきた。張角は、毎日のようにそう尋ねてくる。
「……分かりません」
いつもならば、「ありません」と一蹴するのみだったが、どうもそんな気分にはなれなかった。
張角は驚いたようだったが、彼女の言ったたった一言に満足したのか、上機嫌な足取りで部屋を出ていった。
預言というものはよく分からなかったが、乙女は予言ならばすることができる。未来から来たのだから、当然のことだった。
張角が率いる黄巾族は、世を乱すだけで民を苦しめる。この乱は、さらに大きなものとなってこの中華を呑み込んでいく。
乙女は、それを知らないほど無知ではなかった。世界史の教科書に黄巾の乱という名称が記載されていたのもよく覚えている。
宗教に縋る人間がいるのは、どこの土地でも、どの時代でも変わらないものだ。乙女もそれを否定することはない。
だが、いつか。今が西暦でいう所の何年なのかも乙女は知らなかったが、近いうちに張角は死んでしまうだろう。
張角の望む預言というものに応えれるという自信はない。乙女が言えるとすれば、いずれあなたは死ぬし、あなた方の信じるものは世の人々のためにはならないのだということだけだ。
だが、それを言ってしまうのは死んでも無理なような気がした。
それはきっと、自分に接する時の張角は本当に嬉しそうで、自らの成すべきことに誇りを持っている姿をよく知っているからだ、と乙女は思う。
このまま沈みゆく泥舟の中で、元の世界に帰ることができずに死んでいくのは、考えるだけで胸が苦しくなることだ。
だが自分に良くしてくれている張角を見捨てることはできないと思った。張角が自分を可愛がっているように、乙女も張角のことを崇拝しているのかもしれない。自分がここに来たことで、歴史が変わってしまえばいいのに。
乙女はそのようなことを考える程度には、張角のことを好いているのだった。
(20240627)