Infections Of A Different Kind
「なんだ、そんなに私を睨んで」

「散歩」から戻ってきた趙雲を、乙女は快く迎えるわけでも、何か声を掛けるわけでもなく、無言でただ見つめていた。椅子の上に三角に座って、縮こまったようにしている彼女。趙雲は特に気にする様子もなくずかずかと歩み寄る。ここは趙雲の居室であるから、それは当たり前の行為だった。

「それ、返り血でしょ」

彼女の腕は三角に曲げた足を支えるために使われている。顎でそれ、と指示する彼女は傲岸不遜と言っても良いだろう。趙雲は袖の辺りを見て、「ああ」と声を上げた。

「賊がいたから、散歩ついでに仕留めただけだ」

洗ったとして替えはあったかな、とぼんやり考える趙雲だったが、乙女はさも不快そうにしている。彼女はいつもそうだった。趙雲が人を殺したのだと知れば、その度に機嫌を悪くする。返り血に濡れていたり、血の匂いがしているのならば尚更だった。

血の匂いなど、趙雲にとっては慣れたもので特に気にするようなものではない。だが乙女はそれも気に入らないらしく、こうやって彼に対して嫌悪感を隠そうとしないでいるのだった。

「なんでそんなに野蛮なの、ここの国の人達は。ビョーキみたい」

「失礼な。私を病人呼ばわりするなど……」

「早く服、着替えてきてよ。後ろ髪にも血がついてる。信じられない。そんな姿で戻ってくるなんて」

「わがままだらけだな、お前は。ここは私の家だぞ」

「私、当たり前のことを言っているだけよ」

わざとらしくため息を吐いて、趙雲は部屋を出ていく。それは品行方正な普段の姿からは考えられないような趙雲の姿で、ある意味そんな一面を容易に引き出す乙女という存在は非常に貴重であるのかもしれない。最も、そんな趙雲の姿を乙女は好ましく思っているということでもないのだから、全くもって意味がないのであるが。

乙女はこの乱世から遥か先の未来、趙雲からすれば想像も及ばぬ「戦のない世界」からやってきた。だから、趙雲のやることなすこと全てに文句を言いたくなるのは、当然なのかもしれない。

趙雲も別に、乙女をわざと虐げたいなどとは思っていない。ただ価値観は合わないし、合わせるつもりもないとは思っている。

大体、初めて乙女に出会った時、彼女はもう少し素直で、それなりに可愛らしい少女だったと趙雲は思っている。何もかもが一変し戸惑うことしか知らなかった彼女を引き取り最低限の生活ができるように手配したのも、そうまでして世話をする程度には同情心を駆り立てられたからだ。

それがいつの間にか、乙女は元から趙雲の邸宅に住み着いていたかのように自由奔放な振る舞いを見せているし、今や地位の高い趙雲に対して無礼とも思えるような発言を繰り返すのだから、流石の趙雲も辟易してしまい、そうして何の進展もないままに今に至る。

以前はもう少し活発で趙雲と共に暇つぶしとして街を歩くこともあったのだが、今は専ら邸宅に引きこもっている。体を動かしていないと気が済まない趙雲からすれば信じられないといってもよかった。

趙雲が彼女の指示通りに着替えて髪に絡まった血を落として戻ってきたときも、乙女は変わらずに同じ姿勢を保ち続けていた。趙雲へ向ける厳しい視線も変わらずである。

「ほら、これで満足か」

趙雲は下ろした長い髪を纏め、紐で括りながら話しかける。乙女はやっと姿勢を変え、椅子から足を放り出して地面に付けるまでもなくぶらぶらとつま先を動かした。

「まあね」

「いい加減、血くらい見慣れればどうだ。私はそれが仕事のようなものだ」

「無理に決まってるでしょ」

素直ではない乙女を前に思わず趙雲はそのようなことを言う。彼女が座る椅子の前にある机を隔てて、趙雲も腰を掛けた。水差しから水を注いで飲み干す。散歩とは名ばかりの偵察から帰ったばかりで、喉は水を欲していたらしい。勢いよく水を飲み干す趙雲を、やはり乙女はじっと見つめている。

