2
雪が降り積もる。
しんしんと、粛々と。


「…犬は喜び庭駆け回る」


そんな中、ぽつりと呟いた私の前で、赤い髪の犬は我が屋敷の庭を所狭しと駆け回っていた。
せっせと雪を掻き集めて、それを掌で叩き、丸める。どうやら一人で何かを作っている様だ。私はその様子を暫し眺めてから、居間に向かう。
からりと戸を開けた所で、再びぽつりと呟いた


「…猫は炬燵で丸くなる」


こじんまりとした炬燵の中で、黒猫と白猫が身を寄せ合って眠りこけている。
火鉢を焚き暖かな空気の中、幸せそうな顔で眠る二匹を暫し眺めてから、私は静かに炬燵に近付いた。
そっと掛布を捲り上げ、足を入れる。
その際に黒猫の足に触れてしまった様で、奴は不機嫌そうに低い声を上げた


「……足冷たいですね、朽木隊長」


「…兄は随分と温もっているな」


「それなりに長い時間入ってますから」


肩まで入ってぬくぬくと眠っていた檜佐木は、のそりと炬燵の中から這い出した。
正面に座り直したかと思えば、机の上に置いてあった蜜柑を剥き始める。
まるで自分の家の様な振舞い方だが、私も最早目くじらを立てる事もない。


「甘いっすよ。半分どうぞ」


「…頂こう」


半分に割った蜜柑を受け取り、一房口にする。
檜佐木の言った通りに甘さが広まって、私は無言でそれを飲み込んだ


「独月を副官に上げる様に浮竹隊長に働き掛けたの、朽木隊長ですよね?」


「…副隊長ともなれば、自らの行動に責任を持とう。今までの様な、軽率な動きは出来まい」


「心配なら素直にそう言ってやれば良いのに。また誤解されますよ」


「その時は、兄が取り持ってくれるのだろう?」


私の問いに檜佐木は鋭い双眸を瞬かせた。
それからゆっくりと、整った顔に笑みを浮かべる。


「随分と信頼して貰ってる様で」


「兄が独月を見ている。ならば、私が態々口にする必要もあるまい」


この男は私よりずっと長く、独月を見てきた。傍に居て、支えてきた。
ならば、伝わりにくい私の言葉を訳すのも、きっとこの男がやるだろう。
蜜柑を摘まめば、檜佐木が小さく笑った


「心配しなくとも、朽木隊長の御気持ちはちゃんと伝わりますよ。…副隊長になる決意も、固まりつつありますし」


「…独月がそう言ったのか」


「いえ。顔が明るくなってきたんで」


飄々とした男は蜜柑を食べ終わり、急須から注いだ熱い緑茶に息を吹き掛ける。
熱かったのか僅かに顔を顰める男を見つめ、私は問い掛けた


「…兄は、独月を良く見ているな」


「あっちぃ…まぁ、一緒に居て楽しいんで」


二つ目の蜜柑を剥き始めた男を見つめ、それからその傍で寝ているであろう独月に目を向ける。此処からでは見えないが、炬燵で眠って風邪を引かないだろうか。布団に運んでやった方が良いのではないか。
口には出さずに悩む私を見て、大丈夫ですよと檜佐木は言った


「こいつ炬燵の中で丸まって寝てますから。冷えて風邪引くのはないと思います」


「…十三番隊に、専用の炬燵を用意してやるべきだろうか」


「要りませんって。ほんと妹が絡むとダメダメですね」


私に向かってさらりと毒を吐いた男は、ちらりと背後に目を向けた


「そういや阿散井回収しなくて良いんですか?クッソ寒い中で雪だるま作ってますけど」


「あれも子供ではない。風邪を引く前に、自ら戻って来るだろう」


久々に独月と休暇が重なり、檜佐木も休暇だった様で、我が屋敷の炬燵目当てにやって来た。恋次は午前中のみの勤務明けで、何故か来て早々雪だるまを作り始めている。外に出る際に恋次は独月を誘った様だが、敢えなく振られたらしい


「檜佐木」


「はい?」


「兄から見た独月を、教えてくれぬか」


静かな空気を揺らした問いに、檜佐木は片方の眉をぴくりと上げた。
怪訝そうな表情を見つつ、私は言葉を続ける


「兄は独月を、どう思っている?」


最初は妹の様に面倒を見てやっているのかと思っていた。しかし、志波海燕と笑い合う独月を離れた場所から見つめる檜佐木の表情は、どう見ても私と同じ目には見えなかった。
彼奴が殉職し、致し方無き事とはいえ信頼していた上司を刺す事となった独月を支えたのは、檜佐木だった。
泣けなくなっていた独月を抱き締め、泣かせたのはこの男。
─────同時に、独月に歩み寄らぬ私を詰ったのも


