天花寺
「到着しました」
なかなか掴めないそれ≠ノもどかしさを感じていると、黒鋼の一声で我に返る。
車窓を見れば、広々とした道の脇に停車していた。
魁に促されて下りると、まず目に映ったのは濃紺の瓦葺の屋根が目を引く白塗りの塀。
重厚な門扉を抜け、竹藪の小道を抜けると立派な二階建ての和風な屋敷が見えてきた。
(私、場違いじゃない……?)
純和風の日本屋敷を前にして、貧乏人として生きてきた華圭は怯む。
「ここが……天花寺さんのお家……?」
「そうだ。そして今日からここが華圭の家になる」
(……場違いじゃないよね?)
何度も確認したくなる場違い感。
気後れしつつ魁の後を追い、竹藪を抜ける。
「……?」
一歩踏み込んだ瞬間、空気が一変した。
外は都会らしいアスファルトや排気ガスで澱んだ空気なのに対して、敷地内の空気は清らかに澄んでいる。
譬えるなら、小学時代の遠足で経験した山頂の湖の空気だろうか。
立派な鞍馬石で青々と生い茂るモミジやイチョウ、松の植木を整え、大理石の敷石で道を作り、隙間には白砂利が敷き詰められ、玄関側の庭からも気品が感じられる。
見惚れながら玄関口にたどり着くと、深みのある杉の引き戸が揺れる。
曇りガラスを組み合わせた引き戸が、カラカラと音を立てて開かれると――
「ようこそいらっしゃい……」
初夏らしい明るい色合いの和服を着た少女が出迎えてくれた。
肩甲骨まで伸ばされた薄茶色の髪。前髪から左側の横髪を裏編み込みで整え、とてもお洒落だ。凛とした茶色の瞳。血色の良い頬に桃色の唇も、全体的な目鼻立ちも綺麗で、一目で明るい人柄だと印象付ける美貌。
ふと、彼女から嗅いだことのある花の香りが鼻腔を擽る。
秋になれば行く先々で感じるくらい街路樹にも選ばれる香木を思い出す。
(これは……金木犀? じゃあ彼女も……って、あれ?)
ここで美少女が不自然に固まっていることに気付く。笑顔で挨拶しかけたが、最後に続くはずの言葉が途中で途切れていることにも。
不思議に思って首を傾げてしまう。
「キャー!」
直後、美少女が黄色い歓声を上げて華圭に抱きついた。
「ふえ!?」
「かわいいカワイイ! こてんって仕草もかーわーいーいーっ! しかも美少女!」
「えっ? あ、あのっ? 美少女は貴女のことだよ、ね……?」
美少女とか初めて言われた。しかも美少女に抱きつかれた衝撃で声が震える。
どぎまぎする中、頬の熱を抑えきれないまま言うと、美少女は急に真顔に変わる。
ひえっ、と内心で悲鳴をあげたが、敬語が抜けてしまったことに自覚した。
「すっ、すみません!」
「ううん、敬語はいらない! むしろ砕けて話そう! 魁様、グッジョブ!」
グッと魁に向けてサムズアップする美少女。
とても溌剌としたテンションの高さに追いつけないでいると、いつの間にか鬼の姿に戻った魁は小さな溜息を吐く。
「それより入っていいか?」
「はーい、どうぞー。さあ君も! お婆様が待ってるよ」
「う、うん。えっと……お邪魔します」
「そこは『ただいま』だよっ」
にこやかに訂正されて戸惑う。
どうして赤の他人を簡単に受け入れられるのだろうか。
もし拒絶されたらと思うと怖くなる。
「大丈夫だ」
言葉が詰まっていると、頭に重みが乗る。
驚いて魁を見上げれば、彼は柔和な眼差しで華圭を見下ろしていた。
その眼差しを受け、不思議と「大丈夫」な気がしてきた。
心の奥に広がる重苦しい靄が薄れて、コクリと華圭は頷く。
「……びっくり」
その時、美少女が驚き顔で呟いた。
「魁様もそんな顔をするんだ。意外だけど……うん。すっごくお似合い」
華圭と魁を交互に見比べて、深く頷く美少女。その言葉に満更でもなさそうな魁。
恐れ多いと華圭は思うが、ある違和感に気付く。
「えっと、お似合いって……?」
思わず訊ねると、美少女は答えた。
「花比売は身の丈に合った妖怪と結婚するの。婚約者で終わる人もいるけどね」
「……結婚? ……え? もしかして……魁と?」
ぱちくりと目を瞬かせる華圭。
花比売は妖怪の庇護を得るために婚約者となり、ゆくゆくは結婚するのだろう。
しかし、華圭はそう言った話を聞かされていない。
激しく動揺する華圭の様子から察した美少女は、ジト目で魁を見やる。
「魁様、ちゃんと話そうよー」
「……章子の前で説明するつもりだった」
「遅い! ちゃんと話さなくちゃ可哀想じゃん!」
キッと睨み上げる美少女は、鬼が相手でも臆さず怒る。
正論を前に極まりが悪そうな顔で押し黙った魁に、美少女は「まったく」と嘆息した。
「華圭ちゃんだよね? 私は美咲、高校二年生。今日から家族になるんだから、できれば『お姉ちゃん』って呼んでほしいな」
意外なことに、美少女こと美咲は最初から受け入れていた。
