あまり昔のことは覚えていない。
船の上では、いつも商人が忙しなく歩き回っていた。
次の停泊地は、荷積みは、商品は———
船の上にいた自分と同じような“商品”の男たちは何かと雑用をさせられていたが自分は、『お前は女だから売りに出すまで傷物にできない』と、ただぽつんと荷物の片隅に邪魔にならないように座っているだけだった。
その船ではあまり他の人間と関わることもなく、同じ年齢くらいの子供を見ることもなかった。
そんな生活は、この屋敷に来てからもなぜだか続いている。
夫妻に子供がいないというのもあるが、むやみにこの部屋を出ることを許されていない。
お父様が呼んだ時以外は黙って部屋の中に座っているだけで、せっかくあの船を降りられたのに、退屈だ。
屋敷にやってきたあの男の子たちは、自分の見たことのない世界を沢山知っているんだろうなと思ったらそれを知りたいという興味が湧いてきて、どうにか話せないものかと思案した。
陽が落ちて、いつも通り二人が街から帰ってくるのを窓越しに見る。
そして屋敷の中に入ったのを見計らってドアに耳をピッタリつけて待つ、暫くは何も聞こえなかったが少し時間が経つと、パタパタと二人分の小さな足音が聞こえてどこかのドアが開く音がした。
二人はこの階のどこかに居る。
話してみたい。
どうしてもそんな気持ちが抑えられず、こっそりと会いに行くことに決めた。
夜が更けてくると夫妻(と、稀に夫妻の友人?が屋敷を訪ねている時もある)は、酒を飲みながら派手に食事をしたり、ギャンブルをしているようで、夫妻の部屋からは毎晩喧騒が漏れ出ている。
酒に酔った大人の声は大きくて、よく響いてわかりやすい。
船に乗っていた時もよく聞いたそれは、突然しんと静まり返る時が来る。
アルコールのおかげでぐっすりと眠ってしまうようで、船の大人がそうだったように、夫妻もそうだった。
しばらく耳をそばだてていたが起きてくる気配がなかったのでこっそりと部屋を抜け出した。
二人のいる部屋がどこなのかわからなかったので一通り近くの部屋を探しまわったがニ人の姿はなく、誰かに見つかる前に一旦部屋に帰ろうと自室へと向かっていると奥まった物置部屋から微かに話し声が聞こえたような気がした。
メイドの誰かかもしれない、でもどの部屋にも彼らはいなかったのだからと深呼吸をして、どきどき跳ねる鼓動で手が震えながら恐る恐るドアを開けてみると「誰だ」と小さい声が聞こえた。
それはあのペンギン帽の男の子の声だった。部屋の灯りは消されており、ペンギン帽の男の子の隣にはキャスケットの男の子が身を寄せて眠っていた。
ペンギン帽の男の子は半身を起こしながら、警戒しているようにこちらを睨んでいた。
「あ…あの、」
「…なんだよ、お前あいつの娘じゃねえか」
向けられた声色は、初めて会った時のものとは全く違っていてびくりと体がこわばる。
「何しにきたんだよ、こんな所に。あいつに何か言われたのか?」
ペンギン帽の男の子——ペンギンは、隣で眠るシャチを起こさないように声量を落として話した。
「あ、あいつって…」
「叔父さんだよ、叔父さんになんか言われて来たんだろ」
「ち、違うよ!お父様は関係ない…」
「じゃあなに、何でここに来た」
「えっと…それは」
言い淀んでいる間も、ペンギンはこちらを疑り深い目で睨んでいる。
それは単なる警戒だけではなくて、自分のことを良く思っていないのが何となくわかってしまった。
「その、話したくて…君たちと…」
「話す?何を、何の為に」
「それは……」
また言い淀んでしまって、居た堪れない空気がしんと静まり返る。
自分で思っていたより、彼らが自分の存在を好意的に受け取っていないことがわかり、ショックだった。
「あいつの娘なんかになにも話すことねーよ。
…それとも何だ、お前のお話に付き合うのと引き換えに食うもんでも持ってきてくれんのか?
