陰陽師との関係


 素直な反応に和んだ章子は、静かに表情を引き締めて扇子を書類挟みに向ける。
 ある一面まで開かれ、大きな文字で書かれた題名は『陰陽師』。

「花比売の歴史は長い。それと同じくらい陰陽師という存在もあるの」
「……安倍晴明や、賀茂保憲かものやすのりのような?」
「その二つの血筋が合併がっぺいしたのが、現代の陰陽師一門、土御門つちみかど家」

 歌舞伎ののうの題材にもなり、歴史に残る大陰陽師・安倍晴明と、彼の兄弟子。
 先程の魁と章子が話していた「奴等」とは、その陰陽師一門なのだろう。

「今の土御門一門にはたくさんの分家がある。彼等は占術や祈祷きとうだけではなく妖怪退治を今でも続けている。その中に花比売を狙う過激な一面もあるの」
「えっ、陰陽師が?」

 陰陽師は正義の側に立ち、悪である妖怪を成敗する。
 大抵の物語の定番中の定番。書物だけではなく映画にも題材にされたからこそ、陰陽師は「善」という意識が世間に根付いている。

 だが、善良な妖怪側にとっては理不尽な「悪」であり、守られるべき花比売にとっては天敵と言われる存在だと章子は語った。

「花比売の花は特別。誘蛾灯のように妖怪のおとりに扱い、霊力回復のためと言い花をむしり取る。彼等に捕まった花比売の中には見世物小屋で金儲けに利用された子もいるのよ」

 章子の話に、ゾッと背筋が凍った。

 物語では正義の味方と扱われている陰陽師。特に安倍晴明は、彼等にとって英雄だ。
 けれど、現実の陰陽師には残酷な一面が数多くある。書類挟みに納まる資料を見ると、過去の花比売に行った陰陽師の非道が赤裸々せきららに記されていた。

「知られたら家畜かちくのように使い潰されてしまうから、遭遇したらさりげなく逃げること。自分が花比売だと気付かせないことが重要よ」

 章子はそう言うが、とても難しい問題だ。
 相手は霊能者。花比売の花の香りに気付くだろう。

 ふと、華圭は先日の学校での出来事を思い出す。華圭の身体に咲く桜の匂いに気付いた男子生徒のことを。

「あの、私が通う学校の生徒会長なんですけど……彼、私の花の匂いに気付きました」

 思い切って報告すると章子は目を見張り、真剣な面構えに変わる。

「なら、ちょうどいいわ。事前に説明しなくて申し訳ないけれど、この屋敷に近い学校へ転校してもらう予定だったの」
「そうなんですか?」

 思わぬ展開に戸惑いはあるが、天花寺家と近い学校なら安全性が高まる。

「転校先は共学の私立高。偏差値はそこそこ高いけれど自由性があって、何より校長は私達側の人間だから安全を保障してくれる」

 同じ霊感がある人間が校長を務めるのなら、確かに信用できる。
 けれど、共学の学校なら陰陽師が潜んでいないか、その点だけが心配だ。
 けれど、同じ花比売として心を砕き、魁も美咲も信頼している。だから華圭も章子を信じようと決心した。

「わかりました、転校します」
「では、すぐにでも手続きをしましょう。来月の連休明けに転校できるよう調整するわ」

 それから華圭が口を挟まなくてもいいくらい、章子は計画的に予定を組み立てた。
 とんとん拍子で事が進み、午後三時頃には諸々もろもろが決まった。

「さて、そろそろ華圭ちゃんの部屋へ案内しましょうか」
「あ。それなら私がする」
「ならお願い。華圭ちゃんの部屋は、私や美咲ちゃん達と違って最上階の一室だから」
「えっ!? あっ、そっか。桜の花比売だもん」

 章子と美咲の会話に、華圭は首を傾げる。
 これまで「桜の花比売だから」という言葉で片付いたのは、どういう意味があるのか。
 ただ単に今後の天花寺家の家主としてではないと直感が囁き、思い切って訊ねた。

