救いの花


 ――花比売。ごく稀に現れる、身体に花を咲かせる強い霊力を持つ人間の女性。

 華妃という少女は生まれながら質の高い莫大ばくだいな霊力を持ち、「桜」が身体の至るところに咲いている。しかも霊力は年々と増していき、花の数も増え続ける一方。
 花も匂いも、霊感が無ければ見ることも感じることもできない。

 その秘密が、とうとう明かされた。
 今まで死霊にも目をつけられてきたのだから、原因が判っただけでも前進だった。
 けれど、やはりこんな特異体質が無ければ――と思ってしまう。

 この特異体質のせいで家族に精神病者と認識され、うとまれ、さげすまれた。
 死ぬまで誰にも理解されず、孤独のまま生きていくのだと思うと、とても苦しかった。

 ――そんな彼女に、思いも寄らぬ転機が訪れた。


「あのっ、ごめんなさい!」

 これまでの人生で見たことのない黒塗りの高級車に、魁が荷物を入れていく。
 怖々こわごわと距離を置いていた華妃だが、勇気を出して勢いよく頭を下げた。
 振り向いた魁は目を丸くし、驚いた様子で彼女の肩に触れる。

「華妃は悪くないだろう。なぜ謝る?」

 確かに華妃自身は悪くない。だが、先程のことを思い出すと胸が痛む。

 最低最悪な肉親と決別できたが、同じ親から生まれた妹が魁に言い寄った。
 そこで彼女は親に隠れて身売りしていたのだと、魁を通して知った。
 たとえ姉妹であっても自分より恵まれているのに、どうして生き汚くなれるのか理解できない華妃は、いきどおりと同じくらい申し訳ない気持ちが込み上げた。
 身体と金銭目的で言い寄られた魁に対して、罪悪感をこらえきれなくなったのだ。

「……あの子が言い寄ろうとして、不快にさせて。それに、お金のことまで……」

 そこまで言って、だんだんと蒼褪あおざめる。
 華妃を肉親から引き離すために養子縁組が密かに進められていた。その時に両親が「これまでの養育費を払えるのか」と、養子縁組先に大金を要求したのだ。
 提示ていじした額は三百万円。学費と生活費を合わせた本当の養育費を上回る金額だった。

「ど、どうしよう……! お金無いのに……!」

 華妃は借金≠ニいう重い現実が頭に浮かんだ瞬間、血の気が引く。
 更なる罪悪感が圧し掛かり泣きそうになっていると、魁が優しく背中を撫でてなだめる。

「落ち着け、金のことなら気にするな。それにあの人間どものことだ。手切れ金すら渡されなかったのだろう?」

 魁の言うとおり、親の命令で通帳は置いてきた。銀行から引き出して節約しながら貯めた分は財布に入れているが、ほんのわずかかなので心許こころもとない。

 重苦しい気持ちで力無く頷けば、魁はまなじりを下げて華妃の頬を撫でる。
温かな手のひらに力が抜けそうになり、顔を上げれば魁は微笑を浮かべていた。

「まずは車に乗ってくれ。移動しながら話そう」
「……はい」

 これからどこへ向かうのかも、高級車に乗ることにも不安がある。
 緊張気味に近づくと、運転手らしき黒髪の青年が愛想あいそうの良い笑顔で一礼し、ドアを開けた。

「あ、ありがとうございます」

 これまでされたことのない丁寧ていねいな対応に驚き、反射的に礼を言う。
 恐縮から会釈えしゃくすると、青年は柔和にこたえる。

「当然のことですので、礼は不要です」

(え、当然?)

 思わぬ言葉に目をしばたかせる。
 きょとんと見つめられた青年は気恥ずかしそうに微笑を深める。
 よく見ると、烏から人間へ変化した男性と似た風貌だ。

(彼も妖怪……?)

 魁ほどではない美貌だが、武芸が得意そうな精悍せいかんな美青年という印象を抱く。
 妖怪とは人間と違って美貌の者が多いのだろうか。
 そんな他愛たあいないことを考えているに魁が乗り込んだので、慌てて華妃も乗車した。

「あの……どうして当然って言ったの?」

 自動で閉じた扉を横目に、華妃が戸惑いながら訊ねると、魁はほのかに笑った。

「あの部屋に現れた妖怪は烏天狗からすてんぐ、黒羽。運転手はあれの息子だ。多くの一族を持ち、現世にはその多くが活動している」
「烏天狗……あ、鞍馬くらま天狗の方だっけ……? 牛若丸うしわかまる……えっと、源義経みなもとのよしつねを育てた鬼一法眼きいちほうげんと同一人物って言われている?」
「そうだ」

 趣味の読書の一環として、天狗の知識はある。

 奇跡を起こす羽団扇はねうちわを持つ、有翼の人型の妖怪。空中を駆け抜け、分身、変身、風雨や火炎を起こし、人心じんしんを操る能力をそなえるとされる。
 源義経、幼名・牛若丸を育てた陰陽師おんみょうじ・鬼一法眼と同一視されている鞍馬天狗。彼は烏天狗であるという伝承がウェブサイトにも載っていることを思い起こす。

