宰相が医者になった場合

その日まで具合が悪くても、市販の薬や栄養剤でごまかしてきたけれど、ついに体調が悪化した。ヘロヘロの体でイズニア医院に辿り着く。

ここはいつも混んでいる。医者のアーデン・イズニアは名医だから仕方がない。

彼の医者としての評判はかなり良くて、いつも待たされるから正直来たくなかった。
それに、混んでいる理由は、腕がいいだけではない。彼の容姿の良さから、女性の患者が後を絶たない。
具合が悪いのなら、化粧なんてしている余裕もないし、そんな薄着できたら体が悪化するに決まっているのに、その点は完璧なコンディションでくる"患者"さんがかなりいた。

…そんな女性たちを見るのは、心が痛む。だから、来たくなかった。

「ゲホゲホっ…。」

私は待合室の中でかなり浮いていた。ジャージできて、死にかけの顔で隣の柱に頭を寄りかからせながら座っていた。手にした番号札が呼ばれるのは、今か今かと気にしつつ30分は待っていた。

それぞれの診察時間は5分程度で人のハケもいい。患者が一人一人と減っていって、そろそろかと思った時に呼ばれた。

ー 番号札32番の方、どうぞ診察室にお入り下さい。

看護師さんの声が私を呼ぶ。だるい体を何とか起こして、ふらふらと診察室に向かった。
ドアノブをひねると、長い脚を組んだアーデン先生が私を待っていた。

「やぁ、久しぶりだねぇ。」
「お、お久しぶりです。」

アーデン先生。ぶっちゃけ知り合いだ。もっとぶっちゃけると隣の部屋の人だ。さらにぶっちゃけると、一週間前に玄関で会った。そして、実はいうと、恋人だ。

「あっれ、随分具合悪そうだねぇ。今日はどしたの?」

もちろん、ここは彼の職場。恋人であっても、今は医者と患者だから、変に馴れ合いはしないように意識している。
私は頼りない足取りで椅子に座ると症状を伝えた。

「熱が37度8分ねぇ。お腹は?痛くない?鼻水は出る?咳は?」

朦朧とする頭で答えた後、アーデン先生はサラサラと万年筆を走らせる。分からない文字を書き込んだ後、聴診器を耳にあてた。

「よし、お腹見せて。」

されるがまま。お腹と背中を見せた後、先生は続ける。

「ちょっと寝てみようか。」

今度はお腹を見せたままベッドに寝かされた。先生の手の平が少し汗ばんだ私の腹部に触れる。私は目を閉じていると、呆れた声が降って来た。

「どうしてこんなになるまでほっといたんだよ。」

彼の口調が変わっている。アーデン先生から、アーデンに変わっていた。

「ほっといたわけじゃないよ?市販の薬で頑張って持ちこたえてたの。」
「俺のところにすぐ来なかったから、熱まで出ちゃったんだろ。…ここ、痛いんでしょ?」
「いたっ。」
「やっぱり。流行りの胃腸炎に乗っちゃったみたいだ。今度から迷わず俺のところに来るように。」
「…うう。」
「もしくは、俺の部屋にすぐきて。治してあげるよ。」
「…うん。」

もう片手が私の頭を優しく撫でる。

「ふふ。たまには俺の職場で会うのも悪くないな。なんだか、患者さんとイケないことしてるみたいだ。」
「…っ。変なこと言わないで!」
「おっと、元気な患者さんだねぇ。外にその声聞こえちゃうよ?」
「うぅー…ごめんなさい。」
「どう?出会いたての頃を思い出した?」
「そ、そんなことないっ。…っていうか、他の女の患者さんにも変なことしてないでしょうね?」
「するわけないじゃない。まじめに診断してお大事に、って返してるよ。君だけだから。」

ふふ、と笑うとアーデンが離れる。私は起き上がって、はだけたシャツを直した。

「ああ、そうだ。点滴打っていきなよ。」
「点滴?」
「そ。その様子じゃ、食欲ないんだろ?」
「うん。」
「じゃ、決まり。注射のうまい子に頼むから大丈夫だよ。あぁ、あと、もう2人で今日の診察は終わりだから、今日は一緒に帰ろう。」

久しぶりのアーデンとの会話は、やっぱり居心地が良かった。私の仕事が立て込んでいて、ほとんど時間が取れなかったから。私は甘えるようにうなづくと、アーデンはにっこり笑った。
そして、アーデンは机に向かうと看護師さんを呼ぶ。

「先生、お呼びですか?」
「その子に点滴お願いね。」
「はい。では、こちらにどうぞ。」
「じゃ、お大事にね。」

看護師さんがいれば、アーデン先生になる。私も患者になって、頭を下げる。
別れの挨拶の後、ガチャリと診察室の扉が閉まったけれど、私たちの関係がまだまだ続いていることは、誰も知らない。


end

アーデンが医者だったら、というお話。
注射のうまい看護師さんはルーナという設定です。


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