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やってしまった。いやそういうことじゃなくて、いやいやそういうことでもあるんだけど、二重の意味でやってしまったというかここのところこんな失敗しなかったしずっと気をつけていたのになんで、しかもよりによって、年下の男となんてありえない。どう考えてもダメなやつだ。そっと振り返れば現実が転がっている。ベッドの上で、大きい筋肉質な上半身を惜しげもなく晒し眠りこけている現実が。夢であってくれればよかったのに、この顔の良さは眠気すら吹き飛ぶ。好みの顔じゃなかったらこんなことにはならなかったんだ。この男が私のど真ん中ストレートだったのが原因だから私は悪くない。そう、そうだ。そういうことだ。だからここは逃亡しても許されるはずだ。何故なら私は被害者だから。めちゃくちゃなことは重々承知だがそう考えでもしないと死にたくなる。言い訳にもならない言い訳を並べて、私は散らばる服を拾い上げては身につけ、最後に明らかに私のではない帽子を目深にかぶって転がるように家を出た。すまない少年、これは悪い夢だったと思って忘れてくれ。私もそうする。ありがとうさようなら、この広い豪州の地で再び会うことはもうないであろうけどお元気で。



『よぉ、名前。ホリデーはどうだった?』
『ホリデーって…たかだか2連休で』
『休みは休みだろ?』
『まぁそうですけど……どうもこうも何もなかった……………………ですよ』
『お前そりゃぁ無理があるだろ、なんだよその歯切れの悪さ』
『いや、そういえば休み中変な夢みたなあと思って』



休み明け、勤め先であるプール施設の事務所で上司とそんな話をしながら作業を進める。忘れようと思ってたのに思い出させるんじゃない。私はあのあと猛省したのだ。しばらく禁酒することも誓った。「酔った勢い」ほどタチの悪いものはないんだからな。わかったか、私。再度戒めながら、この話はもうしたくないので施設内のポスターを交換でもしてこようと資材とともに事務所を出た。



「あの、」
「はい、日本のかた………で、」
「…覚えてますか」



日本語で話しかけられ、見学目的の観光客かと思い振り返る。しかしそこに立っていたのは私よりもずっと背が高く、ガタイのいい、可愛い顔した男。私が2日前から必死に忘れようとしている男だった。何故いる。



「…どちら様ですか?」
「あー……この前公園で、その、助けてもらって」
「……あぁ、あの時の」



そうそう、確かバス停近くの公園で変な輩に絡まれていた。あまりに綺麗で可愛い顔をしているからかソッチの趣味の男に口説かれてるところを割って入ったんだった。そうか、その時のお礼か。そんなのいいから早くここを出ていきなさい少年。



「…それでそのあと、一緒に飯食いに行って、」
「…そうでしたっけ」
「酔い潰れたあなたを…その、住所全然言わないから俺の家に連れていった、んですけど…」



まぁそうだよね全部覚えてるよね知ってた。でもね、だからって律儀に言わなくていいんだよ。私がどちら様?って言ってんだから忘れたいことってくらい察してくれてもよくないか?うん、いやまぁ落ち着け、笑顔だ私。とりあえず笑っときゃなんとかなるっておばあちゃんも言ってたしな。女は度胸と愛嬌だ。どうにかこの場を乗り切らなければ。



「えーと、松岡クン」
「名前……覚えてるじゃないですか」
「今日の夜は予定あるかな?」
「い、いえ……」
「じゃあ最初に会った公園で待っててもらえる?」
「あ、はい……」
「じゃ、私仕事あるから行くね」



ポスターも貼らず、ただ抱えてきただけになってしまった資材を再び持ち上げ今来たばかりの通路を早足で歩く。後ろからずっと視線を感じるが絶対に振り返ってはだめだ。というか、あの場をどうにかするためとはいえ、今夜予定あるかなじゃないんだよ。会ってどーすんだ。会いたくないんだって。忘れたいんだって。まぁでも松岡クンも馬鹿じゃないだろうし、10分待って来なければ帰るだろうし、私は公園なんか行かずに直帰すればいい。そうだそうしよう。すまない少年、と、いつかの朝も唱えたことを思い出してため息が出た。



『兄ちゃん、今日もひとりかよ』
『……またアンタか』
『この前は女に邪魔されたけどよ、今日はデートしてくれるだろ?』
『悪いけどこれから私たちがデートなの。二度と話しかけないで』



なんでこうなる。私はまたデートのお誘いを邪魔しているではないか。なんでなんだ。大して仕事もないくせに無理矢理雑務をみつけてたっぷり1時間は残業したはずで、さすがにもういないだろうといつものルートで帰っていたらこの有様だ。松岡クンを背に、浅黒い肌に白のタンクトップをきた大男に睨みをきかす。この人も懲りないな。大層このスイートボーイがお気に入りのようだ。自分で指定しておいてなんだが、もうここは危ないから通らないよう背後の彼にはキツく言っておこう。そうしたら今後ここでエンカウントすることもなくなるし一石二鳥だ。


「あのさ、」
「すいません、また助けてもらっちゃって」
「いやまぁそれはいいんだけど」
「遅くまでお仕事お疲れ様でした、名前さん」



嗚呼、助けてください神様、この笑顔には抗えそうにありません。私の心臓と良心にダイレクトアタックをかましたこの彼を前に、二度と過ちは犯さないと決めた心が今にも崩壊しそうだ。