秘める
「……どうだ、美味いか」

夏侯惇が、恐る恐る尋ねた。乙女の目の前には料理が載った皿が複数。奢りだと言って、続々と運ばれる料理たち。

夏侯惇は乙女が手をつけるまでは自分も食わないというつもりなのか、ただ彼女を見つめているだけだった。やっと乙女が炒められた野菜を口に入れたことで、初めて夏侯惇は乙女の目を見つめることができたのだった。

「……美味しいですよ」

乙女は取り繕ったつもりで応えたが、果たしてどうだろうか。

乙女がゆっくりと夏侯惇の方を見つめると、先程と変わらず難しそうな顔をしている彼の姿がそこにはあった。

顔に出さないということは、存外難しいものだ。

「それは……良い事だ」

夏侯惇にも、言えることである。乙女は罪悪感を抱いた。

美味しくない、というわけではない。ただ、未来を生きてきた乙女にとってこの時代の料理は味付けが異なるとか、そういうことを感じてしまうだけだ。品種改良が進んだ現代の美味しいものを食べて育った舌が、すぐに馴染めるはずもない。

度々夏侯惇は乙女を飯に連れ出す。単純に彼の好意からなるものだった。「食文化が全然違うんですよ。中々慣れません」かつてそう言った乙女を満足させたいのか、夏侯惇は趣向を変えて色々な店を訪れ乙女を試している。良く折れないものだと乙女は思っているが、相手が相手なので断ることもできない。飯を食うにも本来ならば大きな労力が必要であるので、それを鑑みるとさらに何も言えないのだった。

「……ところで。今日こうしてお前に飯を食わしている件についてだがな。このついでに言っておきたいことがある」

乙女の気分がそこまで高揚していないということを見届けながら、夏侯惇も飯を食らった。

普段、夏侯惇が自ら話を繰り広げることはあまりない。乙女も同様だった。

初めは怖そうな人だと思っていたのも束の間で、こうして二人で過ごすことに何の躊躇いもない程度に乙女は夏侯惇のことを理解している。

理解しているからこそ、何も話すべきことはないと思ってしまったのだ。下手に戦いのことに首を突っ込むのも、ましてや曹操のことを話題に出すのも、乙女は軽率に話すべきではないと思っている。夏侯惇も似たような認識をしていると思っていたから、無意識に身構えてしまう。

「なんですか。いつも、そんなに畏まって言うことなんてないでしょう、夏侯惇さんは」

部屋の中で二人っきりの状況でもなく、周囲にも同じように食事をしている者が多くいる。変なことを話される心配はないはずだ。そう思いたかったのだが、夏侯惇は爆弾を落とした。

「お前に縁談だ」

「……え?」

乙女は、箸を落としかけた。夏侯惇は、苦虫を噛み潰したような顔をした。

さっぱり意味が分からない。乙女は意味もなく周囲を見渡した。

「本当ですか、それ」

「ああ」

縁談なんて、思ってもみない。

大体、乙女への縁談など、来たところで曹操が握り潰しているような気がするが。夏侯惇は話を持ちかけた側であるというのに、当の乙女本人よりも苦しそうな顔をしている。

「なんでそんな、急に」

「……今までは孟徳が全て断っていたのだがな。お前が孟徳にとって要となる存在であることを知っている人間も増えてきた。お前を縛る人間など、いないほうが良いと俺は思っているのだが……」

「縁談があったことも、初耳ですよ、私」

「孟徳に口止めされていた。もしお前が縁談相手のことを深く知り、その気になることを防ぐために、な」

理屈は理解できる。曹操が乙女に執着していることも。それを知る人が多くなってきたことも。だが全てが突然だ。

誰かとどうこうなりたいなどとは全く思わない。食事ひとつであっても、乙女は元の時代を忘れられずにいる。

夏侯惇の言う通り、縛る人間などいらないのだ。それを唯一許さざるを得ない状態へと追い込んでいるのが、曹操の存在だった。

「私、縁談なんて受けられませんよ」

ただでさえ、辟易している。結婚ともなれば、女として生きる以上、女としての役目を全うする必要がある。それに耐えられるとは思えなかった。

夏侯惇もそれを知っているに違いない、と乙女は思う。彼は深くため息を吐いた。

「……やはり、お前は今のままのほうが良い。俺の方から断っておくか」

「そうしてもらえると助かります」

夏侯惇は、話が終わった後もずっとその堅い表情を緩めることはなかった。

帰り際、「またどこかに食いに行くか」と夏侯惇が言った。乙女は「いつでも誘ってください。私、意外と寂しがり屋なんですよ」と言った。

寂しがり屋だが、縛られたくはない。矛盾しているが、乙女の中では論理的な道筋が描かれているのだった。




縁談の相手は、俺なのだ。夏侯惇は結局最後まで言うことができなかった。

夏侯惇は、乙女を縛ろうとは思わない。乙女さえ許すのならば、一日中何も話さずとも平気な男だった。

それでも乙女のことを見ていると、こんな縁談なんて破棄したほうが互いのためなのだと改めて思ってしまった。

孟徳に何と言おうか。夏侯惇は乙女の横顔を見ながらぼんやりと考えた。

上手い理由が思い浮かばない。

何者にも縛られない彼女を好ましく思ったから、などと言えるはずもない。

「またどこかに食いに行くか」

「いつでも誘ってください。私、意外と寂しがり屋なんですよ」

はっとして、夏侯惇は乙女の顔を見た。乙女は目の前を真っ直ぐ見ている。

乙女から直接発された言葉を聞くと、縛ることも悪くないものかもしれないと思ってしまった。

あまりにも単純で、あまりにも短絡的すぎる。何を考えているのだ、俺は。夏侯惇はやはり、何も言えないままだった。

もっと乙女の好みに合うような店を探すべきだと思った。選択肢を誤り続けている。乙女が心から喜んでいる姿を見ていれば、少しはマシな結果を導き出せたのかもしれない。

全ては後の祭りだ。
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