だったら聞いてやっても…」
「ほ、ほんと?」
だから、きっと彼は特に何も考えずに話した交換条件に食い気味に反応した。
それを聞いて今度はペンギンがびくりと驚く。
「た、食べ物…持ってきたらいいんだね。わかった」
「お、おい…」
「今日は無理だけど…明日!明日必ず持ってくる、約束。絶対持ってくる!」
そう言い残すだけ言い残して、二人の部屋を飛び出して急いで自分の部屋に戻る。
交換条件次第では二人と仲良くなれるかもしれない!と思うと、考えるより身体が動いていた。
そして興奮のまま布団をかぶって、どうしたら食べ物を手に入れられるかを頭の中で一人作戦会議をした。
うまくいけば、二人と友達になれるかもしれない。
今日も窓越しにどこかへ向かう二人を見送る。
そして、目の前には変わり映えしない、パンと野菜が数切れ浮かんだスープと水。
いつものお団子の若いメイドが用意を済ませ定位置に着くと、なんとか彼女の目を盗んでパンを服の中に隠し入れた。
食器を下げ、メイドが部屋を出ていくまで自分の一挙一動が全て不自然に思えて、それでもバレませんようにと願って、心臓がドキドキ跳ねて止まらなかった。
夜が更けるといつものように夫妻の部屋の様子を見て自室を出る。
気持ちばかりの小さなノックをしてペンギンとシャチの部屋に入ると、今日はシャチも起きていて警戒した目でこちらを睨んでいた。
「た、食べ物持ってきた…」
そう言うと、ペンギンが低い声で「入れよ」と言うので緊張して震える手をギュッと握って、音を立てないように扉を閉めた。
二人が何を持ってきたのか、本当に持ってきたのかと期待と疑いを混ぜた視線でこちらを覗き込む中、自分はどうにか震えを出さないように力を入れて持ってきたパンを二人の目の前に置いた。
「…って、なんだ、食いもん持ってくるって…パンかよ」
「す…スープは…流石に無理かなと思って」
どうやら期待はずれだったようで、ペンギンは持ってきたパン切れを見てはぁ〜と大きく溜息をついてあからさまにがっかりする、隣にいたシャチも似たような反応でさっきまでの警戒とはまた別の『なんて役立たずなんだ』といった視線でこちらをじとりと睨んだ。
「持ってくるって意気込んどいて…せめて肉とかさぁ…」
「そういうのは厨房まで行かないと無理だったから」
「じゃあ取りに行けばいいじゃん」
「む、無理だよ。お父様から呼ばれない限りは部屋から出るなって言われてるんだ、厨房なんてとてもじゃないけど行けない…」
「へえ…まあいいけど。明日は別のもん持ってこいよ」
シャチがパン切れを一口齧り、咀嚼しながら話す。
「うーんわかった…じゃあどうにかしてスープを…」
「って、なんでスープに拘るんだよっ!もっと他にもあるだろ!!」
「だ、だってパン以外って…スープしか…」
ここで、ペンギンとシャチが怪訝な顔をして二人で顔を見合わせる。
そして「お前、パンとスープしか食ってないわけじゃないよな」とペンギンがこちらに向かって言うので「そうだけど」と言うと、丁度いいタイミングで流石に水とスープだけでは堪えきれなかったのかお腹が小さくグゥと鳴いた。それを聞いて「はぁ?!」と大声を出したのはシャチの方で、ペンギンが慌ててシャチの口を塞いだ。
「おっ、お前、じゃあこのパンって今日のお前の飯じゃ…」
「そうだけど」
「…ちゃんと三食食ってんだよな?」
「?、いや、それだけだけど」
そう言って二人のことを見ると、少しの間があってペンギンが塞いでいたシャチの口から手を離して声を荒げた。
「——馬鹿野郎!なんで自分のメシ持ってくんだよ!!
