決別の刻


 一階に下りると、母と妹が限界まで目を見開いている。
 さげすんだ目をしていた父でさえ衝撃を受けた表情のまま、ぽかんと口を開けていた。

「あ、あの……!」

 その時、妹が声をかけた。
 華妃ではなく、魁に。

「あたし、新菜っていいます! お名前を……」

 明らかに好意を感じさせる笑顔で、妹は頬を赤らめて魁に近づく。
 しかし、あと数歩のところで立ち止まる。魁の冷たい目に射貫かれたからだ。

 一瞥いちべつした魁は興味を無くしたように玄関へ向かう。
 それを華妃は、昨日の妖魔に向けた眼差しと重なって見えた。
 だが、それ以上に強い嫌悪が宿っているように感じた。

「ぅわっ!?」

 魁を追いかけながら考えていると引っ張られる。
 なんとか踏みとどまって振り返ると、鞄の紐を掴んだ妹がにらんでいた。

「あの人とどんな関係なの」
「え? どんなって……」
「あんたを迎えに来たって言ったのよ」

 妹に次いで、母が剣呑な目で華妃に問う。

「どういうこと? あの人が天花寺さん?」

 実の娘、実の姉妹であるはずの華妃を嫌い、出ていくことを望んでいる二人が、人を殺しそうなほど恐ろしい形相ぎょうそうで詰め寄る。
 魁に興味を持った様子で問い詰める二人の身勝手さに、不快感を煽られる。

「関係ないでしょう。私を売ったくせに」
「なっ!? あ、あんたねぇ……! 今まで育ててやった恩を忘れたの!?」

 ヒステリックに怒鳴る母に嫌悪感が増す。

「今までずっと放置だったくせに、厚かましいことを言わないで」

 得体の知れない体質を理由に愛さないのなら、早々に見限ってほしかった。
 独りで生活できる程度の生活資金は貰えたが、彼等にとって華妃は厄介な荷物でしかなかった。捨てたのも同然の扱いをした彼等に、恩義を感じられるはずがない。
 それ以前に、平然と我が子を売り飛ばす所業に、人として失望した。