 華妃がそれを口に出すと、魁は感心を込めた目に変わる。

「黒羽はその長、サナトの息子だ」
「サナト……? あ、サナト・クマラ? 確か……護法魔王尊ごほうまおうそんっていう?」
「よく知っているな。勉強したのか?」
「和風や洋風のファンタジーが好きで、つい調べたのを覚えているだけで……」

 付け焼刃の知識で申し訳ないと縮こまる。
 これから多くの妖怪と関わるのなら、その手の勉強もするべきだろう。

「貴女様に我等一族を存知ぞんじいただけて光栄です」

 今後の方針を考えていると、運転手の青年が喜んで声をかけた。

「私のことは、どうぞ黒鋼くろがねとお呼びください」
「あ、はい。えっと……華妃といいます。よろしくお願いします、黒鋼さん」
「ぜひ呼び捨てで。敬語は禁止です」

 名乗り合って挨拶すると、呼び捨てを強要された。

「……黒鋼?」
「はい! 今後ともよろしくお願い致します、華妃様」
「え? 様=c…?」

 敬語を使えないことに戸惑いを覚えながら呼び直すと、黒鋼は嬉しそうな声で改まる。
 対する華妃は、いきなり尊称そんしょうをつけられたことに困惑する。
 魁を見上げれば、彼は仕方なさそうに吐息を漏らした。

「受け入れてやれ。黒羽の一族は、華妃に命を救われている」
「えっ? 命を……?」

 気付かぬ間に妖怪の恩人になっていたらしい。
 身に覚えがなくて困惑していると、魁は穏やかに眦を下げた。

「華妃は間引いた花を捨てていたそうだな」
「う、うん。ベランダに……あ」

 そこまで言って思い出した。

 部屋に匂いがこもったら大変だから、間引いた花はベランダに捨てていた。その時に弱った烏がベランダに迷い込んだ。
 弱々しい様子から動物病院が選択肢に浮かんだが、充分な生活費もないのに治療費を払えるはずがない。
 どうしようと悩んでいると、ベランダに捨てていた花を食べていた。すると、弱々しかった烏はガツガツと勢いよく花を食べ尽くした。
 驚いている間に完食した烏は、華妃に向かって深々と頭を下げて飛び去った。
 烏は賢いと世間で言われているが、礼儀まで行き届いていると勘違かんちがいした一件だった。

 あれから間引いた花を手提てさげのかごに入れてベランダに置くと、帰宅する頃には無くなっていた。きっとあの烏が食べているのだろうと思って、以降から日々の習慣になった。
 しかし思い返せば、花比売の花は霊的な存在にしか感知されない。
 つまり、あの烏は彼等――烏天狗だったのだ。

「華妃様の花で、父の命は救われました。ご丁寧に籠に纏めてくださり、現世で弱った同胞のもとへ運べました。貴女様のおかげで、我々は飢餓きがに苦しむ日々から救われたのです」

 魁いわく、現世は時代の移ろいで霊気が薄くなり、妖魔へちる妖怪が増えた。
 黒鋼達も深刻な霊力不足の問題で苦しんでいたのだと思い知らされた瞬間だった。

「……そっか。私の花、誰かを救えたんだ」

 誰にも信じてもらえなくて、むしろ精神病者と疑われて肉親に嫌われる原因となった。その上、入院時代では死霊から肉体を狙われ、命の危機にさらされ続けた。
 桜の花自体は好きなのだが、身体に咲く桜だけは大嫌いになった。
 けれど、その花のおかげで誰かの命を繋げていた。
 あんなに疎ましかった特異体質なのに、誰かを救う力になれたのだと知れて嬉しくなるなんて、今まで思いもしなかった。

「よかったぁ」

 ただの厄介ものではないのだと知れて、心の底から笑顔が浮かぶ。
 すると、しん、と車内に沈黙が降りる。
 不思議に思って顔を上げると、魁は目を丸く見開いていた。
 バックミラーに映る運転席の黒鋼は、見たことがないほど赤面している。

「どうしたの? ですか?」

 熱でも出たのではないかと心配になってくると、黒鋼は真剣な顔で鏡越しに魁を見る。

「鬼神様、どうか……」
「言われずとも」

 言葉少なだが、何やら通じ合った様子。
 男同士の語らいだろうかと首をかしげると、魁が華妃の手を握る。

「華妃。お前を守ると言ったことは覚えているか」
「……はい」

 昨夕さくゆうの別れる前に、そんな話をしていた。

 華妃は人間で、花比売。魁は妖怪で、最も力のある鬼。
 もしかしたら花比売という希少な存在が目的ではないかと警戒したが、魁は華妃を牢獄のような家から連れ出した。華妃の人生を救ったのだ。

