私はこのアメストリス国で、アメストリス人の純粋な血統として生を受け、産まれた直後に前世であるリザ・ホークアイとしての記憶を取り戻した。そして私は、わずか零歳零ヶ月でありながら、恋に落ちた。
 リザ・ホークアイとして生きた記憶の中の、ロイ・マスタングという男に恋をしたのは、リザ・ホークアイとしての自分ではなく、“ナマエ・ミョウジ”という自我だ。産まれたての赤子に異性を愛する自我などあるわけがない。即ち私という自我は、リザ・ホークアイという人物として生きた時からその深層に存在していた。それを確信したのは、少し先のことになるのだが。
 しかしまさか、転生先が過去などと誰が予想出来ただろうか。親戚としてまだ少年少女のアレックス・ルイ・アームストロングとオリヴィエ・ミラ・アームストロングに出会った私は齢十二にして腰を抜かした。私が産まれたのは、リザ・ホークアイが生涯を終えた時からなんと過去へ遡って、リザ・ホークアイが産まれた年だった。私の生家は由緒あるお家柄らしく、貴族のような暮らしをしていた。環境にも人脈にも恵まれて育った私はいつか立派な淑女として素敵な殿方に嫁ぐのだと、そう教えられて生きてきた。過去へ転生したなど夢にも思わず、前世から恋焦がれた男だけを想い続けながら。どこか今世には諦めさえ抱いていた。あの人は、私が生きる今世には居ないと。あの人に会うことは不可能なのだと。
 しかし、あの強烈な二人に出会ってからは死に物狂いでの人探しが始まったのだ。リザ・ホークアイの記憶にある彼の記憶は殆ど後ろ姿だった。時間を見つけてことある事にイーストシティへ赴き、網膜に焼き付いてすらいるようなあの後ろ姿を、目を皿のようにして探し回った。

 結果、見つからなかった。……いや、見つけようとしなかったとも云えた。何故ならリザ・ホークアイの祖父があのグラマン中将なのだから。家名の権力を使って中将に連絡を取り、そこからリザ・ホークアイとその父親を辿るのは簡単なのだ。しかし私は途中でその方法に気付いていながら、しなかった。リザ・ホークアイに会いたくなかったからだ。この世界で最も会いたい人と、この世界で最も顔を合わせたくない人が近しい距離にいるのだ。片方と会えば、もう片方にも会うこととなるのは容易に想像出来る。そもそも、彼に会ってどうする? 好きだと伝えるのか? 付き合って欲しいとでも言うつもりなのか? 馬鹿馬鹿しい。彼には……彼と生涯を共にする女性は既に決まっているのだ。それは運命などではない。私が経験したという、証拠付けられた、揺るぎない事実なのだ。リザ・ホークアイ以外に、彼を傍で支え、背中を守れる人物は存在しない。リザ・ホークアイとして生きた経験があるからこそ、リザ・ホークアイと彼との絆を誰より間近で見ていたからこそ、この世界で誰より私が理解していることだ。ロイ・マスタングには、リザ・ホークアイしかいないと。
 私はとうとう人探しを辞めた。そして悩んだ。行き場のない恋煩いに、寝込むほど悩んだ。悩んで悩んで、私が出した結論は“国家錬金術師”になることだった。

 幸い、“アームストロング家に代々伝わる芸術的錬金法”とやらが存在するおかげで、錬金術の勉学環境に不足は無かった。しかし、“アームストロング家に代々伝わる芸術的錬金法”とやらは肉体派の技しかなかったのでより私の力になるような錬金術を独学で研究し始めた。形となったのは時空の歪みを作る錬成である。時間の流れが異なる新たな空間を作り出すことで時間を操作出来ると考え、研究と実験を重ねた。やがて軍が大々的に国家錬金術師を募集したことでイシュヴァール殲滅戦が始まることを悟ったものの、まだ私にはどうすることも出来ないほど無力だった。
 オリヴィエ姉様の推薦で受けたが、試験には何度も落ちた。オリヴィエ姉様からの軽蔑と叱咤も凄まじかったが、何より筋肉の塊でしかないと思っていたあのアレックス兄様がこんな高レベルの科学的理論を理解出来たことが驚きで、それに対する悔しさの方が姉様の絶対零度の視線による恐怖より勝った。その悔しさをバネに猛勉強を重ね、遂に国家試験を突破した頃にはイシュヴァール殲滅戦は二年も前に終わっていた。
 あの人を守るために、リザ・ホークアイが出来なかったことは私がするために、手に入れた錬金術の力だった。それなのに、力を手に入れた頃に気付いた。全て終わっていたことを。イシュヴァールであの人のトラウマはしっかりと刻まれ、きっと彼はこれから眠れない夜も多々あるかもしれない。悪夢に魘される夜も自分を責めて過ごすのかもしれない。イシュヴァール人も、沢山、数え切れないほどの尊い命が奪われたのだろう。あのウィンリィちゃんの両親であるロックベル夫婦も亡くなったのだろう。……ああ、そうだ。エルリック兄弟も母親を亡くして人体錬成を既に犯してしまっているかもしれない。私は何もかも忘れてしまっていたのだ。愛しい人が戦場で苦しみに打ちひしがれている時、のうのうと勉学に励んでいた自分を心底呪った。一体、今はいつかと記憶を整理してみると、なんとエドワード・エルリックが最年少で国家資格を取ったのは今年のはずだった。つまり、私が受けた先日の試験を同じく彼も受けたということだ。それも私は二十二歳で何度目の挑戦か数えるのも恐ろしいが、彼は一発合格で最年少の十二歳。改めてエルリック兄弟の頭脳明晰さとその才能を思い知らされた。