こんなあっさりでいいのだろうかと困惑する。それに「お姉ちゃん」という呼び方は、生家で自分をこき下ろした元妹の顔が思い浮かぶ。
「……えっと。みーお姉ちゃん?」
悩んだ末、「美咲お姉ちゃん」より砕けた呼び方を選んだ。
首を傾げながら様子を窺えば、美咲は衝撃を受けた顔で固まった。
呼吸すら止まってしまった反応に不安がる華圭は助けを求めて魁を見上げるが、彼は微笑ましそうに目元を和ませていた。
b「あ、あの…………だめ、だった?」
不安から俯きそうになって、それでも目を合わせようと上目遣いで見上げる。
やがて美咲は胸に手を当てて、肺が空っぽになるまで息を吐き出す。
「っ……あっぶなぁ。危うく召されるところだった」
「え?」
大袈裟な反応について行けない華圭は目を白黒させる。
きょとんとする様子に、キュンッとした美咲は深呼吸で精神を落ち着かせた。
「魁様、絶対に幸せにしてよ。それじゃあ……はるはる、こっちにおいで」
美咲に優しく手を取られ、華圭は天花寺家の敷居へ上がった。
昔ながらの木造の内装なのに、新品に感じられるほど綺麗な通路。埃一つも許さないくらい磨かれた床からも熱意が感じられるが、広い屋敷を掃除するのは大変だとも思う。
あちらこちら見入っていると、一際大きな襖の前に到着する。
入口の前には、頭に耳、後ろにやや太い尻尾を持つ銀髪の少年の姿が。
見た目から妖狐だと観察していると、少年は深く一礼して障子へ向く。
「鬼神様、並びに新たな花比売様がおいでになりました」
「お通ししてちょうだい」
涼やかな女性の声に応え、少年が静かに襖を開ける。
魁を先頭に見送ると、美咲に背中を押されて華圭も続く。
上座に用意された座布団には、家主の姿がない。
「華圭」
困惑する華圭に声をかけた魁が手を差し伸べる。
ごく自然と、無意識にその手を取ると上座へ連れられ、「えっ」と戸惑う。
「え、魁……?」
「天花寺の屋敷は花比売を守るためにあるが、本来の家主は桜の花比売。つまりお前だ」
「……はい?」
想像を超える爆弾発言に、思考が停止する。
そんな華圭の様子に、深々と溜息を吐く美咲と、斜め前の席にもう一人。
白地に三種類の大輪の牡丹柄の和装が似合う、シニヨンという三つ編みを後頭部でまとめあげた黒髪に飾るように咲く大振りの牡丹が目を引く美女。
切れ長で涼やかな瞳は、色鮮やかな赤。厚みのある唇は口紅を差したとは思えないほど自然体な薔薇色に染まり、化粧を施さなくてもくっきりとした顔立ちは妖艶。
思わず感嘆の吐息が漏れるほどの美女は、魁に苦言を呈する。
「魁様、天花寺の説明をなさらなかったのですか?」
「あの愚物から華圭を救い出すにも悶着があったのでな」
移動中に話せばよかったのではとは思うが、あのひと悶着で精神的に参っていた。
魁の言う通り、まともに話を聞けなかっただろう。そう思うと罪悪感から暗い表情になり、華圭の様子から全てを察した女性は痛ましげに見つめた。
「……そうでしたか。さぞ悲しかったことでしょう」
「お婆様、何の話?」
美咲には新しい家主となる花比売が住むとしか教えられていない。
眉を顰める美咲の疑問に、どう説明しようかと悩む。それを魁が簡潔に話した。
「華圭の肉親は外道だということだ。詳しい説明は後でする」
華圭を労りながら座らせる魁の言葉で、玄関での彼女の様子の原因を理解した。
「ただいま」という言葉さえ尻込みするほど生家では酷い扱いを受けていたのだと。
衝撃を受ける美咲の表情で、もう少し言葉を選んで欲しいと女性は思う。
けれどいずれ事実を伝えるのなら、華圭の肉親を庇う道理はない。
文句を言いたいが考えを改めることで落ち着かせた女性は、華圭に微笑みかける。
「ようこそ、天花寺へ。私はこれまで屋敷を預かっていました章子と申します。気軽にお婆様と呼んでくれると嬉しいわ」
「あ、はい……は、ぇ? お婆様?」
どう見ても二十代前半としか見えない美女から飛び出た発言に目を瞬かせる。
混乱しかけると、魁が教える。
「章子はこう見えて明治時代より前から生きている、現在最古の花比売だ」
「・・・、えぇええっ!?」
木魚と鉢型の鐘の「ぽく、ぽく、ぽく、ちーん」という幻聴が鳴った。
衝撃的な現実に思考回路が絡まり、我に返った途端に叫んでしまう。
「うそっ、女優とかじゃなくてっ?」
改めて章子を見れば、彼女は不思議そうに首を傾げる。
「どうして女優なの?」
「だ、だって……映画に出てもおかしくないくらい美人さんじゃないですか。むしろ出たことがあるって言われても疑いませんよ。どうしてそんなに若々しいんですか? 秘訣とかあれば知りたいです……!」
華圭は本気で羨ましくなった。
若々しさの秘訣を食い気味に質問すると、章子は真顔で黙り込んでしまった。
(あ、あれ? 失礼なことだった……?)