「さぁ?朽木隊長には、どう見えてますか?」


悪巧みをする猫の様に口角を吊り上げた男は、私を見て笑った。
人を食った様な笑みに眉を潜めるものの、この男が私と独月をからかう事がそう珍しい訳でもない。
やや間を置いて、私は黒猫の質問に答える事にした


「兄は、猫そのものだ」


「…猫?」


私の返答が意外だったのか、目を瞬かせる檜佐木。
その姿に珍しいものを見たと内心思いつつ、私は緑茶を口にした


「気紛れに寄ってくる、野良猫だ。何処からともなく現れ、人の手にじゃれて居なくなる」


「そりゃ随分な評価ですね。気紛れっつーのは否定しませんが」


「最近は、私をからかう事も増えた様に思うが」


「猫がじゃれついてると思えば可愛いモンでしょう」


「猫の様な人間と言うのは総じて性質が悪いものだ」


くつりと意地悪く笑う男は、ちっとも反省などしていない。すやすやと眠りこける独月の頭を撫でて、檜佐木はその瞳に柔らかな色を浮かべた


「独月は大切な存在ですよ。…そうじゃなきゃ、四十年以上もずっと見てる筈がないでしょう」


「…恋次も独月に想いを寄せている様だが」


「残念ながら、渡しませんよ。独占欲強いんで」


蜜柑を口に放り込む男を眺めながら、私は緑茶を啜る。
不器用な優しさでその手を離した犬と、付かず離れずの距離を取り、見守り続けた猫。
現在は恋次とも仲直りした様だが、恐らく今以上の関係にはなるまい。
独月本人は気付いておらぬのかも知れぬが、檜佐木と居る方が、笑顔が輝いて見える


「あー、さっみぃ!!」


障子を開け、慌ただしく部屋に入ってきたのは恋次だった。室内の空気が掻き乱され、冷たい外気が侵入した事で檜佐木は眉を寄せる


「寒ぃわ!お前もう少し外で遊んでろ!」


「これ以上は風邪引きます!つーかなに寝てんだよ独月!オメーが来ねぇから、俺一人で雪だるま作ったじゃねぇか!!」


ずぼっと足を突っ込んできた恋次は、檜佐木の隣で眠る独月に文句を言った。
乱暴に侵入した足が当たったのか、それとも恋次の騒がしさに起こされたのか、銀色がのそりと身を起こす


『貴様…人の眠りを邪魔するとは何事だ!外で凍死しろ、犬め!』


「酷くねぇ!?」


「ほれ犬、蜜柑やるよ」


「犬じゃねぇ!!」


恋次が来た事で騒がしくなった部屋の中で、私は蜜柑を口にする。
この勝負、明らかに恋次の不利だが、どうやって巻き返すつもりなのか。
小柄な体躯を生かし、檜佐木の綿入れに一緒にくるまっている独月を見て、恋次は憮然とした表情を作った


「おい独月、俺の方が暖けぇぜ。此方来いよ」


『断る。部屋に来たばかりの貴様が副隊長より暖かい訳がなかろう』


「ほれ独月」


『ありがとうございます』


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!」


長い指先が独月の前まで蜜柑を運び、独月が素直に口を開ける。
まんまと餌付けされ嬉しそうに目を細くする独月を見て、恋次が悔しそうに眉を吊り上げた。
それを眺める黒猫は、目を眇め片方だけ口の端を歪める


「おい独月!俺も剥いてやる!」


『要らぬ。貴様はガサツ過ぎるのだ、せめて綺麗に皮を剥ける様になれ』


千切る様に蜜柑を剥き始めた恋次を冷たく切り捨てて、独月は溜息を溢した。
隣に座る檜佐木は楽しそうに笑いながら、独月に餌付けを続けている。
剥き終わった恋次の作品は酷く不格好で、やはり独月の評価は低かった


