天花寺家の興り


 それから華妃が口を挟まなくてもいいくらい、章子は計画的に予定を組み立てた。
 とんとん拍子で事が進み、午後三時頃には諸々もろもろが決まった。

「さて、そろそろ華妃ちゃんの部屋へ案内しましょうか」
「あ。それなら私がする」
「ならお願い。華妃ちゃんの部屋は、私や美咲ちゃん達と違って最上階の一室よ」
「えっ!? あっ、そっか。桜の花比売だもん」

 美咲が嬉々として名乗り上げたが、章子に告げられた華妃の部屋の位置に残念がる。
 一方で華妃は、二人の会話を聞いて首を傾げる。

 これまで「桜の花比売だから」という言葉で片付いたのは、どういう意味があるのか。
 単に今後の天花寺家の家主としてではないと直感が囁き、華妃は思い切って訊ねた。

「あのっ……! 桜の花比売だからって、どういうことですか?」

 天花寺の本来の家主は桜の花比売だと言っていたが、どうして桜の花比売なのか、その理由を知らされていない。
 説明を求めると、章子は「しまった」と言わんばかりの表情で眉を下げる。

「ごめんなさい、説明がまだだったわね」

 説明不足な魁もそうだが、自分もとやかく言えない。
 章子は反省して、花比売の歴史を含めて説明を始めた。

「天花寺家は、もともと桜の花比売のために造られたお屋敷。花比売が生まれるきっかけとなった御方が、ある二柱の女神の孫娘――女神様だったの。身体に桜の花を咲かせるだけではなく、浄化の力を持つ桜のご神木や守護の柱石ちゅうせきをお造りになられた。現在の隠世が妖怪の安住の地となったのは、その女神様のおかげ。けれど女神様をよく思わない者に呪われ、非業の死を遂げてしまった。ある一件でそのお力の断片が日本全土に散り、女神様と同じ素質を持つ女性の身に宿ることになった。それが花比売の起源」

 花比売の過去には、想像を絶する物語があった。
 しかも、その女神の花を自身に宿っていると知り、華妃は急に怖くなった。

「当時の人々は花比売の存在を理解できなかった。初めて発見した陰陽師が『花比売』と命名したけれど、彼女達の扱いは酷かったと聞くわ。だから魁様は私達花比売を守り、そして自衛できるように天花寺家を造ってくださった。ただ、歴代の桜の花比売だけが不運にも救われなかった。その間は力のある花比売、特に百花の王と譬えられる牡丹の花比売や、香り高い四大香木の花比売が仮の家主として運用していたの」

 だから章子がこれまで家主を務めていたのだと明らかになった。

「やっとあるべき主が無事に見つかって、私も安心できるわ」

 意味深長いみしんちょうに呟いて、章子は柔和な笑顔を見せる。

「いきなり家主と言われて戸惑う気持ちは、私も経験したからよく解る。自分が花比売だなんて初めて知ったばかりなのに、すぐ家主の代替わりがされたから」

 懐かしむように、それでいて苦労を思い出すような遠い眼差しで語った。その表情で章子も大変な思いをしたのだと、華妃は理解する。
 説明を終えた章子は、眉を下げた華妃の表情から不安を与えてしまったことに気付く。同時に発見された当初の自分と同じ面持ちだと感じて、章子は柔らかく眦を下げた。

「だから華妃ちゃんが慣れるまで私がサポートするわ。学ぶことは多いけれど、無理は禁物だと覚えてちょうだい」
「……はい。よろしくお願いします」

 不安は当然だが、それでも支えてくれる誰かがいるだけ心強い。
 考え方を変えることで心構えも切り替えて、覚悟を決める。そんな華妃の一礼に、章子は微笑を深めて頷いた。

「それでは休憩がてら、桜の間へ案内しましょう。美咲ちゃん、よろしくお願いね」
「はぁい、お婆様。はるはる、行こ」
「うん、ありがとう」

 腰を上げた美咲にならって華妃も立ち上がる。
 ふと、魁は章子と話があるのか座ったままだ。

「えっと……また後で」

 律義に挨拶されると思わなかった魁は、言葉少なながら華妃の気遣いを感じた。
 魁と離れる心細さもあるだろう。それでも努力する意志を感じて、魁は口元を緩める。

「ああ、ゆっくり見て回るといい」

 送り出す言葉を贈れば、華妃は緊張感の残る眼差しを和らげて頷く。
 退室する二人を見送って、章子はいつになく表情が柔らかい魁に笑いかける。

「華妃ちゃんを……いえ、華妃様をお救いできましたこと、およろこび申し上げます」
「……ああ」

 章子は少なからず華妃の経緯を聞かされたが、十年前から情報を得ていた。

 いずれ天花寺家の家主となる、年若い花比売の存在。
 どんな人柄なのか不安に思ったが、度重なる不遇による孤独に加え、異形に狙われ続ける困難に見舞われた。幸福など夢物語だと諦めてしまっても仕方ないが、ほんの僅かでもささやかな幸運を見つける視野の広さ、他者の幸福を願う心根の清らかさに胸を打たれた。