不安になってくると、章子はゆっくりと美咲を見る。
美咲は顔に手を当てて、ぷるぷると震えていた。
「みーお姉ちゃん、大丈夫?」
「ぐふぅっ! ここで妹属性とは……さすがはるはる。ライフポイントはもうゼロよっ」
「とても元気じゃない。でも、よぉくわかったわ。花比売云々抜きで恐ろしい子」
初対面で危険人物と認定されてしまった。
傷心する華圭だが、実際はそうではない。
勘違いしたまま落ち込む華圭に苦笑した章子は改めて魁に向き直る。
「魁様、くれぐれもお気を付けください。近頃、あの者達が活発になっております」
「……そうか。なら、警護の者は綿密に厳選しよう」
「それがよろしいかと。まだ花比売としての能力を学ばれておりませんから」
二人だけで話を勧められ、置いていかれた感じがする。
しょぼくれる華圭を見て、復活した美咲は言いにくそうに口を挟む。
「あー……おふたりとも、はるはるはまだ『奴等』の存在を知らないと思うよ?」
美咲が介入すると、ハッと気付いた二人。
「そうだったわ。ごめんなさいね、華圭ちゃん。今から教えるわ」
手に持っている牡丹柄の扇子でパシッと手を叩く。直後、四人の前に低い机が現れる。
何もない場所から物が出てきて驚くが、更に机を叩くと卓上に分厚い書類挟みが出た。
まるで魔法のような現象に驚愕する華圭の表情を見て、章子はクスクスと笑った。
「これは花比売の能力よ」
「花比売の……能力?」
花比売はその身に霊力が豊富な花を咲かせるだけではないのか。
不思議そうに首を傾げると、章子は「ええ」と首肯する。
「全ての花比売には『延命長寿、子孫繫栄、五穀豊穣、商売繫盛、縁結び』といった神様のご利益に等しい能力が具わる。私の場合、牡丹の花比売としての能力は『王者の風格』と漢方薬の『婦人病薬』。女性の健康の味方になる程度が『牡丹』の能力なの」
「あ。じゃあ美貌の秘訣は花比売の『延命長寿』があるから……?」
「そうよ。でも、私の牡丹は香水に加工すれば他人にも効果を齎すわ」
「他人にも……すごいですね。私は桜なので、精神を補強する程度しかなさそうです」
桜の花言葉は「精神美、純潔、優美な女性」。品種によっては、「高尚、あなたに微笑む」「しとやか、理知、豊かな教養」「思いを託す」など。外国では「私を忘れないで」とも。
だから華圭は精神に作用する効能が強そうだと感じた。
そんな華圭の考察に、章子は感心を込めた眼差しを送る。
「精神……それは調合によって違う効果を持ちそうね」
「そうなんですか?」
「ええ。花比売の花は状況によって色や咲き方が変わることがあるのよ」
章子の話を聞いて、華圭は思い出す。特に大変な勉学の際、花が八重桜に変わったことを。
「つまり、山桜なら魅了、八重桜なら学力向上……とか?」
まるで物語にあるような魔法薬だと感想が浮かぶ。
ふと、章子だけではなく、魁から感心のこもった目を向けられていると気付く。
こてん、と不思議に思って首を傾げてみれば、魁は目元を和ませた。犬猫を愛でるようなものとは違う、熱のこもった優しい眼差しだ。
無性にむず痒さを覚えて視線が泳ぐ。ほんのささやかなやり取りだが、察した美咲は口に手を当てて身悶えた。
「はるはるが可愛いっ……! 何この萌えの塊はっ……!」
「はいはい、落ち着きなさいな」
美咲の気持ちは分からなくもない。二人のもどかしくも甘酸っぱい空気にあてられて、章子も頬に手を当ててクスクスと笑う。
「花比売の能力は固有のもの・独自のもの・秘薬・神通力に等しい『花神術』があるの。つい先程の机とファイルのように、極めれば別空間から物を出し入れできるわ」
パシッと扇子で手のひらを軽く叩けば、ひとりでに障子が開く。入口の前にいた妖狐の少年が魁から順に茶を配ると退室し、自動ドアのように障子が閉じる。
これも神通力の一つだと見本を披露してもらった華圭は、キラキラと目を輝かせた。