地球の歩き方
戦国と三國が混じり合い、そして妖魔といった人ならざるものが跋扈する。元の世界ならば協働しなかったであろう人が、国が、思惑を超えて連帯するのはこの世界では当たり前だった。
それは南中の王、孟獲であっても例外ではない。乙女も彼に従う軍勢のひとりとして、各地に出没する妖魔の撃退に力を注いでいた。
久方ぶりに、南中ではない所で戦った。乙女は新鮮な気持ちで、戦いであるというのにも関わらず生い茂る森林や草花、遠くに広がる地平線をまじまじと眺めたものだ。
だが。
「どうしたんだ乙女。あれくらいでへばるおめぇじゃねえだろ? それとも、まだ酒が抜けていねえのか?」
孟獲とともに南中の地に帰って来てから、まだそこまで時間は経過していない。
移動に時間が掛かるとはいえ戦いが終わってから休息を取る余裕はあったし、実際に乙女も戦の勝利を祝う宴ではそれなりに楽しんでいた。
体を休め、心を癒した後に帰ってきたのだ。孟獲麾下の男たちと祝融は彼と乙女が無事に帰ってきたことを喜び、今夜は祝勝会を開くなどといって騒がしくしている。つまり戦地で勝利後に行ったものと今回で、二重に宴が行われることになるのだが、孟獲はそんなことを気にする性格でもなく上機嫌でいる。
一方の乙女というと、手足を大きく広げて地面に仰向けとなって転がっていた。照りつける太陽の日差しも、地面に触れているせいで服が汚れているであろうということもお構いなしといった様子で、ただただ転がっている。
「なんか、帰ってきたんだなって思うと、気が抜けたなって」
孟獲は乙女が疲れきっていたせいでこんなことをしているのかと少しは心配していたのだが、彼女の言動を聞くや否や大声を出して笑った。豪快な笑い声が響く。
「そりゃあそうだ! 人間、肌に馴染む場所が一番安心するに決まっているんだ」
「そういうものかなあ」
「そうだ! 前にも言っただろ? おめぇはワシらの家族! おめぇがそうやって楽に過ごせるのも、家族だからだ」
乙女の故郷では定住地などなく、広い草原の中を移動しながら暮らしていた。乙女と共に行動していた人間の中には、それでも家族で過ごす団欒に心を癒す者も居たかもしれない。
だが、乙女はそうではなかった。だから、孟獲に改めて家族だと言われるのは、少しむず痒く彼女は感じた。
「私、家族を愛したことも、愛されたこともほとんどなかったから……やっぱり、変な感じがする。祝融にも言われたんだ。家族なんだからって私を迎え入れてくれた。こうやって広い大地をなんにも考えずに味わえるのも、家族が居るから……?」
雲の姿すら見えない快晴。空の青さがこのように晴れやかなものであったのだと乙女が気づいたのも、南中に足を踏み入れてからのことだった。
乙女が北の地に居た頃は、常に周囲の顔色を伺い、家族とされる人間の機嫌を損ねないことだけを考えていた。
だから、家族というものが本来はどうあるべき存在なのか、乙女は知らない。それでも彼女が家族について語れたのは、きっと祝融と孟獲のおかげなのだ。
「ワシは思うんだ。家族の絆ってのは何よりも強い! 家族ってのは、血の繋がりがどうとか、そういうんじゃねえ。血の繋がりがあってもいけすかねえ奴が居ればそいつは家族じゃない。きっとおめぇの家族は、本当の意味では家族じゃなかったんだろう」
「本当の家族?」
「本当の家族ってのは、外見も、血も、性格も、風貌も、そんなことに縛られないんだ。縛られないからこそ、家族として愛することができる……そして、自分自身も、この自然も、愛することができる……ワシはそう思っている!」
孟獲はそう言って、再び笑い声を上げた。
「……じゃあやっぱり、私は孟獲や祝融の家族だ」
小さくだが、乙女も笑った。孟獲の大声には敵わないが、彼女は自分自身に自信が持てたような気がした。
「ワシはな、おめぇや小次郎や魏延がワシらと戦ってくれるのが嬉しいったらない。家族が増えるというものは、いつだって嬉しいものだ。人間だけじゃねえ。虎や象達だってそうだ。全て、ワシの大切な宝だ」
孟獲は器が大きい。気づいたら南中に居ただけでここに留まっている乙女だけではなく、日ノ本の剣士だという小次郎や、蜀の将である魏延のことも受け入れている。彼らも乙女と同じように、複雑な生き様を送ってきたのだ。
南中と、南中を治める孟獲は、全ての人間にとっての理想郷のように乙女は思った。
「じゃあさ、孟獲。家族として……一つ、聞いてくれないかな」
「おうよ! 何でもやってやるぜ?」
乙女は珍しく、照れながら言った。
「孟獲のこと……父さんって呼んでも、いいかな」
「いいぜ、いいぜ! そんなことくらい、お易い御用だ! いつでも呼んでいいぜ?」
がはは、と孟獲はまた腹から声を出して笑った。
「ありがと……父さん」
「母さん」と最後に呼んだのは随分と昔のことだ。「父さん」と呼んだのは……きっと、初めてのことだった。乙女は嬉しくて、何度も何度も、「父さん」と呟き続けるのだった。
(20240517)