『そんなに雑に剥くからだ。蜜柑も丁寧に剥けぬのか、貴様は』


「んだとぉ!?」


「それだから誤字脱字が多いんじゃねぇの?」


「それ関係あります!?」


「……恋次、丁寧に指先を動かす訓練をしろ」


「隊長ッ!?」














─────雨の日、だった。
独月が所属する隊の副隊長と三席が殉職して、暫く経ったある日。
俺は独月の様子が気になって、こっそり十三番隊に足を運んだ。
あいつを朽木家に送り出してから、一度もまともに顔を見る事が出来ていない。養子入りした事で立場が変わったってのもあるし、入隊が大分ズレたのも原因の一つ。所属する隊が距離的に離れてるってのも、大きな原因として挙げられるだろう。
…一番の原因は、俺が独月に会いに行く勇気のねぇクソ野郎だって事なんだが


「…最近降ってばっかだな」


ざあざあと降り注ぐ雨が鬱陶しくて、舌打ちを溢す。
雨は嫌いだ。傘を差さなきゃ濡れちまうし、視界が悪くなる。空が暗いと気分も下がる。
とっとと晴れねぇかなと願いつつ、俺は十三番隊の執務室を覗こうとして─────ふと、足を止めた。


「………?」


何と無く、胸騒ぎがする。
昔から、こういうカンの類いは良く当たる方だった。俺は隊舎内に向かおうとしていた爪先の向きを変え、ゆっくりと踏み出す。向かうのは中庭に面した廊下。
確証も何もねぇ。けど、そこで何かがある気がした。
足音を潜めて廊下を歩き、突き当たりの角の前でぴたりと足が止まる。
前方に居た人物に、俺は目を見開いた。


銀色の髪。小柄な体躯。


久々に見た独月は、慌てて壁に身を隠した俺に気付く事はなかった。
何故ならあいつは、俺ではなく、此方に背を向ける形で柱に寄り掛かる細身の男を見つめていたからだ


「…独月、お前最近ちゃんと眠れてるか?」


その声に俺はまた目を丸くする。
聞き覚えのある声だった。最近九番隊の副隊長になった、特徴的な死覇装を着る人。霊術院で起きた事件で知り合った、六回生筆頭。
意外だ。あいつとは、まるで接点のねぇ人だと思っていたから。
─────あいつは何時の間に、檜佐木さんと知り合っていたのか


『…御気遣い痛み入ります。ちゃんと休息は摂っています』


久々に聞いた声は、酷く弱々しいものだった。
風が吹いただけで消し飛ばされちまいそうな程、細く小さな声。
こんなに弱った声を聞くのは初めてで、動揺した。
…そして今、あいつの目に映っているのが俺じゃねぇ事も


「…目の隈、凄ぇぞ」


『……元々です』


足許で視線を彷徨わせる独月は、どう見たって苦しい言い訳を続けていた。
そんな独月を腕組みした体勢で、檜佐木さんが見つめている


「何度でも言うが、アレはお前の所為じゃねぇ。責任を感じるなとは言わんが、もう少し、自分に甘くしてやっても良いんじゃねぇか?」


『……海燕殿を殺した自分自身を、許せと…?』


─────海燕さんを、殺した?
独月の口から漏れた言葉に耳を疑う。
…嘘だ。そう思った。そう言って欲しかった。
だが檜佐木さんは独月の言葉を、否定しなかった


「…あァ、そうだ。お前はお前を許してやるべきだ」


それは独月の言葉を肯定しつつも、その身を案じる言葉だった。
否定じゃないって事は、つまり。
頬を冷や汗が伝う。
拳を握り、それを小刻みに震わせる独月は、顔を俯かせる。
軈て雨音だけが響く空気を震わせたのは、今にも爆発しそうな何かを、必死で押さえ付ける声だった


『…それは、駄目だ。許されぬ。絶対に、やってはならぬ事です』


「…何故だ?」


『僕は、あの日海燕殿を止められなかった…海燕殿なら負ける筈がないと、思っていた』


長い前髪で顔が隠されていて、表情は此処からじゃ見えなかった。
でも、血管が浮く程強く拳が握られていて、そこから独月の苦悩が滲み出てるみてぇだった


『あの虚の特殊能力の所為で、海燕殿は窮地に追いやられた。あの虚に取り憑かれて、海燕殿は敵になった。……あの虚を殺す為に、僕が海燕殿を刺した』


独月の口から語られた事の顛末に、俺はぐっと眉を寄せた。そうでもしなきゃ、今直ぐ駆け寄ってしまいそうで。


知らなかったんだ、お前がそんなに苦しんでるって事を。


十一番隊でのうのうと過ごしていた自分を張り倒したくなった。
一度首を正面に戻し、堪えきれない感情の高ぶりを必死になって抑え込み、霊圧を潜める。
気持ちをどうにか静めて、もう一度曲がり角から顔だけを覗かせた。
顔を上げた独月の目は、見ているだけで此方まで辛くなる様な色を揺らがせていた


