さて、どうしたものか。目的の地へ降り立ちしばらく経つが、俺は未だにその場から一歩も動かずにいる。かつかつと靴の先を上下させながら考えるのにも飽きだして、とうとう座り込んだ。参った。まさか電々虫が使えなくなるとは思いもしなかった。俺が連絡しないなんてのは今に始まったことではないから仲間達はなんら不思議には思わないだろうが、今回はそのことがあだとなってしまった。ここまで送ってくれた船は恐らくもう別の目的地へ向けて走り出しているだろう。調査が終わった頃に連絡して迎えを待つはずが、それを呼べなくなってしまった俺は一体どうやって帰ろうか。広い新世界の海のど真ん中、海面の数百メートル上から流れ落ちる謎の滝の上に存在しているこの町でひとり、頭を悩ませる。
町に変化が訪れたのは、そもそもこの土地についてなんの知識もない状態で何をどれだけ考えても無駄ではないかと気づいた時だった。ここを調べればいずれ解決策も思いつくだろうと漸く腰をあげたとほぼ同時、これまで辺りを満たしていた空気が突如生温く感じられた。穏やかに吹く風もどこか湿気を帯びており、もしやと思った時には遅かった。空から大粒の雨がいくつも降り注ぎ、ざぁざぁと町を濡ら
していく。やれやれ。なんとも幸先の悪いスタートだ。兎にも角にも、こんな場所で大人しく濡れているわけにもいかない。まずは屋根のある場所へ避難しなければと、恐らく町の端っこであるだろうここから町中へ向かって走る。少し行くと、豪邸ばかりが並ぶ住宅街へ入った。この町の貴族が住む区域なのだろうか、どの家も互いに見栄を張り合うようにでかでかと構えている。その中で一際大きく目立つ屋敷の裏側へ周り、いくつも立ち並ぶ木の下へ身をおいた。生い茂る葉が雨を遮り、いい傘となってくれている。この天気が回復するまでしばらくかかりそうだ。大きく息を吐き出すと、少しだけ肩から力が抜けた。
長く続くだろうと思っていた雨は予想に反し、雨宿りをはじめてからものの数分でその勢いを止めた。雨粒が激しく地面を叩く音が消え、再び町に静寂が広がる。まったく、この町にきてからなんだか振り回されっぱなしだ。大量の水分を含んだコートを脱いでぎゅうぎゅうと絞れば、足元に大きな水溜まり
ができた。ゆらゆら流れる水面を眺めながらどう乾かそうか思案していると、やがて揺れのおさまった水溜まりに大きな月が映りこんでいることに気づく。真っ白な満月が放つ青白い光につられて上空を見上げると、海の上からみるよりもずっと近いところで満点の星が瞬いていた。手を伸ばしたら掴めてしまいそうな、とはこういうことを言うんだろうな。濃紺に散らばる光に釘付けになる。そういえば昔、やっと捕まえた獲物を持ち帰る途中、気絶していただけだったそれが突如暴れ出し、括り付けていた棒を持っていたルフィに襲い掛かったことがあった。結局弟は二人がかりで助けたものの獲物は逃してしまい、夕食は釣った魚十数匹のみだったのだが、そんなもので腹が膨れるはずもなく。とにかく眠ってやり過ごそうと仰向けに転がったときにみた空は、正しくこんな空だった。ちかちかと光る星を見て、「うまそうだな…」と呟いたルフィに「もう見境ねぇな」とエースが弱々しく突っ込んでいたっけ。昔のことに、思わず口元が緩んでしまう。任務できているというのに呑気なものだと我ながら思うが、美しすぎる景色と心地よい静寂が仕事のことを忘れさせようとしてくるのがいけないんだと開き直ることにして、取り戻したばかりの記憶を手繰り寄せた。
どのくらいそうしていたかは分からない。飛んでいた意識を取り戻したのは、頭上でカサカサと木の葉同士が擦れる音がしたからだ。風もなく穏やかな空気の中で、そこだけがやたらと騒がしかった。はらはらと落ちてくる葉と木屑。耳をすませば聞こえてくるのは、葉の音だけではない、ミシミシという枝の悲鳴も混ざっていた。それはとても弱く、けれど徐々に力強さを増していく。腰を少しだけ落として臨戦態勢に入る。敵意や殺意のようなものは感じられない。しかし明らかに何かがそこにある、もしくは、いる。音が聞こえてから数秒もしないうちに枝は大きく音をたて、周りの枝や葉を揺らし、そしてメキメキと不吉に呻きながら朽ちていく。
「わああ!」
「ん…っえぇ!」
落ちてくる枝と、葉と木屑。それらの後ろで、大きな白がひらひらと風に煽られ舞っていた。