眼鏡とヨリを戻す場合

前の人は、なんでも出来た。
家事が得意で面倒見が良い。特に料理がシェフ並みに上手くてレパートリーも多かった。もちろん味も良くて、よく手料理を作ってくれた。

他にも自慢できるところはある。

頭も良くて強くて、車の運転もうまい。かなり、ハイスペックな人だった。しかも、性格は真面目で、決して遊びで異性と関わることはない。浮気の心配もなくて、安心できる男性だった。彼はきっと、いい夫でいい父になれる人だと思う。

でも、そんな完璧な人を私は手放した。ふった理由は、重いから。彼は遊びで付き合うことはないから、私とのことを先まで考えながら交際を続けてくれていた。でも、その時の若い私は未熟で軽くて、てきとーに人生を生きていた。重いことや責任が伴うことは苦手で、彼の真面目な交際が負担になった。
だから、滅多に手に入らない上玉を自分から捨ててしまった。

そんなことを、何故か今日色濃く思い出した。理由は…多分、その人と別れた日付が今日だから。

「バカな私。」
「そうだな。」

隣で話を聞いてくれる男の人は、同意してカクテルを口に含んだ。私は空になったカクテルをテーブルに置いて、隣の彼を見つめる。

「あなたは、よくバーに来るの?」
「いや、滅多に来ない。料理は自分で作るし、アルコールもほとんど摂ることはないからな。」

淡々と、クールに、でも丁寧に教えてくれる。私はうなづきながら、目をこすった。もう少し話をしていたいけれど、酔って眠気が来ている。

「お前は、よく飲みにきているのか?」
「うん、たまにね。」
「下心のある男は多い。気をつけるんだぞ。」
「知ってる。でも、あなたは大丈夫でしょ?」
「…どうだかな。」

彼はクスッと笑って、瞳をこちらに向ける。その反応が予想外で、本当に知らない人と話している気持ちになった。

彼は試すような、仕掛けるような話し方をする人だったっけ?それに…こんなにオシャレな服を着る人だったっけ?前髪を下ろしてメガネも取ったまま外出する人だったっけ?
…2年も経てば、人は変わるのか。

「眠いのか?」
「そろそろ、帰ろうかな。」

カバンの中の財布を取り出そうとすると、彼が遮るように自分のポケットから財布を出す。

「よかったら家まで送ろう。」

彼は私より先に席に立つと、手を差し出した。本当に、紳士。こんな私でもまるでお姫様のように扱う。

◇◇◇◇◇
店から出て2人で歩く。星の少ないその夜は、寂しいけれど落ち着けた。彼は私と一定の距離感を保ったまま、車道側を歩いてくれた。特に会話がなくても、居心地は悪くない。でも、昔のような近さはない。手を伸ばせば握られるその綺麗手が気になったけれど、無理やり目をそらした。

「家、ここだったな。」
「うん。」

家の前で二人は足を止めた。二人の目は絡み合った。でも、肝心な言葉は出てこない。沈黙が続いた後、彼から期待する言葉が出てこなくて、諦めた。

何を期待しているんだか…。

私は彼から目をそらして、自嘲気味に笑う。

「送ってくれてありがとう。」
「ああ。」
「じゃあ、」
「また。」
「え?」

別れの言葉を遮るように、イグニスは言葉を紡いだ。モヤモヤした心が晴れて、彼の目を見つめる。

「また、会ってくれるの?」
「お前がよければな。フッたのはお前だろ。」
「うっ…。あの頃の私は、…子どもで、ごめん。」

2年前、未熟な私は彼を拒んだ。もう彼は戻ってこないと後悔していたのに、彼からこれからの私たちを望んでくれた。

自分でも驚くくらい、素直に謝る。イグニスは驚いたように瞬いた後、微笑みを浮かべてくれた。

「悪いと思うのなら、また俺と会ってくれ。」


end


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