お前もパンとスープしか食わせてもらってねーんだろ!」
そんなに声を荒げたらシャチの口を塞いだ意味がないんじゃないかと思ったが、その剣幕に気押されて少し身じろぐ。
「だって、食い物持ってきてくれたら話してくれるって…」
「アホ!俺はてっきりアイツの娘なんだし、お前の方が良いメシ食ってんだろうなって思って…そんな事したらお前の腹が減るだろうがっ!っていうか減ってるんだろ!」
二人のために持ってきたはずのパンを——しかも片方はシャチが既に手をつけたものを、ペンギンとシャチが慌てて「食え!」「食え!」と口に無理やり詰め込んで来る。
息が苦しくなりながら二人のために持ってきたのにと抵抗しようとするが、パンをむぎゅむぎゅと口の中に詰め込まれて声が出せ無くなってしまった。
「ど、どう言うことだよ…こいつ、あいつの娘なんじゃ…」
「やっぱり…ほら、だから俺、あいつに娘なんか居ねえって…」
「じゃあこいつは誰なんだよ、何でこんなとこ…」
ようやく詰め込まれたパンを咀嚼し終わるとペンギンとシャチはこちらをきっと睨んで「お前!誰だ!」と言うのでどう答えればいいのかわからなくて「ええと、クマノミだけど…」と返す。
「そういうことじゃなくて、お前本当にあいつの娘か?
自分の子供にくらいまともなメシ食わせるだろ…」
「娘っていうか…本当の娘ではないから…………その」
自分が商人の船から“買われた”ということを二人に話すのがなんだか恥ずかしくて、その後の言葉に詰まる。
その様子を見て「…まぁなんにせよ、お前も俺たちと同じってことかよ」とシャチが少し落ち着いて、ため息をついた。
「同じって…シャチとペンギンはどうしてここに?それに、昼間は何をしに外に出てるの?」
そう聞くと、二人の顔つきが強張る。
シャチが「それは…」とバツが悪そうに呟くが、ペンギンがそれを手で制して続けた。
「…俺たち、親を亡くしてここに来たんだよ。あいつはシャチの叔父だから、そのつてで。
でもあいつ、碌でもねえ奴だよ。昼間は街であいつの武器の密輸とか…盗みとか、やらされてる」
「えっ」
「ペンギン!…言っちまっていいのかよ」
「別にいいだろ、こいつだってろくな飯も食わせてもらって無いんだ。俺たちと同じだよ。お前はなんかやらされたりしてないのか?盗みとか」
「えと…何も、そういうのは…」
「そうか、ならさっさとこんな所出たほうがいいぜ」
「あの、ごめん…まさか二人がそんな事させられてるなんて思ってなくて…」
聞くべきではなかったときまり悪い気持ちでいるのを察してかペンギンが「別にいいよ」と言う。
「じゃあ…それって」
シャチとペンギンの体に浮かぶ真新しそうな赤紫色の打撲跡のようなものを指さすとこくりと頷いて「あいつにやられたんだ」とペンギンがその傷を撫でた。
「まぁ、もう慣れちまったけどさ」
そう言って自嘲気味に目を逸らした。
「クマノミ、お前本当に何もさせられてないのか?殴られたりとか…犯罪手伝わされたりとかさ、…俺、おかしいと思ったんだよ、叔父さんに子供がいるなんて聞いたことなかったから」
シャチが心配そうに聞いてきたけれど「うん、本当に何もない」と言うと「そうか」とほっとしたような顔をした。
「…あの、二人と、友達になりたいんだ…何も手助けはできないんだけど…その、自分と同じくらいの年の子初めてで…!
