2

そうは言っても私ももういい大人なのだ。顔は確かに好みだが、年下のよく知りもしない男の子と2回もどうこうなるなんてことはしない。彼が何を思ってこんな時間まで待っててくれたのかはさておき、ここらでしっかり言っておかねばなるまい。次を求められても私には応えられないのだから。


「えーと、まずは遅くなってごめんなさい」
「いえ、仕事ですし仕方ないですよ」
「…ありがとう。それで、二つほど言いたいことがあるんだけど」
「なんですか」
「あぁいう奴がいるし、また待ち伏せされてたら困るからここは今後通らない方がいいよ」
「ですね、そうします」



ご飯を食べに行った事実やその後のいろいろは覚えていれど、会話の内容はこれっぽっちも記憶に残っていなかったためどんな子かと思っていたが、素直ないい子のようだ。それならばと安心して、もう1つの話を切り出す。これが一番重要なのだ。



「それと…この間のことは、忘れて」
「え、」
「酔っ払って迷惑かけたことは本当に申し訳ないと思ってる。タクシー代も払うから、悪い夢だったと思って」
「……それは、できません」
「え?」



今度は私が聞き返す番だった。おやおや、聞き分けのいい良い子だと思った途端に駄々っ子なのかい?できませんじゃないんだよ、やるんだよ。私だって努力してるんだから君もしたまえよ。互いに納得のいかない話に思わず沈黙してしまう。どう説得しようかと思案している中、口火を切ったのは少し俯いたままの彼だった。



「俺…本当は結構前から名前さんのこと知ってたんです」
「…そうなの?」
「高校卒業してこっちに戻ってきて、チームと合流して初めて練習に参加したときにプールで見かけたのが最初です」
「待って待って、きみ水泳の選手なの?」
「あ、はい。留学でこっちきてて…」



なんてこった、最悪だ。本当に最悪だ。酔った勢いで手を出したってことだけでも最悪なのに、選手だったなんて。こんなことになってしまったのはひとえに私の不徳と致すところではあるけれど、これはさすがにあんまりじゃありませんか神様。



「あの、それで……順番はおかしいですけど、俺、ちゃんと告白したくて」
「……なんて?」
「それでずっと待ってたんです」
「ちょっと待って」
「…好きなんです、名前さんのこと」
「待ってって言ってるじゃん!」



思わず手を伸ばし、ギリギリ届いた彼の額に手のひらを垂直にして振り下ろす。話がぶっ飛びすぎてて何が何だか分からない。ていうか聞き分け良くて素直ないい子とか言ったの誰?全然じゃん。私の話も気持ちもこれっぽっちも伝わってないし。そもそも2日前に話したばっかりの私のどこに惚れる要素あったのだろうか。結構前から知っててくれたとはいえ見かけてたってだけで、実際私がどんな人間かは分からないはずなのにたった1回寝ただけで好きになれるわけがない。初めてだったからそういう気になってるだけだ。こんなの絶対間違ってる。



「それ絶対勘違いだよ、好きとかじゃないって」
「なっ…なんで分かるんすか!」
「だっておかしいでしょ、この前話したばっかりなのに」
「それでも俺は、あれから名前さんのことずっと忘れられなくて…」
「だからそれは私が初めてセックスした相手だからであって」
「セッ……?!ち、っがいますよ!」


なんと初々しく純粋な反応だろうか。あまりに尊くて頭を撫でくりまわしてしまいそうだが今はそれどころじゃない。あれからってじゃぁいつからだ。変な輩から助けた時?そんなで惚れるなんざ君は少女漫画のヒロインか。



「とにかく、君がどうであれ私にその気はないから諦めてもらえる?」
「………まったく、ですか」
「なに?」
「可能性、ほんとにないですか」
「…ない」
「友達からとか、もっとよく知ってもらってからでも、だめですか」



それは反則じゃなかろうか。そんな、そんな顔でこっちみないでもらいたい。どうしてだろう、年下なんて絶対に無理だし恋愛対象外だと思っているのに、なのに心がありえないほど揺れている。これまでだってありがたいことに好意を伝えてくれた年下の子はいたけれど、こんなに揺さぶられることはなかった。その子たちと彼で、一体なにが違うっていうんだ。



「……考えてみてくれませんか」



真剣な眼差しが私を捕らえている。眉は下がり、一見不安そうな表情なのにその目は強い光を宿している。まるで獲物を逃すまいとしている獣みたいだ。こんな熱い視線受けたことがない。どうしよう、誰か助けて。心拍数は上がり手は汗をかき始めた。だめだ、早く帰ろう。この話もさっさと切り上げてここから逃げよう。そうじゃないと、変なことを口走ってしまいそうだ。



「少しでも、俺のこと知ってもらいたいんです」
「……………うぅ」



拳を握り締め、下唇を噛む。見つめられて目が離せない。もう頭の中は彼の声と自分の心音だけでいっぱいだった。「ごめんね」と、たったそれだけのことが言えない。口の中がカラカラになっていく。空気を飲み込んだら、張り付きそうになっている喉が上下した。言え、言うんだ。それしか道はない。意を決し、ゆっくりと息を吸う。


「名前さん」


彼が、一歩前へでた。大きな手が私の両肩にのって、ほんの少し引き寄せられる。見上げる形になりさっきよりずっと近い位置で視線が絡んだ。小さな声でもう一度、彼が私の名前を呼んだ。



「…………………わかっ、た」



完敗だ。