 私はアレックス兄様の伝手でヒューズ中佐の直属部下となった。なんとも都合が良い。彼を守るにはこれ以上とないポジションである。愛する人のためにも、その親友であるヒューズを何としてでも守らねばならない。きっと、その為に私は逆行したのだと信じて。


ーーー三年後

「東方司令部へ?」

 今年に入ってからセントラルだけでも五人もの国家錬金術師が殺害される事件が相次いだ。先日も“鉄血の錬金術師”グラン准将もその被害者となり、中央司令部を震撼させた。連続殺人であり、犯人は通称“傷の男”と呼ばれている。そしてその出没情報と同様の被害がイーストシティでも確認されたらしい。こんな時によりにもよってその東方司令部へヒューズ中佐が行くと言い出した。

「ああ。アームストロング少佐とお前も連れて行くからな」

 なんと。そんなところへ行けば彼に会ってしまうではないか。もう少し運命的な出会いを、しかもセントラルでの邂逅だと想像していたのに、もうあの人と会うことになるなんて。しかもこのタイミング、たしか、これはもしかしなくても……。

「罪人ショウ・タッカーを引き取りに向かう」

 ……やっぱり。思い出しただけで眉間に皺が寄ってしまう。あんな血腥い事件現場での出会いだなんて断固却下だ。

「嫌です」
「…駄目だ。来い」
「……」

 そう、この人はこういう人だ。きっとこれがマスタング大佐ならば「何故かね?」とでも問うて耳を傾けることをしただろうに。この人ときたら、頭がキレるせいで、私の意見を聞くという選択肢を切って捨てたのだろう。私が“無理”ではなく“嫌”という言葉を使ったこともその判断材料なのだろう、もはや私に言い訳の余地は無かった。

「そういやお前、ロイに会いたがってたんじゃなかったか」
「っ……、いえ! 尊敬しているだけです!」
「…イシュヴァールの英雄として?」

 意地悪な問いかけに思わずまた眉間に皺が寄った。まったく、そこそこ長い付き合いなのにたまにこういう、人を試すようなことするんだからこの人は。

「…ロイ・マスタングとして、です」

 言葉の綾なので、上官を呼び捨てにしたことには目を瞑って欲しい。また、腹を立てているため少し上官を睨んでしまっていることにも。

「っかーーー! 愛されてんなぁアイツは。羨ましいねぇ」
「そっ…! もう! 中佐!」
「はっはっは」

 前世から愛した人と今世での初対面になるのに、グロい死体立ち会いのもと、まるでロマンの欠片も無い会話を想像して溜め息が漏れた。乙女心が滂沱していた。


 数日後、その日は雨が降っていた。リザ・ホークアイと私が経験したあの日と全く同じように。ショウ・タッカーの身柄を引き取りにイーストシティへ向かえば、当人は殺害されたとの情報が入り、ますます足が重くなる。現場付近には大勢の軍人が待機していたが、私は一目でその人を見つけてしまった。そしてその目敏い両目は彼から視線を逸らそうとせず、まるで接着剤で固めたように動かなかった。そうなればもはや時間の問題というもの。彼がこちらの視線に気付き、バチ、と目が合った。とうとう相対してしまった。遂にこの時がやってきてしまったのだ。ヒューズ中佐が皮肉った挨拶を交わし、私を紹介する声が聞こえる間もまるで視線は自由にならなかった。いざ腹を括って「初めまして」と、脳内で何度も練習した自己紹介を口にする前に彼が口を開いた。

「君はたしか…」
「え…?」

 彼が顎に手を添えて何かを思い出すような素振りを見せた。その真っ直ぐな瞳と真剣な表情で私をまじまじと見つめて。……勘弁してくれ。本当に。生まれ落ちた瞬間から恋焦がれ、二十五年間ずっと会いたかった人にこんな風に邂逅早々穴が開くほど見つめられて、しかも今まで会ったことなんて無いはずなのにその先を聞くのも恐いしで、今にも意識を手放したいほどの緊張が身体を駆け抜けた。立っているのもなんとかという状況が辛くて僅か数秒が果てしなく長い時間に感じた。そしてようやく彼は閃いたようにポンと手を打った。

「三年前の国家試験で合格しただったね」
「な、なななん、…何故、え、初対面ですわよね?」
「いや。実は鋼の錬金術師の付き添いであの場に同席していてね。二階うえから見させて貰っていたんだ。三年前とはいえ、こんな可愛らしい女性を思い出すのに時間がかかるとは我ながら情けないよ」
「……」

 もう何が何やら分からない。あの場って、試験会場に居ただって? 嘘でしょう? いや、これが運命の初対面ではなくて安堵した部分もあれど、知らないうちに一方的に認知されていたなんてまさかの展開だ。私は何か変なことを口走らなかっただろうか。何かはしたないことをしでかさなかっただろうか。でもそんな三年も前のことすぐは思い出せない。それなのに彼は私を覚えていたというの? その記憶の片隅にでもこの三年間存在していたというの? しかも可愛らしい? なにそれおいしいの? これは夢? それにしても良い声に心臓が麻痺してしまいそうです救急車を呼んで下さいええ今すぐです。と、頭の中はひっちゃかめっちゃかで、口もパクパクと鯉の如く開閉するだけで意味のある音を発しない。控えめに言って色々と限界だった。供給過多という奴だ。彼の表情が微笑みから驚き、それから焦りへと色を変える様を見たのを最後に私はとうとう意識を手放したのだった。

「君!」

 嗚呼、その声で私の名前を呼んでくれたら……。リザ・ホークアイではなく私の名前を。私の名前は……ああ、まだ自己紹介すら出来ていなかった。失礼極まりない。なんと情けないことだろう。



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