◆それはただのうわ言か

どこにもいかねぇから泣くな。

兵長の手が死にそうな私の手を握った。私は頭から血が出ていて、もうダメなんだと思った。朦朧とした意識の中、自分は何かをしゃべっていた気がする。何話していたのかなんて、全くわからない。混濁した意識の中、ただ、兵長がそう言って私の手を握ったのはわかる。なぜか、安心して、深く息を吐いて目を閉じた。なんだか今ならぐっすり眠れる気がする。

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目が覚めたら、頭に包帯が巻かれていた。ここは、医療室だ。白い天井にカーテンが引かれていて、私は小さなベッドの上に横たわっていた。ぼーっとした頭で、ただ天井をみていたら、そっとカーテンが開いて兵長が入ってきた。目を開けている私に気づくと、ハッと口を開いて足を止める。

「気づいたのか。」
「はい、今。」
「そうか。具合は?医者は必要か?」
「大丈夫です。」

兵長は口を閉じると、ベッド脇の椅子に腰をかける。そして、私の顔をじっと見つめた。私はぼんやりと彼を見つめ返す。無言の見つめ合いがしばらく続いて、首をかしげた。

「お前、怪我をしたときのことを覚えているか?」
「あまり。」
「そうか。お前は、巨人に手で払われて落ちたんだ。幸い木がクッションになったが、頭を打って倒れていた。医者も大きな問題はねぇがしばらく安静にしろと言っていた。そうだな、ここ1週間は無理するんじゃねぇぞ。」
「はい。」

そうだっけ、そんなことがあったんだっけ。本当にその部分だけ覚えていない。ただ、気絶する前に兵長がいて、手を握ってくれたことは覚えている。

「兵長、ありがとうございます。」
「完全に治ってからいえ。」
「はい。でも、確か、手を握ってくれた気がします。」
「気がするんじゃなくて握った。」

彼はややぶっきらぼうに答えると、私の手を見つめる。

「お前がガキみてぇにビービー泣くからな。」
「え?泣いた?」
「駆けつけてみりゃ、怖いだの痛いだの寂しいだの、いきなり泣きだしたから仕方なく握ってやった。」
「…す、すみません。」

勿論そんな記憶は一切ない。ただ、ひたすら自分の口が何か話していたのは覚えている。でも、なにを言ったのかも知らないし、泣いたことも全く覚えていない。そんなことを口走っていたのかと思うと、一気に恥ずかしくなった。恥ずかしさから顔を隠すために布団の端を引っ張って鼻先まで引き上げておく。

「今更恥ずかしがってんじゃねぇ。」
「ご、ごめんなさい。」
「息できねぇだろ。下ろせ。」
「…っ。」

兵長の綺麗な手が鼻先にかかる布団を下ろす。なんだか、今日は兵長が近い。距離というか、そこにい続けるから、一緒にいる時間が長い気がする。そんなことに気づいて、少し質問してみた。

「あの、…ここにいていいんですか?仕事とか、ないんですか?」
「別に構わねぇ。他の連中はみんな休んでいる。巨人どもと戦って帰ってきてすぐに仕事を再開するのはエルヴィンくらいだ。…それに、」
「?」
「俺に離れるなと言ったのはお前だろ。」
「え!?」
「あ?なんだ、それも覚えてねぇのか。」
「そ、そんなこと言いました?」
「ああ。俺の名前を呼んでどこにも行くなと泣いていた。それに、お前は気絶する前に……ああ?もしかして、その先のことも忘れてるとはいわねぇよな?」
「え?その先?…?」
「だから、お前が気絶する前に俺に言ったことだ。」
「…え。」

分からないでいると、私をガン見して見下す兵長の顔がだんだん怖くなってきた。答えられないでいると、彼は舌打ちして立ち上がる。いきなり怒ったように帰ろうとするので、慌てて起き上がると頭に激痛が走る。小さな悲鳴をあげて、頭を抱えて丸くなると、兵長の足はピタリと止まる。そして、肩越しに振り向いて、ため息を小さく付きながら戻ってきてくれた。

「無理するなと言ったはずだ。」
「だって、兵長がいきなり帰るから…。」
「…。」
「どこかにいくから…。」
「悪かった。どこにもいかねぇから安心しろ。」

また椅子に腰掛ける兵長に安心する。私は頭から手を離すと、兵長が足を組んで目をそらしながら口を開く。

「…お前、俺のことどう思う?」
「へ?」
「その通りの質問だ。さっさと答えろ怪我人。」
「ぐっ…、ど、どうって、尊敬していて、すごいと思ってます。」
「その他にだ。」
「…たまに優しい。」
「その他にだ。」
「目つき悪い。」
「アァ?」
「ご、ごめんなさい!って、え?なんていわせたいんですか?」
「…死ぬ気で思い出せ。俺に言った言葉を。そうじゃなきゃその頭カチ割るぞ。」

えーっ、と半泣きになりながら思い出そうとするけれど、私はさっぱり思い出せない。何でしたか?と聞いても兵長は絶対に教えてくれなかった。

end

…いたぁい、こわい、へいちょ…へいちょ、う。
俺はここにいる。
いたい、…たすけて、くださ、い。
待ってろ、今、衛生兵が来る。
まって、いかないで、…そばにいて、離れないで、…こ、ここに、ここにいてください。
どこにもいかねぇから泣くな。
…へいちょう。
何だ?
…好き。


「…さっさと思い出せクズ野郎。」
「えーっ、なんか言いました?ありがとうとか?助けてとかですか?」
「おい、ドクター。こういうやつはもう一度頭をぶつけりゃ思い出すもんなのか?」
「いやぁ、まぁ刺激が影響して記憶が想起されることはあるが…。そんなに大事な記憶が飛んでしまったのかい?」
「…ああ、そうだ。」
「忘れるってことは大して大事じゃなかったんじゃないですか?…イタタタ!!?」
「てめぇ…俺に喧嘩売ってんのか?」
「おいおい!怪我人になんてことを!?」


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