姜維とあの娘
姜維は、ある女生徒に恋慕していた。彼女は大人しくて、あまり人と交わろうとしない。特別仲の良い友達がいるようにも見えず、休み時間は本を読んだり勉強をして過ごしている。授業中も自分から意見を発表することはなく、たまに小さな声で話すのは先生やクラスメイトから名指しで意見を求められたときだけだった。

だが姜維は、そんな彼女を好ましく思っていた。端的にいえばそれは一目惚れだった。ただ少しだけ気がかりに感じていたのは、彼女の笑顔のことだ。ふとした時、例えばお調子者のクラスメイトが皆を笑わせようと面白いことを言ったときなど、彼女は素直に笑顔を見せる。姜維はどちらかというと堅苦しい質で、冗談を言うのも聞くのもあまり得意ではない。だから、純朴な彼女の笑顔が好きだと思った。しかし、彼女は笑う際には必ず口元を押さえている。それどころか声を出して笑っている所も見たことがなかった。口元を抑えるのは癖としてよくある事だろうと姜維は思ったが、彼女のことが好きだったから、その全てを知りたいと思った。それは笑顔も例外ではない。隠された口元も見たいと思った。

そんなある日、姜維は珍しく学校に忘れ物をしてしまった。明日は小テストがあるから、取りに帰らないといけない。忘れ物ひとつくらい放っておくこともできたが、その点彼は生真面目
だった。学校に急いで向かうと、遅くまで部活に勤しんでいる生徒はいたが、教室には誰もいないように思えた。

だがその予想は外れた。教室への鍵は職員室にはなかったのだ。姜維が不思議に思って教室に向かうと、そこには彼女が一人でいた。

姜維は驚いて、少しだけ胸がどきりとするのを感じた。彼女は遅くまで居残って自習をしていたようだ。今から帰るのだろうか、丁度荷物をまとめようとしているところだった。姜維はせっかく二人きりなのだからと何かを言おうとしたが、緊張で上手く話せるようにはどうしても思うことができなかった。無言でいるのは嫌だなと姜維は自分の不甲斐なさを感じたが、その沈黙を破ったのは意外にも彼女のほうだった。

「姜維くん。いつも、私のこと見てたでしょ」

その声と言葉に、姜維はいよいよ胸の高鳴りを抑えることができなくなった。自分の机の中から目当てのものを取り出して、そうして彼女を見る。彼女は笑っていた。だが口元はその手で覆われていないものだから、姜維は初めて見る彼女の美しさに目を奪われた。

「き、気に触ったのなら、すまない……」

いつも彼女を見ていたということを知られていたというのは、とんでもなく恥ずかしいことだと姜維は思った。彼女の様子からして怒っているとまではいかないようだったが、それでも謝るべきなのだろう。だが彼女は姜維の言葉を最後まで聞かずに、彼の元へと近づいてきた。

「ううん。……せっかく二人きりだからさ、私の秘密、教えてあげるね」

そう言う彼女の顔は、まるで別人のようだった。だが姜維は、それでもやっぱり彼女のことが好きだと思った。秘密というのは甘美な響きだ。だがなぜ、彼女が自分に。姜維はわけが分からないままに、それでもただただ頷く。変なところで正直だったのだ。彼女のことは、全て知りたかったから。

「姜維くん、顔真っ赤だね」

それまで自分の顔がどうだとかを思ったことはなかったが、彼女のその一言で、姜維はさらに自分の顔がかあっと熱を持ったのを自覚した。

だが、そこで姜維は気づいた。彼女が口を開けて少しだけ笑ったときの、ある違和感に。彼女が歯を見せて笑った姿も初めて見るものだったが、それ以上に釘付けになるものがあった。

彼女が口を開いて、舌をぺろりと出す。そこには大人しく彼女には不釣り合いのような、銀色のピアスが付けられていた。

「な……!」

大人しいからピアスを付けないだろうというのは偏見に過ぎない。だが姜維は、思ってもみなかった彼女の姿に動揺してしまうばかりだった。

「……ね。これが私の秘密。姜維くんなら分かると思うけど、私が口元を隠しているのは、これがあるから」

そう言って彼女はまた笑った。歯の奥に、ピアスが煌めいているのが分かる。

「どうして、それを私に……?」

彼女が普段そうしているように。今度は姜維が口元を押さえて尋ねた。顔が火照って、熱かった。

「私も、姜維くんのことをずっと見てたから」

それって。姜維が言葉を紡ぐ前に、彼の唇は塞がれていた。

「……っ!?」

いきなりの出来事に、彼は目を閉じることさえできなかった。背伸びをして迫ってきた彼女。初めて知る唇は、柔らかくて。いきなりのことに気が動転しつつも、姜維はやっと目を閉じた。そうすると彼女は姜維の唇をこじ開けて舌をねじ込んでくるものだから、また姜維は驚きで目を開く羽目になってしまった。舌は熱いのに、ピアスはまた違った温度を持っていて。金属が歯に当たって、かちゃりと音がする。その響きが耳に直接伝わって、姜維は身が震えるようだった。

「……ふふ」

唇が離れる。彼女の頬は少しだけ赤かったが、姜維はそれ以上に、まるで沈む太陽のように真っ赤だった。彼の胸は未だにどくどくと音を立てている。夢のようだった。

「乙女さん……」

姜維は指を唇に当てた。彼女は、ずっとにこにこと笑っているままだった。

「乙女で、いいよ。また明日ね」

そう言って鞄を持って教室を出ていく彼女の姿を、姜維はただ眺めることしかできなかった。

へなへなと椅子に腰を下ろす。まさか、彼女も自分を見ていたなんて。彼女に、あんな秘密があったなんて。

言いたいこと、感じたことは沢山あったが。

明日から、彼女のことをどんな目で見れば良いのだろうか。姜維は未だに忘れられぬキスの味と、ピアスが触れた感触を噛み締めてそう思った。

(20240707)
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