思えば、今まで生きてきた中で選択肢というものは存在しなかった。
『どうするか』は、自分が決めるものではなかったからだ。
あまり昔のことは覚えていない。
覚えているのは、波の音、暗闇、木樽の匂いと、潮の香りにほんの少し混ざるすえたような臭い、そして時々聞こえる人びとの会話。
「ああ…例えばこいつなんかは小さすぎて売れ残ってるんです。
まあこういうのが好みなモノ好きも居るが…基本的に、女はもう少し育ってからが高値で売れるのでね」
商人の男にぐいと腕を引っ張られて羽振りの良さそうな服装の男の目の前に突き出される、その男は値踏みをするように瞳を上下させてあたまのてっぺんから爪先まで自分を見た。
「逆に男は小さくても身なりが整ってなくても労働力になるから、それなりに取引できますが。
どうです旦那、男もいくらか居ますがご覧になりますか?」
「ふむ…いいや、そっちの方はまだ必要ないんだ、いずれ人手が足りなくなった時にでも頼もう。
それより、実は俺もこういった商売に気があってね…試しにこれを使ってみるのも悪くなさそうだ」
男がふんと鼻を鳴らし「幾らだ」と商人に話す、商人は男に近づいて小声で暫く言葉を交わしたあと、男が数枚のベリー札を商人へと手渡した。
商人が男に提示した金額が一体いくらだったのかはわからないが、その数枚のベリー札が自分の価値なのか。とその様子をただただじっと見ていた。
「今日から俺のことは“お父様”と呼びなさい」
自分のことを買った男は、屋敷に着くなりそう言った。
そして、メイドらしき女性に身体を洗われて、身なりを整えられて、食事を摂った。
自分の部屋をもらって、これからはそこで食事を摂り眠るように言われた。
雨や風が凌げる部屋にベッド、ほつれややぶれのない服、何よりも、地上。
北の海は寒く、船の中にいても隙間風がふき、雪が滲み出た。
降り積もる雪を窓を隔てて眺める、以前とは比べ物にならない生活だった。
その屋敷はやけに広く何人ものメイドが働いていて、“お父様”は夫人である女性とこの屋敷に住んでいた。
夫婦の間に、子供はいない様子だった。
彼女のことは“お母様”と呼ぶように言われた。
あまり昔のことは覚えていない。
覚えている中で、それがはじめての『家族』というものだった。
「シャチとペンギンだ」
屋敷の生活にもずいぶん慣れた頃、“お父様”が連れてきたのは自分と同い年くらいの男の子ふたりで、彼の甥だという。
二人は緊張が解けていないようで、PENGUINと書かれた帽子の男の子にキャスケット帽子の男の子がべったりくっついていた。
ペンギン帽の男の子はこちらをみて少し表情が緩むとぺこりと頭を下げ「よろしく」と小さな声で呟くと控えめに手を差し出した、それを見てキャスケットの男の子も手を差し出す。
その手を握ると、二人とも緊張のせいか、それとも外から来たばかりだからか、ひんやりと冷たかったのを覚えている。
それから、数日も経つとペンギン帽とキャスケットの男の子たちは外へ出ることが多くなった。雪の降り積もる中薄着で歩くのを窓越しに見ていた。寒そうだな、と思った。
彼らの顔や腕にはよくあざのような傷跡が見えた。
そして、薄着の服の下から覗く腕は、この屋敷にやってきた時より随分痩せ細ったように見えた。
「…あの子達は、どうして外へ行くの?」
いつも食事を運んでくる、髪をお団子に結えた若いメイドにそう聞くけれど彼女は聞こえなかったのかその問いかけには答えない。
「この島はいつも雪が降っているのに」
この屋敷に来てから、雪の降らない日を見たことがなかった。
このつぶやきにも、メイドは何も答えなかった。
「お食事です」と彼女は言い、目の前に二切れのパンと野菜がほんの少し浮かんでいるスープを置いた、彼女は自分が食事を摂り、食器を下げるまで黙って部屋の中で待っていた。どうせ何かを言っても彼女が答えることはないので、独り言だと思って「あの子達はちゃんとご飯食べてるのかな、初めて会った時より痩せて見えたんだ」と言うと、メイドが「彼らの心配より、ご自分のことを気に掛けられてはいかがですか」と今日初めてまともに口を開いた。
気にかけると言っても、一体何を気に掛ければいいのかわからなかったのでそれに返事はしなかった。
彼女もそれ以上何も言うことはなく、スープを飲み干すのを見るとさっさと食器を片付けて部屋を出て行ってしまった。
それから特にやることはなく、もう何回も見た本を繰り返し眺めたり、壁の模様を数えたり、外の景色を眺めたりしていたけれど、あの二人の男の子のことが頭から離れなかった。二人とも見たところ自分と同じくらいの年齢だった。
陽が傾いてきて、窓から外をもう一度見ると吹雪の中彼らが屋敷へと戻っているところが見えた。
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