骨を埋めるまで
これの続き


乙女が南中の「家族」となってから、数年が過ぎた。

記憶とは曖昧なもので、元いた世界の記憶というものが、次第に彼女の中から薄れてきている。それを恐ろしいことだと思うことができないほど、乙女はこの世界に馴染んでいた。

それは元の世界に対して、未練はあまりなかったからなのかもしれない。元の世界よりもここは自由に生きることを許されるし、不自由を感じることはなくなっていた。

ここに来た時に着ていた学生服のポケットの中には、それまで使っていたスマートフォンがある。バッテリーはとっくに切れているし、充電器というものは例えあったとしても何の役にも立たない。

どうせ、自分はここにいるほうが性にあっているのだ。そう思った乙女は、スマートフォンを川に捨てた。流れは穏やかだったが、水の流れに呑まれてスマートフォンは姿を消した。

後悔の気持ちはなかった。

乙女は名実共に「家族」として生きている。同じ食事を取り、同じ服を着て、ときには狩猟や採集にも同行している。

蛇料理はあまり食べたくないと当初は思っていたが、既に慣れてしまった。

自分は、もしかすると初めからここに居たのかもしれない。乙女はこんがりと焼けた自分の肌を見て、そう思った。

だが、現実は違う。乙女はもう必要がなくなってしまった学生服を手に取った。

学校は好きではなかったが、学生服というのは自分の身分を知らせるには一番分かりやすい記号だった。その記号は、乙女と共にあった。それに、ここに初めて来た時はずっと身につけていたから、多少なりとも愛着が湧いていた。

学校にはほとんど行っていなかったのに、である。既に、一般的な学生が高校に通う年数というものはもう過ぎてしまった。

スマートフォンと同じように、処分するべきであるのだろう。だが、最後に一度だけ、着てみるのも悪くないのかもしれない。

そう思って、乙女は学生服を着て外に出た。年齢だけで見ると、とっくに学生服を着れる年齢ではないのだが。そんな縛りすらここには存在しないのだ。

外に出て、陽の光を浴びる。毎日行っているそれは、元の世界にいて引きこもっていた頃には考えられないものだった。

今日は、何をしようかな。乙女がぼんやりとそう考えた時の話である。

遠くの方からどたどたと、地面を揺らすような足音が聞こえる。このような足音を鳴らすような人間は、一人しかいない。

乙女が振り返ると、それは案の定、彼女が予想していた通りの人物である孟獲の姿があった。

だが、様子が少しおかしい。まるで何かに追われている時のような、そんな気配がある。乙女が身構えていると、孟獲はさらに大きな足音を立てて駆け寄ってきた。

「乙女! ちょうど良かったぜ……ってその服!」

「ど、どうしたのですか」

孟獲には珍しく、若干息を切らしている。乙女を見て安心したかのように見えたのもつかの間、孟獲は驚愕した。

乙女にとっては何のことだか全く分からない。やはりこの歳で学生服を着るのは、この世界の人にとっても不可思議なものに感じてしまうのだろうかと乙女は思った。

「あのな、 昨日の夜の話だ。おめぇがとっくに寝静まった頃にな、よく分からねぇが仙人を名乗る奴が俺の所に来たんだ。それで、おめぇを元の世界に戻してやるって言いやがった! 思わず俺は怒鳴って、俺の家族を攫うんならば容赦はしねえって言うとな、尻尾を巻いて逃げていきやがった。だが今思うと、おめぇの気持ちを何も考えていなかったんだ、おめぇもその服を着てるもんだから、ワシは……」

孟獲は自らの思いのありったけを、一息に話した。乙女はいきなりの告白に戸惑い、全てを一度で理解するのは困難だったが、おおよそのことを把握することはできた。

とにかく、乙女を元の世界に戻してやるという人間が現れたが、孟獲は追い返してしまったということだ。

「孟獲様……あのですね、」

「おめぇ、本当はずっと無理してたのか!?」

孟獲は、何やら大きな誤解をしているようだ。乙女はそう気づいた。

学生服は、初めて乙女が孟獲と出会った時に着ていた服だ。だから、孟獲は彼女が元の世界のことを恋しく思っているのではないかと勘ぐってしまったのだろう。そうであるなら、その仙人とやらを追い返してしまっのは、取り返しがつかないことだ。

とにかく、一刻も早く誤解を解かなければいけなかった。

「違います、大王様! 本当にこれはたまたま着ていただけで……これを最後に捨てようと思っていただけです! 私、ずっとここにいたいって思ってますから!」

その気持ちは嘘ではなかった。嘘ではなかったから、スマートフォンを川に捨てるということもしでかすことができたのだ。

仙人とやらが本当に元の世界に戻す力を持っているのか。確認する手立てはないが、そのような話を聞いてもなお、乙女はここにいたいと思った。仙人の真偽はさておき、それだけは真実だった。

動揺している孟獲に、乙女の意思が完全に伝わるかどうか。乙女は心配になった。

「……本当か? ワシはおめぇを苦しめたくねえ……」

「本当ですよ。私。大王様たちとずっといたいって思ってます。仙人の力なんか、いりません」

孟獲はそれでもなお、乙女が本音を隠しているのではないかと疑いの目を向けていたが。

きっとそれも、自分を大切に思ってくれているが故だ。乙女は直感した。

決めた。今日は、日が暮れるまで大王様と一緒にいよう。

乙女は未だにうろたえ続けている孟獲を見て、そう思った。誤解が完全に解けるまでは、きっとそうかからないだろう。大切な、家族であるのだから。

(20240630)
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