『海燕殿の願いを無視しておけば、あの方は死なずに済んだのかも知れません。独りで戦わせなければ……あの日、僕が海燕殿より先に斬魄刀を奴に使っていれば…!!』


「もう良い。これ以上は言うな、独月」


血を吐く様な慟哭を遮ったのは、檜佐木さんだった。
腕組みを解いた腕で独月を引き寄せて、そのまま腕の中に閉じ込める。


─────同時に、俺の胸にずきりと痛みが走った。


仲の良い先輩が、意中の女を抱き締めている。
止めてくれと心が叫んだ。振り払ってくれと願った。悪夢なら、早く覚めてくれ、と。
だが独月は抵抗する事もなく、檜佐木さんの腕の中に居る。


『…檜佐木、副隊長…』


「…こんな事、許されねぇ事かも知れねぇ。でもな、独月」


檜佐木さんの声を聞くだけで、判ってしまった。
この人が独月にどんな気持ちを抱いているのかを。俺と同じ感情を胸の奥で燃やしている事に、気付いてしまった


「死者が出たって聞いた時、俺は……先ず最初に、お前の無事を確認した。海燕さんが死んだ事を聞いても、それよりも、お前の事を優先したんだ」


静かな声に、檜佐木さんの影から覗く独月の手が微かに震えた。
檜佐木さんの胸を押し、少しだけ距離を取った独月は弱々しく首を横に振る。
此方に横顔を向ける位置になった独月の表情は、俯いている為髪に隠れて見えなかった


『やだ……いやだ、言わないで、檜佐木副隊長…』


「逃がすかよ。お前はあの時俺を救ったんだ、責任は取って貰うぞ」


細い肩を大きな手でがっしりと掴み、独月の顔を覗き込む。
そして檜佐木さんはゆっくりと口を開いた。


「お前が無事で、良かった」


穏やかな、まるで言い聞かせる様な声音の言葉に、独月の表情は歪む。


「…独月、もう独りで抱え込まなくて良い。…泣いて、良いんだ」


尚も追い討ちを掛ける様な檜佐木さんの言葉に、独月は目を閉ざした。唇を噛み、何かを堪えるその顎を、男にしてはほっそりとした指が掬い上げる


「噛むな。切れるぞ」


『………っ』


ゆっくりと大きな瞳が開かれて、目の前に立つ檜佐木さんの顔を見つめる。
横顔からも判る程に深い色を湛えた青い瞳は、ゆらゆらと揺れていた。


「生きていてくれてありがとう、独月」


真っ直ぐに目を見て放たれた一言に、青色の瞳は細められた。そのまま独月の目から涙が零れ落ち、何も言わず、檜佐木さんが自分の胸にあいつを引き寄せる。
─────軈て小さく聞こえてきたのは、啜り泣く声だった


「………っくそ」


胸が、音を立てて軋む。
心が痛い。張り裂けそうだ。いっそ張り裂けてしまった方が、楽になれるんじゃねぇか。
報いとも言えそうな現状に、唇を噛む


ガキの頃から惚れていた。男勝りな癖に、ふと見せる女っぽさに惹かれた。


だからこそ、あいつが幸せになる事を邪魔しちゃいけねぇと思った。


独月は朽木家に行けば、死神にもなれて、良い暮らしをさせて貰える。もう流魂街での厳しい暮らしを忘れられる。ムカつく貴族共を見返してやれる。
そう思って、あの日その背を押した。


