月だけが見ていた

ベッドにうつ伏せになり肘を立てスマホを耳に当てる。

「えぇー?それでそれで??」

友人の彼氏の愚痴を聞きながら足をプラプラと揺らす。久しぶりに連絡を寄越した友人はどうやら彼氏と喧嘩したらしい。最初は喧嘩についての話だったがだんだん彼氏の話は空の彼方へ。最近の近状報告だったり、最近あった面白いことだったりへ話はシフト。それを笑いながら聞いているとそういえば、と友人が声を上げた。

「そういえばなまえの彼氏は最近どうなの〜?」
「私〜?」

ふむ、と私の彼氏について考える。私の彼氏は警察官だ。出会いは数合わせで出席した合コン。付き合うなら将来を見据えたい私は合コンに興味がなかった。付き合うなら誠実な人がいいし、一時の遊びやひと夜限りの関係などごめんだ。合コンに来る人はちょっとな...いや、私も来てるからそうなんだけど!理想くらい高くてもいいよね!そう考えて、男性陣に見向きもせず只管ご飯を食べていた。それがどうやら今の彼氏の−研二くんの目に止まったらしい。いつの間にか目の前の席で此方をニコニコ見ていた研二くんはその日の合コンで1、2を争うほどの競争率だったらしく私は何人かの女の子達に睨まれた。私は悪くないと声を大にして言いたい。最初はうわ、チャラい...近寄らんどこ、という印象しかなかった。しかし彼の話術により帰り際に連絡先を交換していた。あれ、こんな筈では...。

それからずっと連絡のやり取りをして、何回も食事に誘ってくる研二くんに折れた私は2人で食事に行くことになった。二人で話してみれば研二くんは思っていたより気遣い上手で面白い人だった。それから紆余曲折あり、私と研二くんは付き合うことになった。(付き合うまでに彼の親友に後押しされたり、ストーカー事件にあったり色々あったが長くなるので割愛する。)

そんな研二くんとの付き合いも既に1年。お互い忙しい時でも時間を作ってはお互いの家を行き来している。特に大きな喧嘩もしたことないし、唯一の不満といえば人前でもくっついて来たりキスしてきたりするのはやめて欲しいけど。流石にこれを言えばただの惚気と思われるだろうから言わないけれど。

「特に何も無いなぁ。」
「えー、喧嘩もないの?」
「無いねぇ。」
「はー、順調そうでいい事ね。」

つまんなーい、とぶーぶー言う友人に苦笑する。もうちょっと本心を隠しても良いのでは?

その時かちゃり、と扉の開く音がした。それを無視して友人との会話を続行する。誰がやってきたのかは分かりきっているのだ。

ずしり、と背中に重みを感じ眉根を寄せる。スマホを耳に当てたままちらりと背中を見遣れば案の定。お風呂に入ってきたのかラフな格好の研二くんが私の背中に頭を乗っけていた。髪が濡れているのか背中がじんわり冷たくなる。

「(ちょっと!)」

通話口に声が入らないように小声で研二くんに文句を言う。それにぷぅと頬を膨らます研二くん。自分の歳考えて。...可愛いけど。

「ねー?聞いてるの?」
「えっ!?聞いてるよ!!」

急に大きくなった声にびくりと身体を震わせ、焦りながら返事をする。そんな私のルームウェアの中にすっ、と手を入れてくる研二くん。それに焦ってばたばたと足を動かす。

「(やーめーて!!)」

そんな私に我関せずといった顔の研二くんはつっ...と指先を背中に這わせる。びくりと跳ねる肩に気を良くしたようにニヤついた顔をする研二くんに唇を噛む。

「ね?なまえ?本当にどうしたの?」
「えっ、いやぁ...。」

今彼女に彼氏が来てちょっかい出されてるなんて言える?私は言えない!!しかも相手は彼氏と喧嘩中。ちょっと私の心臓強度じゃ無理かな...。そうしてしょんぼり途方に暮れいると調子に乗った研二くんが私に馬乗りになる。それから私の首元に顔を埋め、項にちゅ、ちゅ、と唇を落とした。それに声が漏れそうになるのを必死で堪える。偶に甘噛みしてくるのがまた敏感になったいる身体には辛くて身を捩る。しかしそれを片手で抑えられ逃げられない。

