恩人
ふらりふらりと人目を引かぬようにただ息を殺して色んな島を巡った。
故郷に帰れなくなってすでに数百年。セーラは自分がいる島の名すら知らずに、ただ見つからぬようにとそれだけを願って生きていた。
この身に受けた呪いのせいでレーヴェとの契約が切れたセーラは、太陽や月のエネルギーを転換して己の魔力の回復に努めていた。
昼であろうが夜であろうが、魔法を使って消費した魔力は、すぐに補完できる。
魔力とはエルフにとって生きていく上で必須な要素の一つ。生まれつき他のエルフたちよりも膨大な魔力を有していたセーラであろうと、使うだけではいつか底をついて死んでしまう。
はたして今のセーラが魔力の枯渇で死ぬかどうかはわからないが。
回復には自然のエネルギーを介すしかない。
その日は新月だった。
いつもならば仄かに空を照らす月の光は届かず、追っ手から逃げるために魔力が消費されていく。消えた分はすぐには補完されない。身を削られるだけの状況で、とうとうセーラは逃げ道として選んだ森の中、樹洞に身を潜めて息も浅く怯えていた。
木々の隙間からたくさんの声が響いてくる。
あっちに行った、こっちはいない。
自分一人捕まえるためにこれだけの人手が割かれている事実に目眩がした。
運が悪かったのだ。
見つかった日が新月で、しかもあちらはいつにも増して力の入った陣営。
政府はサイファーポールだけではなく、海軍までも使ってセーラを追い詰めに来た。
真っ暗だった森の中に、少しずつ灯りが増えていく。それに比例して、セーラに絶望が押し寄せる。
(いっそ転移の魔法で他の島に姿を隠すか・・・・・・駄目だ、さほど離れていない距離にレーヴェの森がある。そこにエルフが住んでいたら・・・・・・)
もし、セーラを探していた政府のものたちがそこを見つけてしまったら――。
そっちの方がよほど恐ろしかった。
自分のせいで仲間が危険になる。自分が傷つくよりもそちらの方が耐えがたい。
もうあんな思いはしたくない。
強く膝を抱えてできる限り身を丸めた。しかし、そんな小さな努力も虚しく、セーラが潜む樹洞に光が差し込まれた。
「誰かいるのか?」
男の声だ。眩しさで細めた目の奥で、海軍の制服が微かに見えた。
ひゅっと息を呑んだセーラの様子にしばらく沈黙した男だったが、おもむろに手を伸ばしてきて――。
セーラの顔ほども大きなその手が自分の身体に触れるとき、ぎゅっと瞼を閉じた。
「セーラ・・・・・・セーラ」
暖かなものが肩に触れている。呼び声に、ゆっくりとセーラの意識がのぼる。
「ん、んう・・・・・・ガープ・・・・・・?」
不明瞭な視界でもわかる大柄な男の姿。そして真っ白な軍服。
夢で見た姿よりも年を重ねたガープが、セーラを見下ろしていた。
「こんなところで寝とったら風邪をひくぞ」
どうやらダイニングテーブルで寝てしまったらしい。
眠気のせいで重い瞼を押し上げて身を起こせば、顔にかかった銀髪をガープの太い指が丁寧にすくって耳にかける。
そのまま頬を撫でるので、セーラはコテンと顔を預けてすり寄った。
「いつも帰ってくる前に連絡してって言ってるのに・・・・・・いつまでいられるの?」
「すぐ戻る。近くを通ったから顔を見に来ただけじゃ」
「そっか」
あの時は恐ろしくて仕方なかった大きな手に頬を寄せて、セーラは安堵に目を閉じる。
「なにかあったか?」
「ううん。出会ったときのこと、夢に見ただけ・・・・・・あの時は本当に、駄目だって諦めてたから」
ふん、とガープが鼻を鳴らす。
「エルフだからとあんな金と人をかけてまで手に入れようとする上が気に入らんかっただけじゃ」
「・・・・・・でも、私は人を殺したことがある」
数百年は前のことだ。セーラが住んでいたレーヴェの森に帰ることが出来なくなり、外の世界を放浪する羽目になったきっかけ。
「その話は何度も聞いたわい。好きで殺したわけじゃないじゃろ。もう忘れろ」
頬を包んでいた掌が肩に落ちてそのまま背中に回る。もう片方が腰に回り、あっという間に抱えられてしまった。
ハラハラと、長い銀糸の髪が舞う。
この髪と瞳がセーラの罪の証。
「中途半端に寝たから変なことを考えるんじゃ。もう布団で寝てしまえ」
「まだ夕方だよ?」
「たまにはいいじゃろ。ほれ、連れて行ってやるわい」
急に動くものだから、驚いてガープの首に手を回した。廊下に出ようとガープが身体の向きを変えると、ピタリと動きが停止する。
「ん? なんじゃドラゴン! いたのなら声をかけんか!」
「ドラゴン」
じっと扉から顔を覗かせてこちらを見ていた子供が一人。その手にはタオルケットが握られている。
「セーラ、起きたのか」
「あ、うん。ごめんね、寝ちゃって。ガープが起こしてくれたんだ」
その途端、ドラゴンがギッとガープを鋭く睨めつけるように見上げた。
「起こしたのか・・・・・・!」
「ドラゴン! 父ちゃんをなんて目で見るんじゃ!」
ガッと子を叱る父の姿に構わず、グルグルと唸るようにドラゴンはガープを威嚇する。
どうやらセーラを起こしたことに対して憤っている様子。
ガープの腕の中で随分下にあるドラゴンの手元を見ていたセーラは、ふと思い至る。
「もしかして、私のために持ってきてくれたの?」
さっきまでの険しい顔はどこへやら。きょとんと見上げてきたドラゴンは、素直にこくんと頷く。
セーラがトンとガープの腕を叩く。意図を察したのか、若干渋い顔をしながらもガープはセーラを下ろしてくれた。
「ドラゴン、ありがとう。私のことを気にしてくれたんだね」
目線を合わせて笑みを向けると、ドラゴンはタオルケットを握ったままセーラの身体に腕を回した。
最後に時計を見てから意外と時間が経っている。その間、ドラゴンを一人にしてしまった。
普段から本を読んで静かに過ごすことの多い子だが、この様子を見るに寂しい思いをさせてしまったらしい。
きゅっと幼い身体を抱きしめて、セーラが言う。
「今日の夕飯はドラゴンの好きなものにしようね。お手伝いしてくれる?」
肩に埋まった顔が、こくりと頷く。
甘えるドラゴンの様子に、わなわなと震えて今にも叱りだしそうなガープ。セーラはシーッと指を立てて大目に見るよう促す。
険しい顔で怒声を呑み込んだが―プは、深く重苦しいため息をついてほとほと困ったと腕をだらりと垂らした。
(まったくそんなに甘やかしておってはいつまで経っても母親離れ出来んわい)
(母親離れなんてするわけない)
(なにー!? いつまで甘ったれる気じゃドラゴン! それじゃったら父ちゃんにもっと甘えんか!)
(まあまあ二人とも・・・・・・ってガープはそっちが本音でしょうに)