『っ……ひぐっ、うぅ…』


だが現実はどうだ、あいつは朽木家に行った事で、周りに馴染めねぇままだ。
でも、独りぼっちになったあいつに、俺は声を掛ける事もなかった。


────俺が、臆病だったからだ。


もうあいつは貴族だからって、言い訳ばっかで動こうとしなかったから。あれこれ理由を付けて、あいつの前に立つ事を恐れた。
その結果が、これだ。


『あ、あ……ああああ…っ!』


強く拳を握り締める。
─────俺があの日離した手は、別の男に縋り付いていた。














独月が重罪人として尸魂界に戻ってきた翌日、俺は六番隊の隊舎牢に向かっていた。
幼馴染である阿散井と義理の兄である朽木隊長に捕らえられたあいつの心境は、俺には到底計り知れない。あまり落ち込んでなきゃ良いが。
牢屋番に鍵を開けさせて、巨大な門を潜り抜ける。
明かりで照らされた通路を真っ直ぐに進み、最奥の牢の前で、俺は足を止めた。
こじんまりとした牢の中、用意された椅子に座り俯く銀色。


「…よぉ、独月。少し痩せたか?」


『……檜佐木副隊長』


ゆっくりと顔を上げた独月の目の下には、うっすらと隈が出来ていた。俺は独月を見下ろしながら、静かに問い掛ける


「…連絡なくて、心配した」


『…申し訳ありません』


「良いよ。…どんな形であれ、ちゃんとお前が戻ってきたんだからな」


独月が微かに息を詰めた音が聞こえてきたが、俺は敢えて何も聞こえなかったフリをした。
牢屋の柵に側頭部と左肩を付け、腕を組む


「独月、彼方で何があった?滞在超過に霊圧譲渡…到底お前がやりそうな事とは思えねぇ」


俺の言葉に独月は静かに目を伏せた。
数拍の間を置き、それからゆっくりと、小さな唇は動いた


『…人間が虚に襲われて、それを護る為に、僕の力を渡しました』


「人間が?整じゃなくてか?」


虚は魂魄を喰らう。現世に居る地縛霊や尸魂界への行き方…所謂成仏の仕方が判らず彷徨う魂魄や、流魂街に生きる魂を狙うのが常だと思っていたが…


『その人間は、大きな霊力を宿していました。死神である僕が、その人間の近くに居ただけで、霊圧感知能力が狂わされてしまう程に。
…だから、虚に目を付けられてしまったのだと思います』


こいつは剣術は並みだが、霊圧感知や鬼道が上手い。
鬼道の達人と言われる雛森程じゃなくても、上位席官レベルは十分にある。その独月が感覚を狂わされたって事は、件の人間は相当霊的能力が高いと言えるだろう。


「…それで?」


『僕も怪我をしてしまい動けなくなってしまったので、人間に死神能力を譲渡しました。…本当は半分だけ渡すつもりだったのですが、奴にほぼ全ての霊圧を奪い取られてしまい…』


「斬魄刀が維持出来なくなっちまって、此方に戻れなくなったって事か」


頷いた独月に思わず呆れた。
大きく溜息を吐いた俺を、困惑した顔で独月が見上げる


「あのな、それなら俺に連絡すれば良かっただろ。此方から穿界門を開けば、お前は直ぐに帰還出来たんだぞ?」


指紋と同意義になる霊圧を人間に譲渡しちまった罪は確かに重いだろう。だがその時直ぐに俺に連絡をくれていれば、此処まで重罪にはならなかった筈だ。
再度溜息を溢した俺を見上げ、独月は口を開いた


『人間に霊圧を奪い取られてしまった後、檜佐木副隊長に連絡を取ろうとしました。ですが電子書簡も、電話も使えなくなっていたのです。入れてある連絡先全てを試しましたが、駄目でした。
ただ、虚の討伐指令のみを受け取る事しか出来ず…』


「マジかよ…お前運悪過ぎだろ…」


霊圧を予想以上に奪われた上に、伝令神機の故障なんて…
何て災難だ。つまりこいつは、尸魂界に帰りたくても帰れない状況だったのだ。
…だがそうなると、大分見解は変わってくるだろう。
俺はがしがしと頭を掻いて、伝令神機を取り出した。
画面に表示された時間を見て、そろそろ戻らなくてはならない頃合いだと気付く


