不透明な会話
南中の情勢は落ち着きを見せている。妖魔との闘いで荒れ果てたこの南は、瞬く間に元通りの熱気に満ち溢れていた。

乙女が簡易的に設けられた訓練所で弓を射る練習をしていると、そこにある男がやって来た。

「素晴らしいです、乙女殿」

踊るようにして乙女の前に飛び出してきたのは張コウだった。太陽が照りつける空の下であるが、彼は大きく肌を露出している。白い肌が眩しく光を反射していた。

「張コウ。とっくに帰ったのかと思っていた。仕えてる人が居るって聞いたし……あなたもここの地に縁のある人間というわけでもないから」

「美しい」と呟きながら大きな爪のような武器を振るう変な男。乙女はこの男をそう認識していた。この太陽をまともに浴びているというのに、肌の白さは保たれたまま。どこまでも美を追求しているのだろう。率直に言って、まともに話が通じるとも思えなかった。乙女は戦いに美しさなど求めたことがないし、そんなものなど戦いに必要ないと感じているからだ。

だが、そんな一風変わった考えを持つ彼は、評判を聞く限り腕は立つようだ。それも、乙女が全力を出してもきっと敵わないくらいには。そんな男が未だに南中に留まっている理由がよく分からなかった。

「確かに私の本来の居場所はここではありませんが……小次郎殿という知己にも出会えたことですし、もう少しここで私の美しさを存分に披露するつもりです。私の仕えている方、そして素晴らしき仲間に関してですが……戦場で遅れを取り、無粋な真似をするとは考えられませんからね。きっと彼らも美しく戦っていることでしょう」

「ふうん」

あまり興味がないとでも言うように乙女は素っ気なく返す。このような変な男が地位のある人間だとはやはり思えなかった。今も彼女が何も言わないことをいいことに、張コウは長い手足を広げて踊っている。

「乙女殿こそ、元の場所に戻りたいとは思わないのですか」

ある程度舞いそれなりに満足したのか、張コウは改めて乙女に向き直りそう言った。

「思わないかな」

「それは、どうしてです」

「自分の居場所はないから」

あまり身の上を明らかにするのは好きではない。乙女は複雑そうにしてそう言ったが、張コウに追求されたのならば答えざるを得ないような気がした。張コウは変わった男だが、人の上に立つには相応しい力を持っているし、そのような人間に問い詰められれば逆らえないだろうと特に地位が高くない乙女は思う。どこかに有無を言わさぬ迫力があるのだ。

「……確かに、自らが輝けない所に身を置くのは辛いものです」

だから、張コウが乙女の言動を否定しなかったのは意外だった。彼のことであるから、「それは美しくありませんね」などとでも言うのかと彼女は思い込んでいたのだ。

「張コウにもそんな時があったの」

「ええ、まあ。……かなり疎んじられていたので、あまり思い出したくはないのですが。この世界では嫌でも顔を突き合わせる機会もありましたからね。……自らの美しくない姿を晒してしまうことになるので、出来る限りは会いたくないものです」

張コウは顔をしかめる。よほど思い出したくないらしかった。

「ですから。無理に元の場所に戻りたいと考える必要などありません。しかし、あなたのその卓越した弓術はあなたが生まれ育った地で培ったものでは? ですから、疑問に思ったのです。あなたを形作ったものが、あなたを苦しめている。その矛盾は、一体何故生じているのかと」

矛盾。矛盾に見えるのか、人には。そのようなことを指摘されるのは乙女にとって初めてだった。そんなことなど考えたこともなかったからだ。

「確かに矛盾しているのかもしれない。私は馬に乗って、遊牧しながら暮らすことが当たり前なのだとして育てられた。けど、母親はそうじゃなくて……あなたのように中華で育ったけど、拐われて父と結婚させられた。母は妾だったから、立場も弱いし……だから、生きるために戦っていただけで、戻りたいとは思わないかなって」

身の上を明らかにするのは好きではなかった。そのはずだが、一度話してみればすらすらと乙女は自分の過去を明かすことが出来た。それはきっと、張コウが一言一句を噛み締めるように頷き、誠実に彼女の話を聞いていたからだ。それに、この張コウのような人間でさえ、自分の居場所というものに不満を感じることがある。乙女の置かれていた境遇も、彼の言葉を借りるなら……「輝けなかった。」同じなのだ。だから、話してみようという気になったのだろうか。

「……なるほど。あなたの生き様、よく分かりました。あなたの気持ちは、筆舌に尽くし難い……私が語るのも、おこがましいことでしょう。……ですが、それならばなおさらです。精一杯この南中に美の花を咲かせましょう! 私も力を尽くしますからね?」

「え、ちょっと、」

突然乙女の手を取った張コウは、彼女の手を掴んだままに踊り出す。何が何だか分からないまま、乙女は必死に張コウの動きに着いていく。

思っていたよりも話が通じる男だと考えを改めかけていた乙女だったが、またこの男のことが分からなくなった。

「あなたの母君のように、匈奴に拐われてしまった女性を知っています。彼女は私の仕える殿によって中原に帰ることとなりました。彼女の居場所が分かれば、共に会いに行ってみませんか? 中原にも行ってみましょうか。きっと、あなたの母君が愛した風景なのですから」

「……うん」

再び、乙女の中での張コウの評価は良い方に翻った。張コウの動きに遅れないように食らいつきながらも、既に彼女には中原のまだ見ぬ地平を夢想する余裕が生まれていた。

(20240516)
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