これの続き)


 苗字邸が爆破したことは、今から数年前に遡る。
 爆破の規模は小さかったが、火の回りが早かった。爆発の原因とされる娘の部屋は居間の真上に位置しており、それは休日の夕方のことであった。不幸にも娘を除く家族、使用人は居間に集合していた。
 轟音と共に上がる火柱に、庭仕事をしていた家政婦が直ちに通報したが、見つかったのは家族全員と使用人の焼け焦げた亡骸であった。


続・きみは真夏の堕天使


「それでも、どうか、一輪でも」
 名前が懇願しながら差し出した向日葵に、太宰が手を伸ばす。然し太宰が向日葵を掴むことはできなかった。向日葵が消えたのだ。
「……これは」
 太宰は考える。そうして、ひとつの答えを導いた。確信を得るために向日葵畑を目指す。太宰が読んだ通り、彼が手を振れた大輪の花たちは次々と消えていった。
「向日葵が次々と……これは一体どういうことなんですか?」
 自分が触った向日葵は消えたりなんてしなかったのに。春野が尋ねると、乱歩は全てを知っているような口ぶりで云った。
「異能力で創られた花だ」
 太宰の能力は、触れたものの異能力を無効化するものである。向日葵が異能力で創られたものだとしたら、異能力を打ち消す太宰のその手に触れられ、消滅するのも説明がついた。
「こんなところに向日葵が咲くなんて可笑しいんだ。地面は砂、波はすぐそこまで迫ってくる。夜にはここまで海水が満ちるだろう。こんな海岸に向日葵畑なんて咲くはずがない」
 春野はよく考えれば確かに変だと頷いた。然し誘拐された春野にはそんなことを考える余裕もなければ、意識もなかった。意識が浮上すれば眼前に広がるのは向日葵畑。
「春野さんは誘拐されたんだ。手足が自由だなんて更に可笑しい話だろう。薬でも嗅がされた? 春野さんは何処で記憶が途絶えた? どうやって運ばれた? 彼女一人で担ぎ運ばれるなんて無理だ。然し見ての通りここには運搬に使われた車もない。運転手という共犯者がいるかもしれないけど、春野さんの出勤途中に目撃情報があったよ。どうやら春野さんは一人でここを目指したらしい」
「えっ」
 そんな、真逆。春野はにわかに信じがたかったが、思い返せば、確かに出勤するために家を出てからの記憶が曖昧だ。途中で意識が途絶えたような気もする。然し、毎日繰り返される日常の、毎日繰り返す変わることの無い通勤路なんて、こんなものだったような気もする。どこかで無意識に道を違えたのかもしれないとも思った。
 気が付けばこの向日葵畑に居たのだ。そして、名前という女が隣に居て、自分を誘拐したのだと云うのだ。あんまり優しい笑顔で云うものだから、悪い女ではないような気がして、悪戯だとさえ思った。名前という女は、春野の意識に空気のように、安心感すら与えて溶け込んだのだ。
「最近奇妙な噂を耳にしてね。三途の向日葵畑という都市伝説紛いの話だったんだけど、確信したよ。本物だ。この付近の海岸で数人の水死体があがっている。一命を取り止めた人が、海岸に咲く向日葵に誘われたと云ったのがこの都市伝説の発端らしい。警察も巡回程度に海岸に咲く向日葵を探しているらしいが足は掴めず仕舞い。酔っぱらいや薬物中毒者の幻覚じゃないかということで都市伝説止まりの案件になっていたけれど」
 この話は本物だよ。乱歩は噛み締めるように云った。
「ここに居るのは僕たち四人だ。僕たち探偵社員はお互いの能力を把握しているし、何たって僕は名前ちゃんの能力を把握している」
 乱歩が名前をきつく睨む。名前は動じる様子もなく、微笑みを浮かべながら乱歩の次の言葉を待った。諦めにも似た表情であった。変わらない名前のその笑顔を見て、乱歩は彼女との出逢いを思い出していた。

 名前が過去に探偵双人に身辺警護を頼んだのは、彼女の持つ異能力が原因であった。
 名前の異能力は植物の生産と成長促進である。種が無くとも芽吹き、成長し、花を咲かせ実を付ける。異能力で生った実からは種子を取ることはできないが、咲かせる花々は見事なものであった。探偵双人への依頼は、その能力を聞きつけ悪用しようとする組織からの苗字名前護衛であった。
 名前の能力では、大麻を始め薬物として用いられる植物の生産も可能であったし、作ろうと思えば名前が考えた架空の植物さえも生産も可能であった。闇企業からすれば名前は良い薬物製造機にさえ見えただろう。喉から手が出るほど、彼女が欲しかっただろう。
「こんな能力、欲しくなかったのに」
 薬物製造機になるくらいなら死んだ方がまともだと胸の内を明かした名前は、今のように、生きることに諦めた笑顔を見せた。