もっと話したくて…あ、でも、食べ物は、パンしか持って来れないけど…それでもよければ…」
緊張と恥ずかしさからもごもごと口ごもりながらそう言うと、二人は顔を見合わせたあとプッと吹き出して、シャチが「馬鹿、持って来なくていいよ!」と笑った。
ペンギンは「当たり前だろ、俺たち友達になろう」と手を目の前に差し出した。
シャチも同じく片手を差し出す。
なぜかわからないけど、目の奥と心臓のところがじわりと暖かくなった。
差し出された二つの手のひらを両手でギュッと握る。
傷だらけになったその手は、最初の握手の時よりずいぶん暖かく感じた。
それから、夜が更け皆が寝静まると度々二人の部屋へ足を運ぶようになった。
やがてそれにも慣れてくると、二人が自分の部屋を訪れるようにもなって、お互いの部屋を行き来しながら遊んだ。
夜廻のメイドに見つかってはいけないので部屋から出ることはなかったが、同じくらいの年の子供と遊ぶことは初めてで毎晩がわくわくしていた。
それと同時に、だんだん深くなるペンギンとシャチの傷を見るのが辛かったけれど、どうすればいいのか分からなかった、自分にはただ「大丈夫?」と聞くことしかできなかったのがいつももどかしかった。
暗い部屋の唯一の灯りであるランプの近くに三人で寄り添って、ほんの気持ちだけの暖をとりながら色んな話をした。二人はいろんなことを話してくれた。
生まれ故郷のこと、そこの有名なものとか、お気に入りの場所。
それから二人の家族のこと、仲が良かったこと。二人は幼馴染なこと。
どの話も自分には無かったものばかりで、羨ましくて楽しかった。
それから、二人のことも教えてもらった。
シャチと自分は同い年で、ペンギンが一個年上だということ。
二人はこの島で生まれ育ったこと。
そんな話の流れで
「そういえば、お前誕生日いつなの?俺は4月7日」
と、シャチが自分の部屋の窓のへりに腰掛けながらこちらへ聞いた。
ベッドに座っていたペンギンは「俺は4月25日だよ」と言った。
「た、たんじょうび…」
「うん、誕生日」
狼狽える自分に、シャチはきょとんとした顔で返答を待っていた。
「……誕生日、わかんない」
自分でも思ったより情けない声が出た。
その声を聞いてか、シャチは「ごめん…」と申し訳なさそうに呟く。
「で、でもお前年齢は…」
「年齢は…その」
空気を変えようと思ってだろうか、ペンギンも焦った様子で聞いてきたけれど自分は商船から“買われた”子供だと言うことを明かしていなかったから言葉に詰まった、このことを打ち明けたら二人にどう思われてしまうんだろうという漠然な不安があったからだ。
部屋は一瞬で気まずい空気になってしまって、誰も口を開きはしない。
「……あのさ、聞いて欲しいことがある」
意を決して声を出すと真剣に聞くべきと思ったのだろうか、シャチは窓から降りペンギンの隣に座り直して二人でまっすぐこっちを見た。
「あの、聞いても…友達のままでいて欲しいんだけど」
なかなか打ち明ける勇気が無くてそんなことを口走ると、二人は顔を見合わせてお互いにこくんと頷いたあと「当たり前だろ」とこっちを向いた。
ふう、と一息ついて心臓の高鳴りを気持ちだけ落ち着けると、意を決して言葉を紡ぐ。
「……いつ生まれたのか、わかんないのは本当。
年は…周りの大人が覚えてたんだ。…ここに来る前は、船に乗ってた。
その船は、商船で…表向きは酒とか、食料なんかを貿易している船だったんだけど、他にも裏ででやってる事があって…
————商品、だったんだ、その…人身売買ってやつの」
居た堪れなくなって俯いたままだったが、ペンギンかシャチかどちらかがごくりと唾を飲む音が聞こえた。
「じ、人身売買…」
シャチが驚いたように呟く。
怖くて彼の顔を見る事はできない。
「…前にお父様の本当の娘じゃない、って話したけど、買われたんだ。あの人に…
それまでは…ずっと船にいた、物心ついた時にはもう——気付いたら、その船にいた」
「だから…」と続けようとして、言葉が出なかった。
『だから』どうなのか、わからなかったからだ。
二人は相変わらず何も喋らない。
やっぱり嫌われてしまっただろうか。
