私の言葉が見えますか
「あんた、見ない顔だね。弓さばきが物凄い女が居るって皆言っていたよ」
戦いが終わり、弓の手入れをしている乙女に女が声を掛けた。顔を上げると、この戦いで前線に立っていた女がそこに居た。
「あなたが祝融?」
乙女は物怖じせずに、女の名前を呼び捨てる。彼女はたまたまこの地に居て、たまたま妖魔が攻めてきたから共に戦っていた。特定の指揮官に従っていたわけでもない。だが彼女のことはすぐに分かった。
火の神の末裔を名乗る女が、この地を治める男の妻らしいということは乙女も噂を通して知っていたからだ。きっと彼女がそうであるのだろう。その風貌は気高く、火の神の化身としての矜恃を纏っているようだ。そう思って女に聞き返した。
「そうさ。アタシは祝融。火の神の血を誇りに、この南中を守ってるのさ。あんたは? その弓と服は、この南中とも、前に使者に来た蜀の奴らとも違う」
乙女が身につけているのは、全て匈奴の装束だった。この暑い南には到底適していない。実際、乙女は戦場では今までに経験したことがないほど汗を流していたのだ。暑さというものはこのように人々を苦しめるものなのかと思ったものだ。寒さも辛いが、寒い方がましだと乙女は考えた。
祝融はそんな彼女が慣れないながらも汗水垂らして戦っている様子を見聞きしたために彼女に話しかけたのかもしれなかった。
「私は中原の人間じゃないから。北の方に居た。だからあなたたちからすると見慣れないのかもしれない」
「北の方? なんだってまたこんな所に。……まあ、中華も日ノ本も混じりあってるし、仕方ないことなのかねえ」
「私も分からない。気がついたらここに居たから」
妖蛇が出現した時、乙女は確かに北に居た。いつものように馬に乗っていたのは覚えている。気がつけば見知らぬこの土地で、わけも分からぬままに戦っていたのだ。
異形の妖魔は、外見も戦い方も、全てが人間とは違う邪悪なものだった。だが乙女はいつものように矢を放った。妖魔も動物も人間も、矢が刺さり血を流せばやがて死ぬ。何も変わらないと思った。むしろ、殺しても罪悪感が湧かない分人間を相手にするよりも楽であるのだと思った。そんな戦い方をしていたから、祝融達の間で乙女の存在が話されていたのだろう。
「一人なのかい? 行くあてもないんだったら……どうだい、アタシ達と暫く行動するっていうのは」
祝融はからからと笑いながらそう告げた。裏表のないさっぱりした人間だと乙女は思う。どうせ行くあてもないのだから、ここは彼女に従うべきだろう。
「んー、確かに、あなたの言う通りかも。どうやったら元の場所に戻れるか分からないし……別に、戻りたいとも思わないし」
「……それじゃ、決まりだね。今晩は戦勝祝いと、新しく家族になったあんたのためにごちそうを作ることになるねえ。腕が鳴るよ!」
元の場所には戻りたいと思わない。そう言った乙女に思うところがあったのか、祝融は少し間を作って答える。だがその声色は変わらずに明朗快活としていた。きっと彼女のこういった気性がこの地を団結に導いているのだ。初対面であるにもかかわらず、祝融は乙女に親しく話す。だが、考えもなく馴れ馴れしくしているということでもない。この地を治める男の妻としては、ただ豪快にしているのではなくこうした細やかさも必要なのだろうか。
「早速皆にあんたのことを広めてくるよ。あんたみたいに戦にも強い、それに見た目も可憐な女の子が居れば、皆喜ぶからね。慣れないだろうけど、ここの男たちはなんだかんだで優しいから、困ったことがあれば何でも聞いてみるんだよ」
祝融はそう言って足早に去っていった。その足取りは軽やかで、戦の後だというのにも関わらず、その疲れを全く感じさせない。
「家族……か」
懐かしい響きのように乙女は感じた。
遠い北の地では、家族との関係は冷えきっていた。まるで北の地に降りしきる雪のように。
この暖かい南中は、家族の温もりというものも与えてくれるのだろうか。
人を簡単に信じることなど不可能だと思っていた乙女だったが、祝融のことならば信じても良いかもしれない。そう感じるのは今までで初めてだった。
なぜ、初めて話した祝融に対して、そのような感情を抱けたのかは 。乙女にもはっきりとは分からない。だが拙い自分自身の言葉を何も言わずに受け入れてくれたという部分も大きいのだろう。
弓の手入れが終わり、乙女は武具を背負って立ち上がったが、ふとあることを思った。
「……あ、」
祝融に名前を言うの、忘れてたな。
まあいいか。乙女は深刻に考えることもなく歩き出した。どうせ自分の存在はこの南中に知らしめられるのだ。名前が分からないことくらい、些事であるに違いない。
北とは異なる暖かい風が吹いて、彼女の髪を揺らす。肌にかかった髪がやけにくすぐったく感じた。
(20240515)