「……名前ちゃんは、今でも死んだ方がまともだって思ってる?」
 名前はゆっくりと口を開く。
「知っているくせに。死んでいる人間にそんなことを聞くなんて、意地悪ですよ、江戸川さん」
「……死んでいる?」
 誰が? 太宰と春野は名前の言葉を咀嚼しながら、彼女を見る。それでは目の前に居る女は何なのだ。何が喋っているのだ。彼女が? 真逆。だとしたら、乱歩は何故こうも平然を保っているのだ。
「苗字名前は数年前、爆破事故に巻き込まれて死んだ。当時、新聞でも大きく取り上げられたから憶えている人も多いかもしれない。何よりも僕たちの依頼人の事件だ。忘れるわけがない」
「待ってくださいッ! では私たちに見えている彼女は……」春野が問う。
「世間では幽霊と呼ばれているんじゃないかな」
 乱歩は答える。
「春野さんがどうやってここに来たのかも、都市伝説で向日葵に誘われたと云った証言も、幽霊の仕業って考えれば納得もいくでしょ。僕には原理を説明できないけど。何よりもこの不自然な向日葵畑が彼女の能力だっていうのは僕が証明できる。何度も云うけどね、彼女は死んでいるんだ」
 春野は身体が震えた。今まで一緒に笑い、触れ合い、会話していた彼女が死んでいる。そう云われたら、目の前に居る女が判らなくなり、全身を襲うのは恐怖であった。
「判っていて、江戸川さんは来てくださったのですね」
 名前の唇はわなわなと震える。
「春野さんを助けにね」
「判っていて、福沢さんは来てくださらなかったんですねッ! 許してくださらなかったのですねッ! 怒らせてしまったのですねッ……!」
 名前はワッと泣き始め、彼女の興奮に同調するように向日葵が一斉に騒めいた。
「名前ちゃんは、此処で何人殺した? 自分が命を落とした原因を覚えてる? その所為で何人巻き込んだ?」
 被害者ぶるなよ。乱歩は低い声で言った。
 福沢の気を引きたくて作った爆弾。火薬の量を間違えた上に予想だにしない爆発。家族と使用人を巻き込んだ。皆命を落とした。それでも福沢への想いを断ち切れず現世に留まっている。向日葵の花言葉は“貴方だけを見つめてる”。福沢に見て欲しかった。道行く恋人たちが羨ましかった。福沢の為に咲かせた向日葵を、幸せそうに道行く恋人たちが、微笑み合いながら眺めるのが、許せなかった。
「死んだ方がまともだなんて、そんなのあるわけないのに……っ」
 生きたかった。もっと声を聴きたかった。その温もりを感じたかった。
 名前は乱歩に手を伸ばす。無情にも、その手は、乱歩の身体をするりと抜けた。
「こんなに近いのに、触ることもできないの」

 福沢は名前のことを許していた。
 抑々福沢にとって、名前を許すとか、許さないとか、そういう問題ではなかった。若い男と口付けを交わした名前を見て、自分の年齢を考え怖気づいたのだ。名前は自分なんかよりも、年相応の青年と、年相応な、まっとうな交際ひいては恋愛をするべきなのではないか。
 名前を自分から遠ざけ、遇わないようにした。連絡も取らないようにした。あの手この手で接触しようとしてくる名前を拒むのは胸が痛んだ。同時にそんな彼女を愛おしく感じた。そんな葛藤と苦悩の日々を送る福沢に、名前が死んだらしいという噂が飛び込んできた。
 乱歩からの情報では信じられなかった福沢は、彼から新聞をひったくったが、記事を読めども脳は上手く文字を処理してくれなかった。百聞は一見に如かずだと飛び出し苗字邸まで全速力で翔けた。野次馬を掻き分け、眼前に現れた苗字邸は、見るも無残に焼け焦げていた。
 福沢は地面に膝を着く。――あの若い男が触れた名前の唇は、どれほど柔らかかったのだろうか。悔しくて悔しくて堪らなかった。そう思うくらいなら――と、何よりも素直に行動できなかった自分を許せなかった。

 春野の携帯電話から掛けられた電話を取ったのは国木田だった。
 電話では告げられていない春野の居場所を暴き、其処が三途の向日葵畑と噂される場所と重なることから事件の関係性が有る事を暴いたのは乱歩である。それから、海岸という不自然な場所でに咲き乱れる向日葵畑で思い浮かべるのはひとりの女の異能力。疑念はある。彼女は亡くなったはずだ。思いながらも、名探偵の心はザワついたのだ。
 誘拐犯は福沢が来ることを要求してきた。犯人の前に社長を易々と出して堪るかと国木田は喚くが、福沢の耳にも一応入れておくべきだと、乱歩は自分の推理を福沢に耳打ちした。それでも福沢は現場に往くことに首を縦に振らなかった。怖かったのだ。如何して会ってくれなかったのと責められるのが。怖かったのだ。名前に嫌われてしまったんじゃないかと思うのが、とてつもなく怖かったのだ。

 向日葵畑が凪いだ。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
 名前は何度も謝罪を繰り返した。許しを請うように。
「……福沢さんは、名前ちゃんが安らかに眠ることを望んでいるよ」
 名前の輪郭は徐々に薄れ、日差しが差す海面と交わる。煌煌と輝く水面のせいで名前の表情は見えない。笑っていてくれればいい。福沢が会いに往くまで、笑って、空から彼のことを見守って居ればいい。
 蝉の鳴き声が大きくなる。空が高い。入道雲を懐かしく感じる。向日葵畑が消える。名前が、消えた。
 夏が終わる――。


20160911
夏に恋する企画’16
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