「あのっ、桜の花比売だからって……どういうことですか?」

 天花寺の本来の家主は桜の花比売だと言っていたが、どうして桜の花比売なのか、理由が分からない。
 不安な表情で説明を求めると、章子は「しまった」と言わんばかりの顔で眉を下げる。

「ごめんなさい、説明がまだだったわね」

 説明不足な魁もそうだが、自分もとやかく言えない。
 章子は反省して、花比売の歴史を含めて説明を始めた。

「天花寺家は、もともと桜の花比売のために造られたお屋敷。花比売が生まれるきっかけとなった御方が、ある二柱の女神の孫娘――女神様だったの。身体に桜の花を咲かせるだけではなく、浄化の力を持つ桜のご神木や守護の柱石ちゅうせきをお造りになられた。現在の隠世が妖怪の安住の地となったのは、その女神様のおかげ。けれど女神様をよく思わない者に呪われ、非業の死を遂げてしまった。ある一件でそのお力の断片が日本全土に散り、女神様と同じ素質を持つ女性の身に宿ることになった。それが花比売の起源」

 花比売の過去には、想像を絶する物語があった。
 しかも、その女神の花を自身に宿っていると知り、華圭は急に怖くなった。

「当時の人々は花比売の存在を理解できなかった。初めて発見した陰陽師が『花比売』と命名したけれど、彼女達の扱いは酷かったと聞くわ。だから魁様は私達花比売を守り、そして自衛できるように天花寺家を造ってくださった。ただ、歴代の桜の花比売だけが不運にも救われなかった。その間は力のある花比売、特に百花の王と譬えられる牡丹の花比売や、香り高い四大香木の花比売が仮の家主として運用していたの」

 だから章子がこれまで家主を務めていたのだと明らかになった。

「やっとあるべき主が無事に見つかって、私も安心したわ」

 意味深長いみしんちょうに呟いて、章子は柔和な笑顔を見せる。

「いきなり家主と言われて戸惑う気持ちは、私も経験したからよく解る。自分が花比売だなんて初めて知ったばかりなのに、すぐ家主の代替わりがされたから」

 懐かしむように、それでいて苦労を思い出すような遠い目で語った。
 その表情で経験者の章子も大変な思いをしたのだと理解して、華圭は不安がよぎる。
 現実に戻った章子は眉を下げた華圭の表情を見て、不安感を与えてしまったことに気付く。同時に発見された当初の自分と同じ面持ちだと感じて、章子は柔らかく眦を下げた。

「だから華圭ちゃんが慣れるまで私がサポートするわ。学ぶことは多いけれど、無理は禁物だと覚えてちょうだい」
「……はい。よろしくお願いします」

 不安は当然だが、それでも支えてくれる誰かがいるだけ心強い。
 考え方を変えることで心構えも切り替えて、覚悟を決める。そんな華圭の一礼に、章子は微笑を深めて頷いた。

「それでは休憩がてら、桜の間へ案内しましょう。美咲ちゃん、よろしくお願いね」
「はぁい、お婆様。はるはる、行こ」
「うん、ありがとう」

 腰を上げた美咲にならって華圭も立ち上がる。
 ふと、魁は章子と話があるのか座ったままだ。

「えっと……また後で」

 律義に挨拶されると思わなかった魁は、言葉少なながら華圭の気遣いを感じた。
 魁と離れる心細さもあるだろう。それでも頑張るという意志を受け取り、魁も唇を緩めた。

「ああ、ゆっくり見て回るといい」

 送り出す言葉を贈れば、華圭は緊張感の残る眼差しを和らげて頷く。
 退室する二人を見送って、章子はいつになく表情が柔らかい魁に笑いかける。

「ようやくでございましたね。華圭ちゃんを……いえ、華圭様をお救いできまして」
「……ああ」

 章子は少なからず華圭の経緯を聞かされたが、十年前から情報を得ていた。
 いずれ天花寺家の家主となる、年若い花比売の存在。
 どんな人柄なのか不安に思ったが、度重なる不遇による孤独に加え、異形に狙われ続ける困難に見舞われた。幸福など夢物語だと諦めてしまっても仕方ないが、ほんの僅かでもささやかな幸運を見つける視野の広さ、他者の幸福を願う心根の清らかさに胸を打たれた。

