ピクニック する話

『凛は明日なにしてるの』


昨夜、珍しく名前さんから予定を聞かれた。時間ありますかとか会いませんかとか、そういったことは大体俺からすることが多いから、たまにあるこういう連絡は結構嬉しい。


『朝から練習ですけど、昼には終わります』
『そっか。じゃぁちょっと寄ってほしいところがあるんだけど』
『どこですか?』



そして今、言われた場所に来ている。なんの変哲もないだだっ広い公園は、綺麗に刈り揃えられた草が青々と茂っている。走り回る子供たち、見守りながら談笑している両親たち。寝転がる老人やカップル。いろんな人が思い思いの時間を過ごしている。名前さんはとにかくここに寄ってほしいとだけ言って、どうしてかという疑問に返事はなかった。よく分からないままここへ辿り着いたけれど、未だに理由は謎だ。ゆっくりと辺りを見回す。どこもかしこも平和でのどかな空間で、時々聞こえる笑い声は耳に心地いい。深呼吸すると全身の力が抜けていくようだった。思い返せばずっと練習だの試合だの合宿だの、楽しんでいるとはいえ常に気の抜けない時間を過ごしてばかりだった気がする。オフの日はあるし、練習のあと家で寛ぐことだってある。だけどこうした、ゆっくり時間が流れていくような場所に来たのは久しぶりかもしれない。名前さんの狙いはこれだったのかも。気づかないうちに自分を追い込む癖があるらしい俺に、少しは肩の力を抜けというお達しなんじゃなかろうか。合っているかは分からないが勝手にそう解釈し、もう少しこの雰囲気を味わってから帰ろうと荷物を足元に置いてその場に腰をおろしかけた時だった。



「見つけた」
「え、名前さん」
「電話でないからめちゃくちゃ探した」
「あっ、すみません、マナーモードのままにしてたかも」
「まぁ会えたしいいよ」



自転車にまたがり颯爽と現れた彼女はなにやら大荷物だ。何処かに行っていたのかこれから行くのか、昨日から名前さんの言動は謎に包まれている。とりあえずよろけそうな彼女の背中の荷物を奪い取り肩にかけると、名前さんは少しムッとした表情で俺を見上げる。それが照れ隠しだと分かってからこの顔が可愛く思えて仕方ない。



「お昼は?」
「まだです」
「じゃぁ、あっちで食べよ」



さっさと歩いていく名前さんの後ろをついていくが、ここは公園で、特に店やキッチンカーなんかがあるわけでもない。俺が知らないだけで実は何かあったりするのか。周りを見ても相変わらずのんびりとした景色のままで変わりはない。そんな中を5分ほど歩いて、名前さんは足を止めた。



「この辺でいっか」
「なにもないですけど…」
「お弁当作って来たから、食べよう」



この荷物の正体はどうやら昼食だったようだ。と言うことは自転車の荷台に固定されている袋の中身はレジャーシートか。ピクニックならそう言えばいいのに、まぁ彼女の性格からして口にしづらかったのかもしれない。名前さんは時々変なところで恥ずかしがるから。嬉しいやら可愛いやら、今のこの感情はなんと言えばいいのだろう。



「……なにニヤニヤしてんの」
「いえ、なんでも」
「…早く準備するよ、こっち持って」
「はい」



シートを広げて、その四隅に荷物を置いて固定する。自転車のカゴに収まっていた紙袋からは二段重ねの重箱が二つ出てきた。結構な量だ。というか、オーストラリアの地でこの箱を目にする日がくるとは。



「なんでこんなの持ってるんですか」
「去年の年末に親におせち送り付けられたんだけど、捨てるタイミング逃してて」
「ふたつも?」
「母親と父親両方にね」



名前さんの両親は共に仕事が好きすぎて一緒にいることが殆どないそうだ。名前さん曰く『報連相のできない人たち』らしく、時々ふたりからは同じ物が同じタイミングで届く事があると聞いていた。その結果のひとつが、このおせちの重箱というわけだ。