「このっ……! 調子に乗ってんじゃないわよ!」

 暗い気持ちのせいで冷淡に言ったのが悪かった。
 母だった女が金切り声をあげて、手を振りかぶる。
 殴られる――そう察した直後、肩を掴まれた。

「実の娘を殴るか。とんだ野蛮やばんな人間だな」

 引き寄せられ、冷え切った体を包む温もり。
 ギュッとつむった瞼を開けば、魁に抱きこまれ、振り下ろされた母の手を掴んでいた。

 母だった女は、魁のひと睨みに血の気を失って後退あとずさる。

「華妃、大丈夫か?」
「……っぁ……う、ん」

 衝撃のあまり呼吸を忘れていた。

 掠れた声で返事すると、魁は顔をしかめる。

「相手にするな。歩けるか?」

 親に向けた者ではない優しい声に、強張ったからだから力が抜ける。
 頷いて歩き出そうとするが、妹がいまだに鞄の紐を掴んでいることに気付く。

「ま、待って! この……姉とどんな関係なんですか!?」

 妹がすがるように魁を見つめる。
 必死な態度だが、魁は彼女の手を叩き落とす。

「痛っ! 何すんのよ!?」
「今さら華妃を姉と呼ぶな、売女が」
「ば……ばいた?」

 魁が酷い暴言を放っても、知らない単語なのか聞き返す。
 呆れ顔で嘆息した魁は、冷めた目で彼女等を睥睨する。

「貴様等は華妃を養子に出す条件として金を強請ゆすったそうだな。今までの養育費を払えるのかと。それ以上の金を出せば、嬉々と署名しょめいしたと」

 養子縁組の思わぬ真実。
 追い出すだけでいいはずなのに、他人から金銭を要求したのだ。
 正気の沙汰さたではないと、華妃は愕然がくぜんとする。

「外道風情が華妃の肉親を名乗るな。虫唾が走る」

 魁は酷薄こくはくに吐き捨てる。
 怖いと思うが、それ以上に華妃も同じ気持ちだった。
 気持ちを代弁してくれた魁の思いに泣きたくなり、そっと寄り添う。

「その上、小娘の教育は杜撰ずさんだとは……呆れるしかない」
「……は? 今、新菜をけなしたのか……?」

 父だった男の剣呑な声に、魁は鼻でわらう。

「貴様等も含めて言っている。どういう教育をすれば平気で身売りできるのか。そんなに金が欲しいのか? 道徳も倫理りんりもない強欲な性質たちは、親と同類だな」

 唾棄だきせんばかりの悪態に、妹だった者の赤らんでいた頬が一気に蒼褪あおざめる。
 顔を強張らせ、今さら恐れを感じて後ろ足を引く。

 異様な愛娘の反応に、彼女の父が困惑こんわくする。

「どういうことだ……? 新菜の何を知っている?」
「その小娘に聞けばわかることだ」

 つまり、魁に寄りつこうとしたのは、魁の身体と金が目的だったのだ。
 理解した途端、華妃も一気に嫌悪を込めて顔をしかめる。
 同じ親から生まれたはずなのに、そこまで落ちぶれていたのだと知り見損なう。

 今の自分は冷たい目をしている。きっと蔑みも宿っている。
 そんな華妃を見て、妹は顔を真っ赤に染めて睨む。

「な、なによその目……っ! みにくい根暗のくせに、あたしにその目を向けないで!」

 醜い根暗――確かにそうだと、華妃は漠然ばくぜんと同意する。
 厄介な体質が原因で、誰とも関われなかった。
 心を閉ざし、自分を守ることしかできなかった。
 言われなくても自覚しているが、酷い暴言が心に突き刺さる。

 だが、それ以上に――

「貴女にその言葉を使う資格はないでしょう」

 はっきりとした声で言い放つ。

 怒りはある。恨み辛みも、当然にある。
 けれど、それ以上にいだ気持ちで、声には強い芯が通っていた。

「どんなに美しく装っても、綺麗に着飾っても、中身がともなわなければ意味がない」

 髪を染めて洒落た服を着こなした彼女達は、華妃を陰気で醜いと言う。
 しかし、どれだけ化粧で美しく装っても、どれだけ華美な服飾で綺麗に着飾っても、中身が伴わなければ一層醜く感じるのだと、この時をもって初めて知った。

「鏡を見ればわかるよ。今の貴女が、どんな顔をしているのか」

 憤怒の形相は、鬼女とたとえられるほど歪んでいる。
 華妃は自分を嘲笑っていた時と同様の顔を真っ直ぐ見据え、静かに目を細める。

「自分の性根を自覚しない貴方達が、『醜い』なんて言葉を言う資格はない」

 深いと嫌悪の感情を込めた冷徹な眼差しで、凛と強い声で言い放つ。
 思い返せば、自分の意思を彼等にぶつけるのはこれが初めてだ。
 実の親に売られたと知ったときから抱えた暗くよどんだ気持ちが消えた。代わりに嫌悪感で胸の奥が冷え込む。
 こんなに冷たい感情を抱くのは初めてだと、華妃は自分の心情を俯瞰ふかんした。

「よく言った」

 魁の声を聞いた途端、目から力が抜ける。
 まばたきして見上げれば、魁は凛々しい笑みを浮かべて華妃を見下ろしていた。

「行くぞ」
「……うん」

 魁に背中を優しく押され、華妃はゆるりとまなじりを下げて応えた。

 全部ではなくても、言いたいことを言えた。
 肉親の情も消えて、未練も断ち切った。
 もう二度と会うことはないだろうけれど、後悔は一つもない。
 彼等から受けた心の傷は残っても悲しくはない。
 ――これから新しい人生が始まるのだから。

 華妃は振り返ることなく、ただ真っ直ぐ前を向いて、冷たい牢獄から立ち去った。