「…悪い、そろそろ戻らねぇと」


『いえ。わざわざ来て下さって、ありがとうございます』


椅子から立ち上がり頭を下げる独月を、牢の中に手を突っ込んで撫でる。
驚いた顔で此方を見上げる後輩に、俺は笑みを向けた


「取り敢えず、上に掛け合ってやるよ。戻りたくても戻れねぇ状態だったなら、少しは刑も軽くなる筈だ。話を聞くに、霊圧譲渡もやむを得ずって感じだったみてぇだし」


『…ありがとうございます』


表情を僅かに明るくして再度頭を下げた独月に、俺は小さく笑った。
この笑顔を見るのも随分久し振りな気がする。そりゃそうか、実際何ヵ月か会えてなかった訳だし。


「此処から出たら飯でも行こうぜ。話してぇ事もお互い色々あるだろ」


『はい。…来て下さって、ありがとうございました。檜佐木副隊長と話せて、気が楽になりました』


「そいつは良かった。じゃあな、また来る」


ひらひらと手を振って隊舎牢を後にした。
─────その時の俺は知らなかったのだ。
あいつが既に、兄から死刑宣告をされていたという事を。
あいつが既に、刑を受け入れる気でいたという事を













─────沈んでいく。
意識は深く、暗く見えぬ底へと。
奥深くへとひたすらに落ちてゆき─────漸く、着地した。


「随分と珍しいのですね。貴女様から此方にいらっしゃるなんて」


『…ああ、そうだな。こうして精神世界で会うのは久し振りだな、袖白雪』


一面氷の世界に佇む、白い着物の女性。
尸魂界最美と謳われる彼女は、僕の斬魄刀だ


「最近この世界の空は曇り続き…何を悩んでいらっしゃるのですか、独月様」


隣に並んだ袖白雪に、僕は苦笑を向けた


『その事で、話があるんだ。お前は僕の斬魄刀…僕に力を貸してくれるお前に相談しないのも、可笑しいと思って』


こうして面と向かって話す機会は少なくとも、常に戦いの時は頼りにしている。
そんな相手だからこそ、どう思っているのか聞きたいのだ


『副隊長に昇格せぬかと打診がきた。…袖白雪は、どう思う?』


「私は受けて良いかと思いますが。…独月様は、どうお考えですか?」


静かだが簡潔な答えにそうかと頷いて、僕は目を伏せた


『…正直、まだ迷っている。僕が副隊長になっても良いのか、周りは僕を認め、着いてきてくれるのか、と』


どんな理由があろうと、海燕殿を十三番隊から奪ったのは僕だ。そんな僕が、席を持たぬ僕が副隊長の座に就く事を、皆は良しとするのだろうか。
─────僕なんかで、副隊長が務まるのか


「…ですが、あの方は仰ったのでしょう?肩を並べろ、と」


袖白雪の言葉に僕は一瞬息を止める。
彼女の言うあの方、が脳裏に浮かび、僕の事を見ていた袖白雪が微笑む。


「独月様、貴女様の気高き心は誇るべきものです。故人に心を砕くその姿は素晴らしいものです。ですが、それでは貴女様が前に進めません。
…そろそろ、解放されても良いのではありませんか?」


『…海燕殿を忘れろと言うのか?』


「いいえ。あの方の想いを継ぐのです。志波海燕様から、貴女様は託されたものがある筈。それを継ぐという事が、副隊長になるという意味だと私は思います」


袖白雪の穏やかな瞳を見つめ、僕はそっと胸に手を当てた。
海燕殿はあの時、心を託すと仰られた。
もしそれを継ぐという事が、副隊長の座に就くという事なら─────


『……ありがとう、袖白雪。お前のお陰で答えが出た』


更に口を動かそうとする僕に、彼女は首を横に振った


「答えは私ではなく、目が覚めて一番に映った方に言うべきです。…貴女様の答えは、この空が教えてくれていますから」


茶目っ気たっぷりに空を指され、僕は思わず笑った


『…そうだな。僕は判りやすいのかも知れないね』


先程までどんよりと曇っていた空は、晴れ渡っていた











ゆっくりと目を開ける。
映ったのは斬魄刀と、直ぐ傍にある大きな手。
見覚えのある手を辿り、ぽつりと声が漏れた


『…檜佐木副隊長』


「刃禅は終わったのか?」


『え、ええ。特に問題なく』


膝の上に乗せていた抜き身の斬魄刀を鞘に戻すと、それを待っていたという様に黒い頭が転がり込んできた。
その頭を呆れた目で見下ろしつつ、僕は口を開く


『副隊長、お仕事は?』


「休憩に入った。昼寝しようと思ったら、お前が刃禅してた」


ゆっくりと鋭い目を瞬かせるのは、眠たいという証拠だ。その案外柔らかな黒髪をそっと撫でて、僕は目を細めた。
そう言えば、袖白雪は目が覚めて一番に映った方、と言っていた。…彼女には、副隊長が来ていた事が判っていたのだろうか