「んっ...。」
「なまえー?本当に大丈夫??何かあったの?もしかして体調悪い?」

スマホを当てた右耳から心配する声が聞こえる。しかし私にそれに返答するだけの余裕はない。ぴくぴくと体を震わせる私の左耳に研二が唇を寄せる。

「友達がこーんなに心配してくれてるのになまえは俺の指に感じてるなんてなんて...えっち。」

くすりと笑って砂糖を煮詰めたように甘い声を吐息と共に吹き込まれ、私は我慢の限界を迎えた。

「っ*〜〜!!ごめん、また今度掛け直す!」

一方的に捲し立て通話終了の文字をタップし、立てていた肘の力を抜きぐったりと横たわる。

「あれ?もういいの??」
「*〜*!馬鹿!!」

楽しげに問い掛けてくる研二くんに吠える。あんな状態でまともに電話なんて出来るか!!ムッすりした顔で体を捻る。すると、それを見た研二くんが少しだけ体を浮かせてくれたのでうつ伏せから仰向けに体制を変える。退いてくれるのが1番なんだけどね。

「何で邪魔するの!?というか今日来るなんて知らなかった!」
「会いたかったから早く仕事終わらせて来た。それに女の子の電話は長くなるしー。」

久しぶりだったのに、と不満を言えば彼は勝手なセリフを述べ挙句、それにと言葉を続けた。

「こーんなに足出してるから誘われてるのかと思ってドキドキしちゃった。」

薄く笑いながらすり、と研二くんが剥き出しになっていた脛を摩る。先程の行動と言い、これは良くない。何より研二くんの発と緩くふざけた発言とは裏腹にその瞳は熱を持っていて既にスイッチが入りかかっている。いや、恋人同士であるためそれ自体は悪いことではないのだが明日は平日。つまり仕事がある。このまま研二くんのペースに乗せられれば後悔することになるのは火を見るより明らかだ。じっ、と彼を観察していると、それをいいの合図と捉えたのかいやらしく笑いながら瞼を閉じてゆっくり顔を近づけて来る。

ガシッ。

「...え*。ここで?」

唇が触れ合う前に研二くんの頭を鷲掴んで止める。研二くんはそれに不満げに口を尖らせる。

「ほら起きて、髪の毛乾かしてあげる。」
「髪*?」
「ほら、濡れてる。」

片手で研二くんの髪を梳く。やはりさらさらの綺麗な髪は少し湿っている。

「すぐ乾くよ。」
「乾くかもだけど研二くん風邪ひくじゃん。」
「えぇ*。そんな事ないし。」
「そんな事あるの。看病する身にもなってよね。」
「それがいいんじゃないか。」

へにょりと眉を下げる研二くんの頬を摘む。思いの外伸びる柔らかな頬に笑いそうになるのを抑え、ぐいぐいと肩を押す。

「だーめ。ほら座って。」
「はーい...。」

すっかり研二くんの纏う艶めいた雰囲気が無くなったことを確認してドライヤーを取り出す。ヘアクリームを髪に馴染ませてからドライヤーのスイッチを押せば轟音を立てて温風が吹き出す。ぶわりと研二くんの髪が吹き上がる。髪全体に指を通し梳きながら温風を通し乾かしていく。心地がいいのか研二くんが目を細める。それに対し犬みたいだと思いながら手は止めない。

「...ん*。」

だんだんと眠くなっているのか頭が前に沈み始める。それに声を出さずに笑って温風から冷風に変える。私は研二くんの髪が好きだ。最初はその長髪がチャラく見えて眉を顰めることもあったが今ではこの綺麗な黒髪が揺れるのを見るのが好きだ。夏に髪を纏めた時はその髪がぴょこぴょこ動く姿を見ると癒されたし、その髪に指を通すのは癖になる。妬ましくなるほどにサラサラで指通りのいいその髪を研二くんは雑に扱う。ドライヤーは掛けないし、櫛を通すことも無い。そんな研二くんの髪の毛のケアは基本的に私の仕事だ。

「ほら、終わったよ。」
「ん。」

小さく返事をした研二くんが潰れた目のまま私を抱き締めてから布団に転がる。

「あっ、こら。」
「もー寝よ?」

研二くんが目を瞑ったままぎゅうぎゅうと私を抱き込む。その仕草はまるで子供だ。あまりにも可愛らしいものだから笑ってしまう。それから近くにあった照明のリモコンで明かりを消す。真っ暗になった部屋にカーテンの隙間から月明かりが差し込む。その光が研二くんの顔を照らす。それが何だかとても眩しくて見えて目を細める。そっと彼の背中に回していた右手を伸ばし彼の顔を撫でる。