 けれど、少しだけ怖い。
 本当に最後まで信じていいのだろうか。
 それに――

「無理に信用しなくていい」
「……え?」

 不安を読み取った一言に、伏せていた目を魁へ向ける。

「お前のことだ。人間と妖怪の差。養子縁組に支払った資金。花比売の力が目的の妖怪なのではないか。……失望されて捨てられないか。そう考えているのだろう」

 魁が並べた言葉に息を呑む。
 華妃が懸念けねんしている内容の全てをげられたのだ。

「華妃の性分と顔を見ればわかる」

 他者の心が解るのだろうか。もしかして、その手の能力を持っているのだろうか。
 ――そう疑っても不思議ではない魁の観察眼に、本気で思ってしまった。

「ゆっくりでいい。私を知って、理解して、そして信頼してくれ」

 華妃の華奢きゃしゃな手を包み込むよう握った、大きな手のひら。
 初対面の時から、彼の手が纏う空気は温かくて、とても心が安らぐ。
 すでほだされかけている心を自覚しているからこそ、その温もりの危険性を理解する。

(それでも……)

 彼の本心を見極めるまで全てを預けられない。それでも、こんなにも厄介で面倒事を抱え込んでいる自分を受け入れてくれるから、彼の気遣いに泣きたいほど喜んでしまう。

「……ありがとう、ございます」

 目頭が熱くなって、潤んだ瞳から涙がこぼれる。
 緊張感が抜けたせいもあって止まらないけれど、こんなにも心が安らぐ涙は初めてで、止めたくないと願ってしまう。
 だが、泣いてばかりでは心配をかけてしまう。それだけは嫌だと、華妃は気の抜けた笑顔を浮かべてみせた。

 華妃自身は不器用で歪んだ笑顔だと思う。しかし魁の目には、見る者の心を清める、儚くも温かな笑顔だと感じた。
 眩しそうに目を細めた魁は、衝動のまま華妃を抱きしめた。

(……どうしよう。やっぱり私、抜け出せない)

 昨日が初対面の他人なのに、この温もりから抜け出したくないとさえ感じてしまう。
 全部までゆだねられない葛藤から胸板にひたいをつけると、魁に頭を撫でられる。

(しまった。駄目じゃない、これは)

 これではすがっているように見えてしまう。
 我に返った華妃は理性を働かせて、魁から離れようと体を起こす。

「ご、ごめんなさい。もう大丈夫です」

 安心させようと言うが、魁の手は華妃の背中に回ったまま。
 離れられない状態に気付き、華妃は戸惑いながら呼びかける。

「あ、あの……魁?」
「ん?」

 柔和な表情で、小さく首を傾げる魁。
 芸能人を超える美形が、小鳥のような仕草をすると心臓に悪いなんて初めて知った。

「どこが大丈夫なんだ。顔が赤いぞ」
「いや、あの、これはっ……! その……は、恥ずかしいからっ……!」
「恥ずかしい? ……ああ、今さら意識したということか」

 平然と指摘されて、殊更ことさらに顔が熱くなる。

「だ、だって今までこんなこと、されたことなくて……」
「それは重畳。今後は特に男には気をつけろ」

 男と言われて思い出す。進学先の学校で、生徒会長に花の匂いをがれたことを。
 忘れたさのあまりに目の奥まで熱くなると、魁の手がおとがいにかけられ、軽く持ち上げられた。

「どうした?」

 顎に手を添えて心配そうに華妃の顔を覗き込む。
 そんな魁の美々びびしい顔面に、とうとう羞恥が限界突破した。

「っ……ちっ、近い! もう無理っ……!」

 背中を丸め、両手で顔を覆い隠して叫んでしまう。
 手で触れて判るくらい頬が熱い。しかも、先程と意味の違う涙まで溢れ出た。

(こんなラブコメみたいなの、どうすればいいの……!?)

 初めてのことばかりで、ぐるぐると思考回路が絡まる。
 頭の中が混乱してくると、魁の身体が微動し、声をあげて笑った。

「クッ、ハハハッ。本当に華妃は愛いなぁ」
「ごめんなさいそれ以上は無理だから言わないで……!」

 早口で一息に言っても、魁は喉を鳴らして笑うばかり。

「そういうありのままでいてくれ。余所余所しくされては……私がさみしい」

 悠久の時を生きる魁に、「寂しい」と耳元でささやかれる。
 その一言が、グッと華妃の心に刺さった。

「うぐっ。……わ、わかった」

 頬の熱と格闘しながら頷けば、魁は満足げに華妃の長い髪をきながら撫でる。その優しい手つきに、次第に緊張する体の筋肉が弛緩しかんする。
 昨日が初対面なのに、どうして気が抜けそうになるのだろう。

(……何だろう。この、頭にかかった靄みたいな……?)

 魁と出会ってから感じる、懐かしさと切なさ、そしてかすみがかかったような何か=B
 大切なものを忘れて足元が不安定な時に似た、あやふやな感覚。

 探ろうとするたびに遠ざかっていく、この曖昧あいまいな感覚の正体は――