時間電話
武蔵
「少数の兵を連れて撹乱する」
魏延にそう告げて仲間の居るとされる砦へと向かった乙女だったが、そう簡単に仲間の救出は出来なかった。
それどころか、その仲間が居るという状況が偽りの情報であったらしいと彼女が気づいたのは、既に妖魔の大群に囲まれてからだ。
あの伝令は、乙女の目からは明らかに人間にしか見えなかった。
妖魔が人間に化けているのか。それとも、人間が妖魔に協力して諜報活動をしていたのか。人間であっても、妖魔に協力している輩が居ると聞いたことがある。あの伝令もそういったものだったのだろうか。
そういった事を考える暇などないはずなのに、乙女はそんなことを考えていた。全ては後の祭りであるというのにも関わらずだ。
矢は尽きてしまった。もう一発と思い矢筒に手を伸ばしたが、そこにあるのは虚無だった。乙女は絶望する。
決心して、彼女は剣を抜いた。生まれて初めての経験だった。
腕が震える。弓とは全く違う。共通するのは人を殺すということだけだ。
こんなことになるのならば、小次郎に剣を教わっておくべきだった。後悔しても遅いということは分かっているが、思わずそう思ってしまうほど、今の状況は危機的なものだ。
「乙女!」
自分を呼ぶ声がする。乙女は上手く扱えない剣を振るいながら、天からの迎えが来たのかと錯覚した。
だか声のする方向に顔を向けると、そこに居たのは見知った顔だった。
「武蔵!」
そこに居たのは武蔵だった。彼は援軍を連れて乙女の援護に来たらしい。剣豪である彼は瞬く間に乙女の周囲に居た妖魔を蹴散らした。
「俺のことは構わずに、行け! あっちからだと無事に撤退できる!」
武蔵は乙女の方をちらりと見てそう言った。礼を伝えるよりも早く彼は敵陣の中に駆け込んで行く。乙女は武蔵の言葉に従って駆けた。
馬は既に使い物にならなくなっていた。馬は小さい頃からの仲間のようなもので、乙女はどんな馬にも愛情を注いでいた。
ごめんね、と謝罪の言葉を念じながら、乙女は徒歩で走り続けた。武蔵や魏延のことは気がかりだったが、彼らのことを考えるよりも自分が無事でなければいけないのだと強く思いつつ、乙女は逃げ続けた。
「お前が無事で、本当に良かったぜ……時を超えた甲斐があった」
帰陣した乙女に続いて、武蔵は妖魔を倒した後彼女に合流した。
武蔵が言うには、乙女は本来の歴史ではあの場で戦死していたらしい。それを仙界の少女、かぐやの力を使って時を渡り、乙女の援軍として武蔵が馳せ参じたという。
にわかには信じられない事実だった。
「確かに死ぬかもって思ったけど……信じられない」
乙女は汚れてしまった剣を手入れしながら呟く。母親の形見に、人ですらないものの血を塗り付けてしまった。そして、刃こぼれが生まれてしまったということが彼女の心を沈ませた。
「それも無理はねえさ。俺も本当は小田原で死んでいた……らしいんだが、同じような方法を使って助かることが出来た。だから俺も報いようと思って、お前を助けたいんだと頼み込んだんだ」
「武蔵……お礼しきれないなあ」
礼なんて要らねえって。武蔵はそう言った。あんなに多くの敵が居たというのに、彼には疲れた様子が見えない。
人を助けるのは、思っているよりも疲弊するものだというのに。乙女は武蔵の思いやりに感謝しつつも、彼が何かに報いようとの思いで自分を助けたことが不思議にお萌えて仕方がなかった。
武蔵とは関わりがあまりなかったからだ。小次郎とはただならぬ関係性であるということを、乙女は小次郎本人が話したことから読み取っている。そうした関係であるから武蔵とは少し話す機会があっただけだ。
「なんで、私を助けてくれたの。自分にしてくれたことに報いたいのなら、私じゃなくても良かったはずなのに」
武蔵は打って変わって言葉に詰まった。
「……なんか、上手く言葉が見つからねえけどさ……お前、小次郎と仲良いだろ。お前が居なくなったらあいつ、悲しむだろうなあとか……色々、考えちまって。……俺もさ、お前が死んじまったって聞いたの、辛かったしよ」
武蔵は自分の言葉を上手く伝えることが苦手なのだという。だが乙女はそんなことを感じなかった。むしろ、彼の率直な思いが聞けて、深淵嬉しく思った。
「……ありがとね。私もさ、武蔵と居るの、好きだし」
武蔵は口数が多い人間ではない。それゆえに不器用なところもある。乙女は武蔵とはあまり話したことがなかったが、小次郎に友人が出来たということを本人以上に喜んでいた。
友人が死んだら、悲しいのは当たり前なのだ。それは家族も同様である。乙女だって、小次郎や武蔵が死んでしまったのだとしたら悲しむだろう。容易に想像することが出来た。
乙女は早く帰って、小次郎に会いたいと思った。戦場で袂を分かった魏延とも。そして張コウや祝融、孟獲にも。
北の地にいた頃には考えられないことだった。
自分が誰かを愛し、愛されるなんて。
大切なことを教えてくれた南中に、早く帰りたいと乙女は思うのだった。
(20240519)