『……檜佐木副隊長』


「ん?」


まったりと寛ぐ男の人に、少しだけ腰が引けてしまう。だが袖白雪が応援してくれている様な気がして、僕は突っ返そうな言葉を声に出した


『…副隊長昇格の話、受けようと思います』


それは掠れて聞きにくい、みっともない声だった。
それでも、喉の奥に張り付いた言葉を耳にした檜佐木副隊長は、優しく微笑んだ


「…そうか」


静かに身を起こした副隊長は、僕の頬をそっと撫でた。
視線を合わせたまま、柔らかな声を出す


「その決断を下すのは、辛かっただろ。良く、頑張ったな」


『…袖白雪も背中を押してくれましたし』


それに、一歩進むなら話を受けるべきだと、諭してくれたのは檜佐木副隊長だ。
だから僕は礼を言いたいと思った。ずっと傍で支えてくれていた彼に、一番に聞いて欲しいと思った


『…ありがとうございました、檜佐木副隊長。貴方が言って下さったから、僕はこの話を受けようと思えました』


頭を下げれば、肩を掴んで強引に姿勢を戻された。
目の前では、副隊長が呆れた様な顔をしていた


「最終的に決めたのはお前だろ。俺は話を聞いただけだ」


『ですが…』


彼に感謝しているのは本当だ。きっとこの人が言ってくれなきゃ、僕はこの話を引き受ける気にはならなかっただろうから。
尚も引き下がらない僕を見て、檜佐木副隊長は首の後ろを掻いた。


「あー、判った判った。なら今度酌でもしてくれ。それでチャラな」


『…そうやってまた僕に奢らせないつもりでしょう』


「ヒラに奢らせる程金に困っちゃいねぇよ」


そう呟いた副隊長に、じとっとした視線を送る。
恋次から聞いているのだ、この間松本副隊長に奢らされていた事を。
それで今月はヤバいと漏らしていたんじゃなかったか。


『今月はヤバイのではなかったのですか?』


「それ誰に聞いた」


『恋次です』


「あいつシメる」


物騒な台詞に苦笑いしつつ、巻いていた青いマフラーに視線を落とす。
返さなくてはと思ったまま、結局マフラーを交換したままだ。
温かく手触りの良いそれをそっと撫で、僕は檜佐木副隊長を見つめた。


『─────副隊長、お願いがあります』













「何故です!何であいつが死刑に…!!」


「落ち着くんだ檜佐木、それが四十六室の決定だ」


独月が、死刑。
そんなもの、到底納得出来る筈がねぇ。声を荒らげる俺を前に、東仙隊長は静かな表情で佇んでいた


「確かにこの刑は可笑しいと私も思う。だが、四十六室は尸魂界の法の番人だ。
そんな彼等がこの裁定を下すんだ、恐らく彼女に何らかの問題があったのだろう」


「っ…あいつはやむを得ず力を譲渡しました。謹慎処分は仕方無いとしても、死刑なんて…!」


「どうやら朽木本人から話を聞いてきた様だが…如何なる理由があろうと、四十六室の決定は覆る事はないだろう」


静かな隊長の声に、俺は拳を握った。
四十六室の言葉は絶対。それは、尸魂界に於ける暗黙の掟だ。
今まで疑った事もなかった。しかし今、その存在の意義すら疑った。


隊士の命を簡単に奪おうとする奴等が、秩序?
…ふざけるな、それならば、俺は…


「馬鹿な事は考えるな、檜佐木」


静かな、しかし異論は認めないと言わんばかりの隊長の声に、俺は溢れだしそうになった感情をぐっと堪える。
…そうだ、副隊長は私情で動いてはならない。
それは己の立場を軽んじる行為だ。副隊長という役職を汚す冒涜だ。
副隊長なら、掟を軽んじてはならない。
重き責を担う者なら、厳正なる法の裁きを邪魔してはならない。
…たとえそれが、どれ程受け入れ難いものだとしても


「……仕事に戻ります」


─────俺は、無力だ













「─────これを以て、十三番隊副隊長に任命する。…おめでとう、独月」


『ありがとうございます、檜佐木副隊長』


俺の前で頭を下げた独月の短くなった髪が揺れた。顎の下で切り揃えた銀髪に、俺は目を細めた。
以前は酷く髪の長さを気にしていた。その髪型を気に入っているというより、何かの型にぴったり嵌まる様に必死になっている様に思えた。
そんなに拘っていた髪型を変えたのだ、表情もすっきりしたものだし、こいつの中で良い変化があったんだろう。