 花比売特有の『延命長寿』は寿命を引き延ばす。文献ぶんけんによれば、霊力の強さと多さによって変動する。それでも不運にも欲深い人間に狙われ、生涯しょうがいを閉じた花比売も多い。

 幸運にも天寿を全うした花比売の数は一握り。その中で牡丹の花比売である章子は膨大な霊力を誇り、江戸時代安政あんせい最後の一年――幕末から生き続けている。
 当初は若々しいままだったが、一〇〇年を過ぎたあたりで二十歳らしい大人の色香を自覚した。さらに五〇年経てもおとろえず、今年で一七九歳になるが美に磨きがかかった。

 やがて時代の移ろいを経て、『延命長寿』は花比売の健康状態に加え、妖怪との付き合いによって左右されるものだと、美咲が発見された時点で気付いた。

 美咲が発見された時期は章子より遅かったが健康状態は良く、多くの妖怪が住まう異界『隠世』の食材を摂取するごとに章子と同じくらいの霊力へ高まった。今では一七歳より若く見える程度だが、数年もすれば花比売と徒人との乖離かいりに直面するだろう。
 厳しい現実に突き当たったその時に何を感じるのか老婆心ながら気がかりだが、一人、また一人と花比売仲間が保護されて、美咲は現世での生きづらさや孤独を強く感じずに済むだろうと、過去の自分と比較した章子は安堵する。

 一方で華妃は、隠世産の食材を摂取してこなかったにもかかわらず、章子を超える莫大な霊力を宿していた。外見は不健康な状態が続いたせいで第二次性徴せいちょうさわりが生じているが、隠世産の食材で改善されたなら章子や美咲より長く生きる未来は間違いない。

 人間だというのに常に看取る側だった章子だからこそ、その苦しみを知っている。
 けれど妖怪の伴侶のおかげで孤独ではなく、子や孫が増えて救われた。
 いつか華妃もそんな幸せを得てほしいと、章子は切に願う。

「魁様。私が生まれた時代より、現代はとても生きづらく感じます。隠世の永住、もしくは周期毎による隠居もご検討ください。私も定期的に妖狐の里へお邪魔しておりますの」

 現代――令和の時代は多様性に溢れているが、裏ではそれを免罪符に悪事を犯す人間が増えてきた。日本人だけではなく、観光や難民などを理由に訪れる外国人も。

 今後の生活で現代の花比売が悲しい結末を迎えないために提案すると、魁は眉を下げ、うれいを滲ませた表情で咎めた。

「章子、お前は既に妖狐一族の一員。妖狐の里が実家――故郷なのだ。自らを余所者のように扱っては、彼奴等きゃつらも悲しむだろう」
「……あ。失礼、しました……」

 章子は自分の言葉がどれほど無神経なものなのか気付いた。
 花比売として迎えられた当初、人間だからという理由で敬遠され、婚約者絡みの嫉妬で嫌がらせを受けた経験がある。
 花比売であっても人間だから隠世に居場所はないと、生活環境や対人関係が改善した今でも心のどこかで気負っていたのだろう。
 だが、隠世を統治する魁が章子を認めた。章子の居場所は妖狐の里にあり、伴侶に選ばれた妖狐の隣だと。

 心の奥底でくすぶっていたよどみが洗い流され、気負いに似た感情が消えていく。
 目頭が熱くなっていき、涙腺が緩む。それでも女の矜持きょうじを保ち、華やかに笑った。

「魁様はお変わりになられましたね。これも華妃様のおかげでしょうか」
「……そうかもしれない」

 魁は否定することなく、ただ穏やかな微笑を浮かべる。
 桜の花比売が見つかるまで、張りつめた空気と殺伐さつばつとした雰囲気に恐れを抱いた。
 けれど、十年前の転機から徐々に軟化していき、今や雪融けを経た春と表現できる。

 魁の心に安寧あんねいを齎したのは華妃の存在があったから。
 心穏やかな笑顔が自然と出せるようになったのだと察した章子は心から願う。

「幸せになってくださいね。……お互いに」

 華妃を救えるのは魁だけだが、魁の心を癒し導けるのも華妃だけなのだから。


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