「...どうした?」

私の右手首を捉えた研二くんが薄く目を開く。

「...綺麗だなって思ったの。」
「何それ。なまえの方が何倍も綺麗だ。」

研二くんが吐息で笑う。それから彼は私の右手を口元に持っていきちゅ、と口付けた。

「大丈夫だよ、どこにも行かない。」
「うん...。」

ふと、悲しくなる時がある。それは本当に突然で私にもそれが何故かは分からない。でも、こうしてふとした瞬間に胸が締め付けられるのだ。いつか彼がいなくなってしまうような、私の手が届かなくなってしまうような気がしてしまう。昔、ぽつりとそう呟いたことを研二くんはずっと覚えてくれているのかこうして様子がおかしい私に寄り添ってどこにも行かないよ、と慰めてくれる。何も怖いことなど無いはずなのにどうしてこんな気持ちになるのだろう。

「そんな顔しないで。」

彼の手が私の頭に回り、そのまま優しく撫でられる。優しい手のひらに涙がこみ上げてくる。困ったようなそれでいて穏やかに見える顔をした研二くんは私の目尻に口付ける。それから彼はぽんぽん、とリズミカルに背中を叩く。

「私、子供じゃないよ。」
「知ってるよ。でもこうされると落ち着くだろう。」
「...もっとぎゅっとしてくれた方が落ち着く。」
「...ほんっと狡いよなぁ。」

拗ねたように反論すればぎゅううう、と研二くんが私を抱き締める。その温度に酷く安心してだんだん体の力が抜けていく。

「おやすみ、研二くん。」
「うん、おやすみ。」

うつらうつらとしながら研二くんに挨拶すれば研二くんも挨拶を返してくれる。それに頬を緩める。

「起きたらちゃんと私のこと起こしてね。」
「うん、分かってるよ。」

その言葉に安心して瞼を落とす。どうか朝までこの温もりを独り占め出来ますようにと願いながら。



すーすー、と寝息を立て始めた彼女の頭をゆっくりと撫でる。穏やかな顔つきをした彼女は俺の手に擦り寄ってきた。それが可愛らしくて頬が緩む。

彼女と付き合うまでは大変だった。付き合いで参加したという合コン自体興味がなかったようだし俺は彼女の好みとは違ったから。...ちょっとこれを自分で言うのはショックが大きいな。まぁ、とにかく色んな壁を乗り越えて付き合うに至った訳だ。付き合い始めてからの彼女は本当に可愛いの一言だった。猫のような彼女はこちらから寄れば逃げる素振りを見せるがじっとしているとそっと寄ってきて甘えてくる。本当に可愛くて松田と飲みに行ってずっと惚気けていたことがある位だ。因みにその日のお代は俺持ちだった。

とにかく可愛い俺の彼女が1度泣いたことがある。と言っても本人は覚えていないようだが。ある日夢見が悪くて起きたらしい彼女が泣いていた。何事かと声を掛ければ俺が爆発に巻き込まれて死んでしまう夢を見たと。多分俺の職業を知ったからだったのだと思う。それから彼女はふとした瞬間にその時のような悲しい顔をするようになった。それが不謹慎だが少し嬉しい。だってそれだけ俺と離れがたく思ってるってことだろ?

もちろん彼女と離れるつもりなんてさらさらない。元々真面目で誠実な人が好きだと彼女が言った時から意識して真面目に職務にあたっていたが(別に元々巫山戯てるつもりもなかったが)あの日以降、より気をつけるようになった。面倒くさく重くて暑苦しい防護服だって着るようになったのだから自身の単純さに苦笑してしまう。

「おやすみ、なまえ。」

昔、2人で寝たのに1人で起きるのは寂しいと零した彼女の為に朝起きる時は一緒に、という約束をしている。本当に俺の彼女が可愛い過ぎてしんどい。でも確かに起きた時家に1人だと寂しい。...付き合い始めて1年経つ。そろそろ一緒に暮らすのもいいかもしれない。今の部屋じゃ少し手狭だし2人で物件を探しに行くのもいいかもしれない。一緒に暮らせば今よりもっと二人の時間も増えるし、疲れて帰ってきたら最愛の彼女が居てくれたら疲れも吹き飛ぶに違いない。休日は一緒にお昼寝したり、料理をしたりしてもいいかもしれない。まぁ、俺料理出来ないけど。

そんな幸せな未来を予想して破顔する。眠る彼女のまろい頬に唇を寄せて、俺も目を閉じる。とくん、とくん、と一定のリズムを刻む彼女の心臓を子守唄に俺も眠りに落ちるのだった。



月明かりに照らされた寝顔が2つ。とても穏やかな顔で2人は寄り添いあっていた。