「お前に副官としての仕事を教えるのは俺が担当する。暫くは九番隊に通い詰めて貰う事になるが、大丈夫か?」


『はい。よろしくお願いします』


あの日独月が言った頼み事とは、俺に先輩副隊長として指導に当たって欲しいというものだった。断る理由もない俺は快諾し、こうして任命状を渡している訳だが。


「おい独月、そういや何で俺に指導頼まなかったんだよ。別に俺でも良かったろ」


縁側の柱に寄り掛かりそう呟いたのは阿散井だ。
何処と無く不機嫌そうな奴を横目で見て、独月は意味が判らないといった顔をする


『貴様が何かを教授出来る頭か?貴様に教えて貰うより、檜佐木副隊長に一から教えて頂く方が良いに決まっている』


「あぁ!?俺だってなぁ…!」


『檜佐木副隊長、もし良ければなのですが、剣を教えて頂けませんか?』


「シカトかコラ!!」


どうやら阿散井を無視する事に決めたらしい独月が、俺を見て頼んできた。
その言葉に視線を宙に投げ、それから此方を見つめる銀髪に訊ねる


「お前が習ってきた剣術とは少し勝手が違うかも知れねぇが、それでも良いなら教えてやるよ」


『はい、よろしくお願いします!』


深く頭を下げた独月を見つつ、ちらりと赤い男を盗み見る。
つまらなそうな顔で独月を睨む阿散井は、此方に目を向けて眉を寄せた。
その瞳にちらつくのは、嫉妬か。大切なものを横から掠め取る男を睨み付ける、そんな目だ。


「─────っ」


だが俺は、阿散井に向けて笑みを向けた。
挑発する様な微笑に、奴は眼光をより鋭いものにした。
暫し対峙するも、俺は顔を上げた独月に目を戻す。


「そういやこれ、あの高ぇ襟巻きか?」


俺は細い首に巻かれた青い薄布に触れた。なかなかに手触りの良いそれに、朽木隊長が巻いていたあれかと訊ねれば、独月はふるふると首を横に振った。


『いえ、あんなに高いものは…これはたまたま店にあって』


青い布に嬉しそうに目を細めながら触れる独月に、俺は小さく笑った。対照的に、阿散井は忌々しそうにその色を睨め付ける。


─────青は、俺の斬魄刀の色だ。


それを自分から身に着けるという意味を、俺も阿散井も理解している。
だからこそ奴が苛立っているのだ。
それはそうだろう、好きな女が他の男の色を好んで身に付けているなど─────苛立ち以外に何も沸きやしない


『そういえば、檜佐木副隊長』


「ん?」


名を呼ばれ返事すれば、独月は嬉しそうに目を輝かせていた。


『そ、その…』


「?」


もごもごと口を動かして、何度も瞬きする。
じわじわと赤くなっていく頬を急かす事もなく眺めていれば、軈て意を決した様に独月が声を発した。


『にっ…似合っています、その髪型っ』


「へ?…あ、ああ。ありがとな」


独月が言ったのは、俺の髪型の事だった。
一瞬ぽかんとして、それからどうにか返事をする。気の抜けた俺の返事を耳にして、独月は大きく頷いた。
折角の祝いの日だからと髪をセットしてきたが、まさかそんなに反応して貰えるとは。
なんだか妙に胸の辺りが擽ったくて、目を眇める。自然と緩む頬に内心苦笑いしつつ、短くなった毛先に手を伸ばした


「お前もこの髪型、似合ってる。随分すっきりしたな」


『…もう、真似をしなくても良いと判ったので』


その言葉で脳裏を過ったのは、独月に良く似た姉の遺影だった。
朽木隊長の妻だったという彼女に姿を似せようとしていたから、独月は髪の長さに細心の注意を払っていた。
だがその髪型を変えたのは、独月の中で様々なものに踏ん切りが付いたからなのだろう。


「…なぁ、独月」


『はい?』


小首を傾げた銀色に、俺は笑った。
まだ副隊長になったばかりの奴に言うには早過ぎるかも知れねぇが、それでも。


「…お前が隊長になる時が来たら、その時は─────」


耳許で囁いた言葉に、独月の目は丸くなった。
急に縮まった距離に阿散井が吼えるまで、あと─────





青で繋ぎ止めて



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