普通じゃない子供は、だめだろうか。
売り物の子供なんて、変だろうか。
せっかく友達になれたのに。
そう思って、自分は思ったよりこの出自に引け目を感じていることに気がついた。
あまり昔のことは覚えていない。
まともな家庭も、優しい家族も自分の記憶には登場しないから、二人が羨ましかった。
すると、沈黙を破るようにペンギンがぼそりと「誕生日」と呟いた。
「…え?だから…」
「誕生日、作ろうぜ」
ペンギンはストンとベッドから立ち上がると、机の上に置いてある紙と鉛筆を持ってランプのそばに座り、ガリガリと紙に数字を書き出す。
「つ、作るって…」
「どうせ無いんなら作ったって一緒だろ。これから祝うのに不便じゃんか」
「いいじゃん、名案」
シャチもベッドから飛び降り隣に来てペンギンが鉛筆を走らせている紙を眺めた。
「よし、これが4月の暦な。
で、俺の誕生日がここで…シャチのがここ」
25と7の数字のところに丸をつけて「うーん…俺はこの間がいいと思うんだけど、どう思う?」と顔を上げてペンギンは聞く。
「いいんじゃね?クマノミは?」
シャチもそれに同意して、自分はよくわからないまま「あ?え、うん…」と頷くと
「よしじゃあ決まり!じゃあ両方の数字から数えて…」
二人は「いちにー…」と指で数字を押さえながら二人の誕生日のちょうど真ん中の日付を探していく。
「15、17…お、真ん中16日だってさ」
「おぉ、じゃあクマノミの誕生日は4月16日にけってーい」
そう言ってペンギンは16の数字に大きく丸を描く。
二人が盛り上がる中、自分はその盛り上がりにまだついて行けずぽかんとそれを見るだけだ。
「ペンギンはともかく、俺が先に誕生日迎えるから1番年下はお前な」
シャチはそう言ってこちらを指差すのではっとして「えっ、た、誕生日、これで決まり?」と言うと「そうだけど」「なんか文句あったか?」と二人はまた顔を見合わせる。
「いや、文句は…無いけど、こんな簡単に決まっちゃっていいのかな」
「うーん、いいんじゃね?だって、わかんないんだろ」
「うん…」
「ならいいじゃん、わかんないなら新しく決めちゃえば」
「そーそー、決めちまえば胸張って言えるだろ?」
そう言って二人はニッと笑うけれど、自分はまだ混乱していた。
「でも…そもそも、二人は変って思わないの?自分の誕生日も知らなくて、家族もいない、元々、売り物で……そんなのが友達だって…」
自分は本当に二人にどう思われているのか怖かったのに、顔を上げるとシャチが鼻をほじりながらこっちを見て「でも、お前はお前に変わりないし」と言った。
ペンギンも、頭の後ろで手を組みながら「そーそー、俺たちだってみなしごだし、そんくらいで友達辞めよーとか思わねえから」と呑気に答えるのでなんだかごちゃごちゃと考えていたのが馬鹿らしく思えてくるくらい拍子抜けして力が抜けた。
その様子を見たシャチとペンギンは二人で顔を見合わせてニッと笑い合う。
つられて、その二人を見ていた自分もなんだか笑顔になってしまう。
「そっか…まあ。へへ、なんか変な感じ」
「おう、とにかく!4月は大忙しだぜ俺たち」
「ああ、三回誕生日パーティーやって、三回でかいケーキ食う」
シャチがそんなことを言って、今度は三人で顔を見合わせて、自分たちの状況なんて忘れてくすくすと笑い合った。
その瞬間が大好きだった。
その日、二人と別れてベッドに入ってからはまるで自分が背負っていた重い荷物を下ろしたような不思議な感覚になって、二人に決めてもらった誕生日の日付をずっと頭に浮かべながら、また心臓のところがじんわりとあったかいまま眠りにつくことができた。
ああ、これって『嬉しい』って気持ちだ。と、意識が落ちる直前に思った。
それからというもの、以前にも増して夜の短い時間は自分達にとって特別で秘密の時間になった、その日に街であったことや見たものを二人は話してくれた。二人の話を聞くのが楽しかった。
昼間の現実を忘れることができるように、夜は三人でできる限り楽しみながら日々を過ごすのが、いつしか日常になっていた。
しかし暫くするとそれもあまり長く続くことはなくなってしまう。
