賈充とあの娘
「賈充くん、今日は一人で帰るの?」
部活も放課後の掃除も何もない日だった。賈充が教室を出て帰ろうとすると、乙女が呼び止める。賈充は彼女のことが苦手だった。
「ああ」
賈充はそっけなく返答する。だが彼女がめげないということも、彼は知っていた。
「私、一緒に帰ってもいいかな」
「……すまんが、家に帰るまでに寄らなければならない場所がある」
そんな場所などなかったが、賈充は嘘を吐いた。一人で帰るほうが気楽だというのは真実であるが、そういった理由を使って断っても彼女の誘いは途絶えなかったから、当たり障りのない理由を使ってその場を取り繕うことしかできなかった。
「そっか。……ごめんね。また明日ね」
手をひらりと振って、足早に去っていく彼女。賈充もつられて手を挙げた。その様子を傍から見ていた男が、ひとり。
「いい加減に、一緒に帰ってあげればどうだ? 帰り道っていっても、どこかで別れるんだしさ」
その男は司馬昭だった。盗み見るとは全く趣味が悪い男である、賈充は舌打ちをしそうになったが、そういった行動を取ろうと思ってしまったのは、単純に会話を聞かれたことに対する不満だけではない。
「何度も言っているだろう」
賈充は低い声をさらに低く、小さくして司馬昭に喋った。司馬昭も同じようにして、周りの生徒に気づかれないようにしてこそこそと話す。
「でもさ、別に今は殺し合いするわけじゃねえんだし。気楽にやってもいいと思うぜ」
「……」
賈充と司馬昭には、前世の記憶というものがはっきりと残っている。それは戦いと策謀と、今では考えられないような凄惨なものも多い。
乙女は、賈充にとってもよく見知った人間だった。ただし、賈充と司馬昭のように、手を携え合っていた関係性ではない。
乙女は、敵だった。それも、初めから全てが終わったその時まで。彼女は蜀の将として、最期まで戦って、死んだ。その死を導いたのは、ほかでもない賈充だ。
「彼女は、俺にとって眩しすぎる」
乙女は前世の記憶などというものは持ってはいない。前世の記憶があるのならば自分を殺した人間と仲を深めるというのは考えられないし、以前同じく前世の記憶がある王元姫がそれとなく探りを入れたが、賈充たちのことはこの学校で出会ったのが初めてだと認識しているらしかった。
「いまここに、汚れている人間もそうでない人間も、何の区別もありはしないと俺は思うけどな」
「彼女の、最期の顔が今でも忘れられんのだ。俺を憎んで、蜀のために殉じたあの姿を」
あの頃のお前がそうまでして思っていたのなら。それこそ、今ならばうまくやっていけそうな気もするけれど。司馬昭は口には出さなかった。王元姫と今生でも共に過ごせている自分は、何もいう権利はないのだろうと思ったからだ。
(20240708)