(
これの続き)
目が覚めると自分の部屋に居た。
チュンチュン。
“夜明けコーラス”が聞こえる。雄鳥が朝に鳴く理由は夜を生き残った証だという。チュンチュン。それから「俺は朝飯を探す前に歌う余暇があるんだぜ」ということも雌鳥に主張しているんだとか。チュンチュン。朝日が眩しい。如何やら今日は太陽に恵まれた日和らしい。チュンチュン。……然し五月蠅いものは五月蠅い。チュンチュン、チュンチュンと……いい加減にしろッ! なんで手前等雄鳥が雌鳥に向けた自己アピールにわたしの安眠が妨害されにゃならんのだ! わたしは布団から飛び起きた。窓まで三歩。枠が外れる覚悟も厭わぬ勢いで窓を開け放つ。
「丸焼きにして食っちまうぞ鳥公がッ!」
突如として開放された窓に驚いた鳥たちは一斉に飛び立ったが、一羽たりとも逃してなるものか。わたしは視界に映る鳥共一羽一羽に余すことなす呪いをかけた。鳥と云えど、汝ら生涯結ばれること勿れ。
善い夢を見た。我が嫁である太宰治が川から流れて来たところを救助する夢である。
サラリーマンやOLという企業戦士、延いては我々大人には皆目見当つかないような感情の爆弾、猛毒のような人間関係が蔓延る過酷な監獄に身を投じる囚人学生を乗せた電車は最早奴隷運搬船と化していた。紛れもなく我々はこの世の奴隷である。わたしも例に漏れなく奴隷運搬船に詰め込まれている。いつもの事だ。いつもの事だが、いつもと違うのは砂糖菓子で出来た乙女の脳みそよろしく夢に出て来た王子様……訂正、嫁について想いを馳せていることであった。
昨晩敗戦した合コンの帰り道。近道をするべく部長に教わった角を曲がると、そこは知らぬ橋の上であった。見慣れない景色に辺りを見渡せば、川上からどんぶらこっこと流れる人型粗大ごみを発見した。様子が可笑しいごみであったので、目が離せなかったのだ。ごみは水面に脚のようなものを二本浮かべていた。怪しい人型粗大ごみは中州に打ち上げられ、よく確認してみると人間で、よくよく見れば我が嫁である太宰治だった。それから彼の部屋にお邪魔して、一緒に眠りについたと思ったら冒頭に戻る。わたしは自宅でひとり朝を迎えた。夢だったわけだ。然し昨晩は如何やって居酒屋から帰り布団に入ったのかイマイチ記憶に無い。そんなに飲んだ覚えはないし、未だ健忘の気はない……はず。それからあの景色や匂い、温度、感触が、夢にしては出来過ぎていたのだ。嗚呼、畜生。鳥の鳴き声さえなければ、この手にもっと太宰治を感じられたというのに!
太宰治への興奮と夢への後悔、それから鳥への怨念を巡らせながら職場最寄り駅に到着。奴隷運搬船から排泄されたわたしは、既に一戦終えて来た老兵のように疲弊していた。鞄に手を突っ込むと、違和感がある。可笑しい! 無い! 無い! 無い! 無いッ! わたしのセキュリティーカード兼社員証が何処にも無いッ!
わたしは会社のセキュリティーゲートの前で鞄をひっくり返した。事件である! 悲劇である! 昨日もいつものようにしっかりと鞄の内ポケットに仕舞ったはずだ。何時失くした? 昨晩の合コンではアバズレ女の特製、どん引き必須のハート型の名札を手渡されたので居酒屋では出していない。そうだとしたら、何処で失くした? 思い当たるのはひとつ。居酒屋から家まで、記憶の無いところだろう。……全く困った。わたしは真面目に出勤する同士の企業戦士達の視線なんて憚らず、セキュリティゲートの前で膝を付いた。社員証及びセキュリティカードの再発行についてはセキュリティ担当部署からの小言が五月蠅く、更にセキュリティ講習を受け直し受講報告書を長々と書く必要があり、再発行されるまでの一週間余りは受付で身分証明書を提示してから外部出入り報告の申請をしなければならない――等々、兎に角面倒だということを同僚から賜っていた。わたしは冷たい床に膝を尽き乍ら天を仰ぎ、静かに涙を流した。
「おやおやぁ、お嬢さん。何か悲しい事でも?」
最早聞き慣れた癒しの宮野ボイスを鼓膜が拾う。真逆! 期待と興奮に胸を高鳴らせながら声の方に向くと、其処に居わすは、嗚呼! 見目麗しい太宰治! わたしの嫁!
「目を覚ましたら苗字さんが居なくなっているので吃驚しました」
「……え? 名前、わたしの、名前を、何処で……?」
「仕事柄……と云えれば格好もついたんだろうけれど、正直に云ってしまえば、自宅に招く女性の身元くらいは知っておくべきかなと思ってね」
そう云って微笑む嫁の手には、わたしの社員証が納まっていた。
「よ、嫁ぇ……!」
これは夢なのか現実なのか。夢なのならば、どこからどこまでがそうなのだ。現実であるのならば、目の前の宮野ボイスの太宰治そっくりの男は何なのだ。
もうこの際何でも善い。結論はわたしの嫁が実に善く出来た嫁であるということ。それだけである。
20161204
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「
大宰相手の成人女性トリップの続き」
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