「それにしてもすごい量ですね」
「うち今お米1俵あってさ」
「1俵……」
「消費するの手伝ってほしくて」



その大量の米の出どころも、言わずもがなといったところだ。しかし理由はなんであれ名前さんとこうやって過ごすことができるのは当たり前に嬉しい。アルミで包まれた大量のおにぎりと、重箱の中を彩るたくさんの料理が俺の空腹感を刺激する。



「いただきます」
「どうぞ」
「…めちゃくちゃ美味いです」
「それはよかった」
「あ、これも美味い」
「唐揚げしょっぱい」
「そうですか?美味いですよ」
「…ならいいけど」
「卵焼き最高に美味いですね」
「ねぇさっきから美味いしか言ってないよ」
「だってどれも本当に美味いから」



そう言うと名前さんは眉を下げて笑った。それからも俺は美味いを連呼して、名前さんは時々「辛い」とか「もっと焼けばよかったかも」とか小声で呟きながら作ったものたちを口にしていき、残り3分の1くらいになったところでお互いギブアップとなった。



「あー…食いすぎた」
「しばらく食べもの見たくない」
「帰り走らないとですね」
「それは嫌」
「消化されませんよ?」
「凛は走りなよ、アスリートなんだから」
「名前さんはどうするんですか」
「自転車で追いかける」
「後ろで応援してくれます?」
「いいよ、笛鳴らしててあげる」



どこまで本気なのか分からない話をして笑い合う。足を投げ出し、後ろに手をついて空を見上げるとちょうど太陽が真上に来ていた。それでも大して暑くないのは、その光を木が遮ってくれているからだろう。時々吹く風は生ぬるいけど気持ちがいい。目を閉じたらこのまま寝れそうだなんて考えていたら、太ももに何かが乗った。上に向けていた顔を戻すとそこには横になり、俺の足を枕にしている名前さんがいる。まさかこっち側になるとは予想外だ。



「俺がする方ですか?」
「早い者勝ち」
「じゃあ次は俺が勝ちます」
「勝負好きだよね」
「まぁ、それでここまでこれたようなもんなんで」
「確かに」



眠そうに目を細める。上体を起こし体勢を整えると、名前さんも少し身じろぎをして上を向いた。このまま背中を丸めて屈んだら、キスできそうな距離だ。でもそれよりも今は、もう少しこのままこの近さで、彼女のことを見ていたい。



「来週だよね、日本行くの」
「そうですね」
「どのくらい?」
「1ヶ月くらいだと思います」
「そっか」
「寂しい?」
「ちょっと」



真っ直ぐ目を見て言われてついドキッとしてしまう。こんなに素直に言うのは珍しい。本当は最後の一週間で実家に帰ろうと思っていたのだが、それはまたの機会にしてさっさと戻ってきてしまおうか。『たまには顔出しに帰ってきてよ!』と拗ねる江の顔が思い浮かんで緩む口元に、名前さんの指先が触れた。



「楽しそうだね」
「楽しいですよ、名前さんとゆっくりできてるんで」
「わたしは眠いよ」
「いいですよ、寝ても」
「うん」



唇に触れていた手が、今度は髪の毛に移る。くるくると指に巻いてはするりと抜いていく。そんなことを数回繰り返してからゆっくり下ろされていく手に左手を重ね指を絡めた。右手は彼女の額に乗せて、撫でるようにそこを往復する。サラサラの前髪が気持ちいい。やがて名前さんはその目をしっかりと閉じて、眠りの底に落ちていった。そうか、しばらくこの寝顔にも会えなくなるのか。



「俺の方が寂しいかもしれませんよ、名前さん」



当たり前だが返事はない。あるのは規則正しい寝息と太ももから伝わる温もりだけ。江には後で電話で謝ろう。また今度ちゃんと帰るから、今回は見逃してほしいと。