左薬指に、
真波と名前の関係を形容するとしたら、「奇妙」とか「変」とかいう言葉がまずはじめに思い付く。同じ学校に通う先輩と後輩という共通点があるのは確かだ。しかし、それ以外に彼女と彼の間に何かがあるのかと言えば疑問が生じる。部活が同じな訳でもないし、そもそも名前は帰宅部だった。家が近所だとか、趣味が共通しているとか、そういった「特別ななにか」は笑えるくらいになにもなく。学校という枠組みから外れれば、繋がりなんてすぐになくなるだろう希薄な関係性の筈なのに、気付けば真波はいつの間にか名前の日常の隅っこに入り込んできて、図々しくも今も尚居座りつづけている。
昼休みの教室(真波は1年のくせに物怖じせず3年である名前の教室に入ってくるのだ)はもちろんのこと、授業中の屋上や学校からの帰り道。真波はいつだって唐突に表れては名前の隣で屈託なく笑う。
かと思えば突然思い出したように、細くて白いヘンな自転車に跨ってどこかへ消えてしまうのだから、真波がいかに自由で勝手気ままな人間なのかが分かる。
そんなやや一方的で不思議な関係性を名前の友人たちはこぞって「イケメン年下とのラブ」だなんだといって囃し立てたが、自分達の関係にそういった色恋のあれこれが含まれるとは思えなかった。少なくとも名前の方は、真波に対して「何故かよく懐いてくる後輩」以上の感情は抱いてはいない。恐らくは、きっと。そこに恋情はないと断言出来ないのは、やはりあの無邪気な笑顔で「先輩、先輩」と懐かれれば正直悪い気がしないせいだった。更に困った事に真波は見目が良い。よくある雰囲気イケメンとかではなく、顔の造形の一つ一つが計算づくで作り上げられたかのように整った正真正銘の美男子。入学初日から上級生女子の話題をかっさらっていった事を思えば、その容姿の非凡さはやはり際立つものだったのだろう。
本人は至って気にも留めていないようだったが、ふとしたときに見せるどこか儚い表情はその端整な顔付きも相まって、真波を年齢以上に大人びて見せる。中身は小学生をそのまま大きくしたみたいな人間のくせに、世の不平等加減に全国のフツメン男子達からの怨恨の声が聞こえてきそうだった。正直女である名前だって、時々ずるいと思ったり思わなかったりするのだ。
そんな真波について、現在進行系で名前はその行動の突飛さに首を傾げている状態だった。ある程度耐性はついたものの、不思議っ子我が道を行く真波は予想のはるか斜め上をやすやすと超えていくのだ。
「乗って?」
首を傾げたまま固まった名前に、ご丁寧にも真波は同じ言葉を繰り返してくれた。相変わらずのニコニコ笑顔に隠された真意は読めず、なん反応すればいいのかすら分からない。「乗って」というのは校門前に座り込んだ真波の傍に停められている自転車の事だと思っていいだろう。前に籠、後ろに荷台が付いているような一般的な自転車だ。
いつも乗っているヘンな自転車はどうしたのか、そもそも何で待ち伏せされていたのか。帰宅部の私とは違って、君、強豪らしいウチの自転車競技部所属じゃなかったっけ。今思いっきり運動部の皆さんは汗水たらして部活に励んでる時間帯なんですけど。
次々と生じる疑問に、名前の表情は僅かだが確実に険しくなっていく。色々と聞きたい気持ちはあれど、今までの経験から何を聞いても笑顔ではぐらかされそうだと判断して、名前は大人しく真波の望むとおりにしてあげることにした。
肩に掛けていた通学鞄を背負い直して、何も考えないまま荷台に跨ると真波が「えー」と不服そうな声を上げた。
一体本当に何がしたいんだろうこの子は、と声は上げずとも内心で叫んだ名前は、本心を億尾にも出さず平静を装った声で尋ねる。
「なに?」
「女の子ってこういう時、お姫様みたいに座りたがるもんじゃないの?」
「お姫様って...横座りってこと?だって、不安定だし」
さらりと女の子って言われたことか、真波の口からお姫様という単語が滑り出たことか、それとも遠回しに女の子らしくないと言われた事なのか。どこに照準を合わせて反応したらいいのか分からずに、名前は取り敢えず現実的な反論をしてみた。しばらく物言いたげに唇を尖らしていた真波は、やがてぱっと笑顔に戻って制服のズボンを叩きながら立ち上がった。「ま、なんでもいいや」と軽く言ってはいるが、名前は未だ現状を理解出来ずにいた。放課後の校門前という多くの生徒たちの目があるこの場所で、ひとり自転車の荷台に跨る女とその脇で満面の笑みを浮かべる男という図はいやでも目立つらしい。不躾な視線に晒されて羞恥にじわじわ苛まれている名前の気を知ってか知らずか、一遍の曇もない笑顔を称える真波は何処までも楽しそうだった。
「じゃあ、出発進行ー」
徐ろにサドルに跨ると、間延びした掛け声と共に真波は大きくペダルを漕ぎ出した。二人分の体重にぎしりと歪な音を立てる自転車は、お世辞にも新しいとは言えない。それどころか所々錆が目立っていて、壊れてしまうんじゃないかと不安に思った所ではっと名前は我に返る。真波ののほほんとしたペースに流されてしまっているが、現状名前はナチュラルに拉致されかけている真っ只中だ。
慌てて前部に座る真波のブラウスの裾を引く。前を向いた真波は足ペダルを回す足を緩めないまま、なあに?と返事をしてきた。
「なあに、じゃないよ。何処いくの?君、さっきから自由すぎて着いていけないんだけど...ってちょっと真波聞いてる?」
「んー、聞いてないかも。俺もどこ行くかとか分かんないし」
「はあ?」
「だっていつも、自転車が連れてってくれるから。行き先とか考えたことないし、俺はただ漕いでるだけだし。だから分かんないや!」
「あははって笑ってる場合じゃないし訳わかんないよ!」
けらけら軽快に笑い声をあげたきり、真波は口を噤んだ。不思議に思って揺れる肩越しに前を見ると、進行方向十数メートル先に緩い坂道が待ち受けていた。曲がりくねった道の終わりは見えず、登り口の今の位置からではそれが何処まで続くのかすら分からない。
(―――二人乗りの、しかも錆びた自転車で、まさかこの坂を上るつもりじゃないよね。)
物言わぬ背中をじっと見つめていたら、ちょうど平坦な道と傾斜のある道が交差するところ、長い長い坂道のはじまりの場所で2人を乗せた自転車は止まった。
まさか上れるとは思わなかったが、「重いから降りて」と言われるのもそれはそれで傷つく。乙女心は複雑で取り扱いが難しいというのが世の常。
いっそ自分から降りると言い出した方がダメージは少ないんじゃないかと思い至って、名前は言い出すタイミングを伺った。小さく息を吸って声を発しようとしたその時、いきなり両腕を掴まれて心臓が止まりそうになる。それもときめきとかではなく、純粋な驚愕で。内心動揺しながらもなんとか冷静を保って視線を上げると、肩越しに自分を見つめる真波の目とぶつかった。眦を下げてにへら、と緩い笑みを浮かべる様子は悔しいけれど可愛らしい。名前が年下好きだったなら、その笑顔だけで簡単に恋は始まっていたかもしれない。
「な、なにいきなり...」
「えー?だってさ、今から上るから。落ちないようにしっかり捕まっててね、名前先輩」
柔らかな声の調子とは裏腹に、強引に引かれた手は有無を言わさず真波の腰に回されてしまった。