「やっぱりビョーキよ。別に趙雲のことだけじゃなくて、全ての人が」

「何がだ。人を殺めることがか?」

「そうよ」

「……そうは言っても、私だって人を殺したい狂人ではない。それは分かるだろう。戦いの果てに真の平穏な世が待っているのだと確信しているから、私は己の身を犠牲にして戦っている」

「綺麗事にしか思えないわ」

「お前の居た未来の世界とやらは、私達が身を呈したおかげで成り立っているのだろう? 現にお前は、戦いの傷跡と言うものを知らない、私達のような痛みも知らない」

我ながら意地の悪いことを言う。趙雲は自覚していたが、一方的に貶されて黙っていられるほど、趙雲はこの少女に優しくできる気はしなかった。

「……あのね、確かに私のいた未来、私の国っていうのはさ、趙雲みたいに戦っている人なんていないって言ったけど、別に世界中みんなそうってわけじゃないの。何千年経っても、争いでしか解決できないこともあるわ。人は同じことを何千年も馬鹿みたいにやっている。あなたが戦っている事実とは関係なしにね。……それに、私だって痛みを知らないわけじゃない」

趙雲は乙女の居た未来の話など、話を聞いたところで想像などつかないと思っている。だから彼女の話にはそこまで興味が湧くということもなかった。だが彼女自身の話ならば、なぜだか知りたいと思った。断片的にしか聞いたことがなかったし、近頃の彼女はあまり自分のことを話さなくなっていたから、いい機会だった。

「趙雲はさ、戦場で人を殺せばそれは褒められることになるでしょ。そうしないと理想を体現できないんでしょ。けれど私の国ではそうもいかない。人を殺さなくても生きていけるし世の中は成り立ってる。でもそんな世の中なのに人を殺すような頭のおかしい人もいる」

彼女は迷うような素振りを見せて、再び口を開いた。

「……私の友達はね、そんな頭のおかしい人に殺されたの。趙雲みたいに綺麗な理想があるわけでもない、ただの殺人狂に殺されたの。こんなよ信じられないことよ、私の国では」

腹立たしいほど生意気、ともとれる普段の彼女は、目に涙を浮かべていた。趙雲はぎょっとしたが、涙を拭ってやるということができるほど、彼女との関係が構築されているとは言い難いものだから、何もすることができなかった。

「私が血に濡れているのを執拗に嫌がるのは、殺された友人とやらを思い出すからか」

趙雲は乙女を慰めるわけでもなく、そんなことを口走っていた。乙女は自分の指で涙を拭っている。趙雲とて、身近な人が亡くなるということを何とも思わないほど感覚が麻痺してなどはいない。だが同時に、彼女が自分に対して素直でなくなってしまった原因が分かったと思った。分かってしまったのだ。

「……そうよ。趙雲がね……別に、趙雲が悪いわけじゃないって本当は分かってるけど……けっこう前の話になるけど、街に連れていって貰った時にね……趙雲が私を守るために人を殺したでしょう。あなたが殺人鬼なんかじゃないっていうのは心では分かってるから、受け入れようとしたけど……やっぱり、無理だと思って、それで……」

合点がいったと趙雲は思った。乙女が、趙雲からすれば「素直でない」状態となったのは、確かにそのあたりからだったように思える。

それすらも曖昧になるほど、彼女と過ごした時間というものは思いのほか長いものだったらしい。

乙女は元来、本当に素直で、本当によく笑う少女だったのだ。それはきっと、趙雲が傍にいたからだ。友人を亡くして傷心していた彼女が穏やかに過ごしていたのも、趙雲が懸命に彼女のことを支えようとしていたからだ。

良かれと思って、街に連れ出したり様々な人に会わせたりもした。勿論彼女が未来からが来たなどということを広められでもすれば騒ぎになるだろうか、遠縁の娘であるとの紹介をしたりもした。趙雲はそれなりに楽しいと思っていたし、きっとそれは乙女も同じだ。

それが崩れてしまったのは、街中を荒らそうとしていた賊が乙女に矛先を向けようとしたのがきっかけだった。趙雲は彼女を守るために賊を殺した。乙女からすれば、賊のほうが悪いとは分かっていても、死んだ男は亡くした友人、趙雲のことは友人を殺した憎き人間のように思えたに違いない。

