悪魔が来たりてなんかいう
「乙女〜」

独特の口調で話す、男の声がする。その声は自分を呼んでいる。いけない。乙女は反射的にそう思い、振り返って弓を構えようとする。

「やっぱり、反応は速いね」

「小次郎、なんで何回もこんなことするの」

薄笑いを浮かべた男、小次郎は長い刀を軽く振り、乙女に向かって斬り掛かろうとしていた。瞬時に乙女は迫ってくる刀を避け、弓を放り投げた。ここまで近寄られてしまえば、弓など役に立たない。乙女が極めて冷静に小次郎に対して尋ねた。

「人を斬るのに、理由なんているのかな?」

「私を斬っても、何にもならない」

再び小次郎は刀を振るおうとする。避けてばかりでは、この状況は打開できない。乙女はなぜ、一応は味方であるはずのこの男にこのような仕打ちを受けなければならないのかが分からなかった。乙女とて、人を殺したくて戦っていることではない。ただ殺さなくてはいけない状況であるから殺していただけだ。

「でも、君の剣はきっと人を斬りたいって言ってるよ」

迫り来る刃を交わしながら、乙女は腰に付けられた剣を抜こうかどうかの判断に迫られていた。

出来る限り、この剣は抜きたくなかった。小次郎に煽られてもなお、その気持ちは簡単には変わらない。だがこのまま彼の剣から逃げているだけでは、いつまで経っても終わらない。

「剣は使いたくないの」

「僕には分からない。刀は人を斬ってこそ生きるもの……人を斬らない刀なんて、意味がない」

それでもやはり、剣を使おうという気に乙女はならなかった。小次郎の言うことにも一理はある。剣が人を斬るためのものであるということは、乙女にも否定ができない。それでも嫌なものは嫌ななのだ。乙女は背中に背負っている矢筒から矢を取り出そうとする。小次郎に対抗できるのはこれしかないと思った。

「早く、斬り合おうよ」

小次郎が再び刀を構え直し、横に薙ぎ払う。それまで彼の斬撃を避け続けてきた乙女はその瞬間、刀の下をくぐるように潜り込み、矢筒から矢を引き抜き彼の首元にその切っ先を突き当てた。

小次郎の身長は高く、本気で殺すにはその距離は足りていない。だが乙女は仲間を殺そうとしているのではないし、小次郎が斬り掛かるのを辞めてくれればそれで良かった。

「……まあ、いいよ。君がそこまでするのなら……今日は見逃してあげる」

小次郎は渋々といった様子で刀を下ろした。

「なんで毎回斬り掛かるの。祝融とかにはやってないでしょ」

乙女も矢を戻し、地面に放った弓を拾った。小次郎と会えばいつもこうだ。味方なのだから、斬り合う意味が分からない。一応敵味方の区別は付いていて妖魔相手ならば頼れる彼ではあるが、毎回こうだと命がいくつあっても足ることはないだろう。

「……だって、君は可哀想な人間だから。斬ってあげないと」

「妖魔のほうがよっぽど可哀想だと思うけど」

可哀想だから、斬ってあげないといけない。生きているものは弱くて可哀想で、だからその生きるという呪縛から解放してあげなければいけないのだという。

はっきり言って、そんな考えに囚われている小次郎のほうが可哀想なのではないかと乙女は思った。

「違うんだ、君は。妖魔や斬る価値すらない弱者とは少し違う。君、その剣を頑なに使わなかったけど……そこに君の弱さが隠れている気がする。僕には分かるんだ。きっと君は、使わないだけで剣も弓と同じように扱えるはずさ。本当は」

知ったような口を聞いて。乙女は少し腹立たしく思ったが、小次郎の言うこと自体は全く間違っていなかった。

腰に下げた剣を一度も抜かないのには、理由がある。

「……確かに、あなたの言う通り。この剣は母親の形見だったから……本当はいい剣かもしれないけど、使う気にはなれない」

「母親の?」

言わなければいつまでも粘着されそうで、乙女は正直に打ち明けた。母親の形見だろうがなんだろうが剣は人を斬るためなんだから、などとでも言われるだろうと彼女は思っていたが、以外にも小次郎が反応したのは剣ではなく母親のほうだった。

「そう。……これ張コウにも話したしもう色んな人に言ってるけど……私の母親は父親の部下たちに拐われて妾になった人だから……その時、母親の屋敷もめちゃくちゃに荒らされたらしいんだけど、その時にこの剣も彼らに奪われた。母親は私が小さい頃に亡くなったけど、私は少しでも母親の面影に縋りたくて、剣を返してって言った」

小次郎は乙女の話を黙って聞いていた。彼にしては変だと乙女は思う。こんな話に興味があるとは思えないのだが。

「……ま、僕も似たようなことは経験してるからね。家族を失うのは辛いことさ。前に噂で聞いたよ。君は集団の中で暮らしていても、実際は一人で生きてきたのと同じようなものだったんだろう? 僕も一人になったのは一緒だからね」

「小次郎も?」

「そう。南中のように南にあって、暖かいところに住んでた。……僕は剣にだけ生きて、可哀想な人を斬ることが出来ればそれでいいと思っていた。今もそれは変わらない。でも、南中で孟獲たちとご飯を食べて歌や踊りを見たり聞いたりするのも、悪くないと最近思うんだ」

小次郎と同じだと乙女は自分自身に対して思った。

孤独であっても良いのだ、むしろそれが当たり前の状態であったのだから、構わなかった。だが南中は違う。気候だけではなく、全てが暖かい。彼の言うような「可哀想」な人間であっても、この地では救われるのだ、きっと。

そして、可哀想なのは小次郎のいうような弱者だけではない。乙女も、そして小次郎自身も含まれている。だからこそ小次郎は弱者と可哀想な人間が許せずにいるのだ。小次郎が人を斬るのは、自分が救われたいがための裏返しだ。自分を超える強者に斬られて初めて、彼は自分が救われたのだと感じることが出来るのだろう。

「私も同じ。……偶然でも南中に辿り着けたことは、自分にとっていい事だった。孤独を忘れられるし……小次郎もさ、ずっとここにいたら、分かるんじゃないかな。自分たちは可哀想な弱者じゃないんだって」

死という救済を選ぶ必要などないということに小次郎が気づくのは、まだ先の話なのだろうということは乙女にも分かる。一度纏った考えというものは、簡単に変わるものではないからだ。

それでも、と乙女は思う。自分が家族の温もりというものを知ったように、未来への希望が生まれたように……小次郎もきっと、本当の意味での救いがいつかは訪れるはずだと。

「うん……そうだね」

そう言った小次郎の表情はいつもと変わらないように見えた。ただ金色の耳飾りだけが、彼の心の動きを映し出しているかのように、ゆらゆらと揺らめいていた。

(20240518)
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