朝に屋敷を出て行ったはずのペンギンとシャチが夕方になっても、辺りが暗くなっても一向に戻って来ないことがよくあるようになった。
犯罪をさせられていると聞いていたので二人の安否を不安に思ったり、もしかして二人だけでどこかへ逃げてしまったのでは無いかと思ったが、真夜中になると、彼らの部屋へ向かう廊下からゴソゴソと小さな物音が聞こえたので単に帰りが遅くなっているだけだったのかとほっとした。
でも、それに従って二人と会うことも少なくなってしまったし、お互いの部屋を行き来することも無くなってしまった。
ただ朝に彼らが出かける際には窓越しに彼らの歩く姿を見送るようにした。
二人も大っぴらに手を振ったりはできないのだろう、いつも一瞬だけちらりと目配せをして去って行く。二人は最後に会った時よりもっとやつれて見えた。
「…ちゃんとご飯食べてるのかな」
独り言のつもりでつぶやいた言葉に、若い髪をお団子に結ったメイドはまた「ご自分のことを気に掛けられてはいかがですか」と返しながらいつもと変わらないパンとスープを机に置いた。
シャチとペンギンは、パンを一切れずつしか貰っていないらしい。
自分が「そんな!酷い!」と言うと「いや、お前も似たようなもんだからな?」とツッコまれたが、自分にとってはスープまで付いて、過去の食事を遡るとこれでもかなり良い方だったのだ。
なのに、最近この食事が何故だか味気ないと思うようになってきたのはなぜだろう。
一人で食べる食事より、ペンギンとシャチと三人で「お腹すいた」と笑いあっている方がどこか心が満足しているような気がする。
こんなの贅沢な悩みなのかな、とため息をひとつつくとメイドがそれに反応してこちらを見た。
「…召し上がられないんですか」
「え、ああ…うん」
気がつくと食事の手が止まっていたようだ。
「なんか、あんまり食べる気分じゃないかも」
そう言うとメイドがこちらに近づいてきたので、てっきり食事を下げられるんだろうなあと思ったら食事の乗った机を通り過ぎて彼女は自分の目の前にしゃがみ込んで、自分の右手を取って手首の少し上のあたりを掴んで撫ぜた。
自分が驚いて彼女の顔を見ると、眉間に皺を寄せた険しい顔なのに怒っているのではなく、なんだか悲しい顔をしていた。
彼女は、何も言わなかった。
あたりが暗くなると、今日は珍しく日付を跨ぐ前にペンギンとシャチが帰ってきたのが窓越しに見えた。今日は二人に会いに行けると一人でこっそり心躍らせていると、廊下からお父様の大きな声が聞こえた。
呂律が回っておらず、酒に酔っている時の話し方をしていた。
最近彼は羽ぶりがいいのか朝や昼から酒を飲み、彼の友人だろうか、人を招いて連日賭け事に興じているようだった。
何度か、その部屋に呼ばれたことがある。
何をするでもなく、ただお父様の傍でゲームの様子を見ているだけだったけれど、時折じろじろとこちらに向けられる他の人たちの視線が気になって妙に居心地が悪かったことを思い出した。
どうやらお父様は友人たちの帰りを玄関まで見送っていたようで、ペンギンとシャチと入れ替わりに男たちがぞろぞろと屋敷を出ていくのが窓越しに見えた。
しばらくしても、廊下からお父様が何かぶつぶつ独り言を言っている声が聞こえる。
酔っているからだろうか階段を登る音もいつもより乱暴だ。
不規則なその音はお父様の部屋の方へ遠ざかるかと思っていたが、だんだん部屋の近くまで来て——そして、部屋の扉が開いた。
「……お、父様」
初めは顔だけを扉から覗かせていたが、自分を視界に入れると身体を部屋に滑り込ませた。
彼は、何も言わずじとりとこちらを見ると、自分を船から買い上げた時のように爪先から頭のてっぺんへとゆっくり視線を移動させた。
「…クマノミ、お前、幾つになったんだったか……」
彼と自分の間には少し距離があるはずなのに、きついアルコールの匂いが鼻につく。
かなり酒を飲んでいる様子だった。
彼はそのまま後ろ手にぱたりと扉を閉めると、酔いのせいかゆらゆらと頭を揺らしながら、一歩ずつ、こちらへと近づいた。
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