あまりにも、趙雲にとっては当たり前であることだから、分からなかった。乙女の世界では、殺人など忌避されるものであって当然なのだ。それが例え正当な理由だとしても、乙女がそう処理できるとは限らない。

価値観の違いなどあって当然のものだし、今更どちらかが歩み寄るようなものではないと趙雲は思っていたが、そうも言っていられないのかもしれない。

「……お前が『そう』なった理由が、やっと分かった」

だからといって、あの時のあの行為を謝罪しようなどという気になれないというのは、強情でありすぎるのだろうか。

「でもね……私が血を見るのは嫌だって思うのは、これだけじゃない気がする。これも私を苛立たせる原因なんだっていうのが、確かに、あるの」

「なんだ、それは」

「……趙雲が傷つくのは嫌だなって。死んでほしく、ないなって」

趙雲は、少しだけ……彼には珍しいことにきょとんとした顔つきを見せた後、ふっと目を細めて笑った。

「お前は、そんなことを考えていたのか」

そう思うと、今まで乙女が趙雲に向けていた図々しい態度や言動も、急に全て可愛らしく見えてくるのだから、不思議だと思った。

「……うん」

乙女は涙を浮かべたまま、趙雲から目を逸らして頷いた。やっぱりまだ素直じゃない。けれどもこれは紛れもなく彼女の本音であるのだから、これでいいのだろうと思った。

「安心しろ、私は死なない」

「本当に……?」

「当たり前だ。お前のことを思うと、尚更だ」

戦での活躍を聞かせてやりたいものだったが。正直に誰を倒しただとか、殺しただとかを言えば乙女には本当に嫌われてしまいそうだなと思って、辞めた。




「なあに、それ」

それからも乙女は趙雲の邸宅に居候しているままで、それなりに趙雲の手を焼いている。幾分扱いやすくはなったと思うし、以前のように二人で街に繰り出すことも次第に増えていった。だが趙雲はそれが疎ましいと感じることもなく、比較的穏やかに過ごしている。

趙雲が散歩だと言って出ていったから、乙女はまた賊の首を取ってくるのだろうかと嫌な気持ちになったものだったが、予想に関して趙雲が抱えて帰ってきたのは首などという物騒なものではなく、青い色をした綺麗な花だった。

少しだけ、見覚えがあるように乙女は思った。

「竜胆という。私はこの花が好きだ」

水を入れた花瓶に、趙雲は竜胆を挿した。机の上に花瓶を置くと、乙女は椅子から立ち上がって、趙雲の隣に寄り添った。竜胆という花は、竜の肝と書く。字に龍の字があり、満身これ胆なりと喩えられたことのある趙雲にとっては思い入れが深い花だった。

愛用している槍の銘にも竜胆という名が刻まれている。そうした縁もあってか、趙雲は例え戦場であっても、この花を踏み潰すのには良い思いをしてこなかった。

だからと言って趙雲に花を生ける趣味はない。彼がたまたまこの花を持ってきたのは、気まぐれでしかなかったのだが、乙女は妙に見入っていた。

「りん、どう……」

花瓶に挿した竜胆の花を、乙女はじっと見つめる。趙雲は正しい花の生け方を知らないから、本当にこれでいいのか不安だった。だが食い入るように花を見る乙女を見て少しは安堵した。

が、乙女の瞳から涙が一筋零れ落ちたものだから、趙雲は思わず声を上げそうになった。彼女の涙を見たのは、あの日以来だった。

「あのね、趙雲」

「なんだ」

「今、思い出した。……なんで忘れちゃってたんだろう。……死んじゃった友達がね、竜胆の花が一番好きだって、一番美しい花だって。遠い昔にね、言っていたのを思い出したの」

趙雲は無言で、乙女の涙を指で拭った。それくらいのことをしても、今の彼女なら受け入れてくれるだろうという微かな自信があった。乙女ははっと驚いて、そして少女らしい彼女の手が趙雲の手首を掴んだ。趙雲の大きな掌に、彼女は頬を寄せる。

「ありがとう、趙雲。きっと、私の友人が私と貴方を巡り合わせたのね」

趙雲は薄く笑って、乙女の頬を撫でた。彼女と初めて会ったあの日も、竜胆の花が咲き誇る秋の日のことだった。そう朧気ながらに思い出して、この縁に感謝した。

(20240721)
mainへ
topへへ