 花比売特有の『延命長寿』は寿命を引き延ばす。文献ぶんけんによれば、霊力の強さと多さによって変動する。それでも不運にも欲深い人間に狙われ、生涯しょうがいを閉じた花比売も多い。

 幸運にも天寿を全うした花比売の数は一握り。その中で牡丹の花比売である章子は膨大な霊力を誇り、江戸時代安政あんせい最後の一年――幕末から生き続けている。
 当初は若々しいままだったが、一〇〇年を過ぎたあたりで二十歳らしい大人の色香を自覚した。さらに五〇年経てもおとろえず、今年で一七九歳になるが美に磨きがかかった。
 ただ、『延命長寿』は花比売の健康状態と妖怪との付き合いによって左右されるものだと、美咲が発見された時点で気付いた。
 美咲が発見された時期は章子より遅かったが健康状態は良く、多くの妖怪が住まう異界『隠世』の食材を摂取するごとに章子と同じくらいの霊力へ高まった。今では一七歳より若く見える程度だが、数年もすれば花比売と徒人との乖離かいりに直面するだろう。
 厳しい現実に突き当たったその時に何を感じるのか老婆心ながら気がかりだが、一人、また一人と花比売仲間が保護されて、美咲は現世での生きづらさや孤独を強く感じずに済むだろうと、過去の自分と比較した章子は安堵する。

 一方で華圭は隠世産の食材を摂取してこなかったにもかかわらず、章子を超える莫大な霊力を宿している。外見はむしろ不健康な状態が続いたせいで第二次性徴せいちょうに難があるが、隠世産の食材で改善されたなら章子や美咲より長く生きる未来は間違いない。

 人間だというのに常に看取る側だった章子だからこそ、その苦しみを知っている。
 けれど妖怪の伴侶のおかげで孤独ではなく、子や孫が増えて救われた。
 いつか華圭もそんな幸せを得てほしいと、章子は願う。

「魁様。私が生まれた時代より、現代はとても生きづらく感じます。隠世の永住、もしくは周期毎による隠居もご検討ください。私も定期的に妖狐の里へお邪魔しておりますの」

 現代――令和の時代は多様性に溢れているが、裏ではそれを免罪符に悪事を犯す人間が増えてきた。日本人だけではなく、観光や難民などを理由に訪れる外国人も。

 今後の生活で現代の花比売が悲しい結末を迎えないために提案すると、魁は眉を下げ、うれいを滲ませた表情で咎めた。

「章子、お前は既に妖狐一族の一員。妖狐の里が実家――故郷なのだ。自らを余所者のように扱っては、彼奴等も悲しむだろう」
「……あ。失礼、しました……」

 章子は自分の言葉がどれほど無神経なものなのか気付いた。
 花比売として迎えられた当初、人間だからという理由で敬遠され、婚約者絡みの嫉妬で嫌がらせを受けた経験がある。
 花比売であっても人間だから隠世に居場所はないと、生活環境や対人関係が改善した今でも心のどこかで気負っていたのだろう。
 だが、隠世を統治する魁が章子を認めた。章子の居場所は妖狐の里にあり、伴侶に選ばれた妖狐の隣だと。

 心の奥底でくすぶっていたよどみが洗い流され、気負いに似た感情が消えていく。
 目頭が熱くなっていき、涙腺が緩む。それでも女の矜持きょうじを保ち、華やかに笑った。

「魁様はお変わりになられましたね。これも華圭様のおかげでしょうか」
「……そうかもしれない」

 魁は否定することなく、ただ穏やかな微笑を浮かべる。
 桜の花比売が見つかるまで、張りつめた空気と殺伐さつばつとした雰囲気に恐れを抱いた。
 けれど、十年前の転機から徐々に軟化していき、今や雪融けを経た春と表現できる。

 魁の心に安寧あんねいを齎したのは華圭の存在があったから。
 心穏やかな笑顔が自然と出せるようになったのだと察した章子は心から願う。

「幸せになってくださいね。……お互いに」

 華圭を救えるのは魁だけだが、魁の心を癒し導けるのも華圭だけなのだから。


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