そばにいて欲しい人
*いつもより恋愛風味にドロッとしてます。
*レイリー、シャンクスとの三角関係があります。
◇◇◇
ゴール・D・ロジャーの死から十年と少し。
オーロジャクソン号の面々はそれぞれ各地に散らばり、セーラはレイリーとともに船を降りた。
そうして現在は、シャクヤクも含めた三人でシャボンディ諸島の十三番GRにある酒場を営み、その裏のさほど大きくもない家に住んでいた。
ロジャー海賊団が解散する運びとなった日のことは、今でも鮮明に思い出せる。
ある日、ふいにロジャーの自室に呼ばれた。それだけならばよくあることだが、いつもは二人だけで他の人を入れることを嫌がるロジャーがレイリーと船医であるクロッカスを連れていたのだ。
その時点で、セーラの背に嫌な汗が滲んだ。
「俺は長くない」
その日の海の様子でも話すような、そんな何気ない声音でロジャーは口火を切った。
――私が治すよ。
腰掛けたロジャーによろよろと近づき、縋るように服を掴んでセーラはそう呟いた。
「いいや、これが俺の運命だ。俺はここで終わるときなんだ、セーラ」
「どうして……」
ゆるゆると首をふるセーラを、ロジャーは片腕で抱き寄せて髪を梳いた。
いつだって甘やかして宥めるのはセーラのほうだったのに、その時はロジャーがひどく大人に見えた。いや、大人になっていたんだ。セーラが年を取らないうちにロジャーもレイリーも年を重ね、うんと大人になっていた。
「まだ知ってるのはここにいる面子だけだ。最後は海軍に自首する。そうしたら、この船も解散する。セーラ、俺はお前だけが心配だ」
大きなかさついた手が、セーラの白くなめらかな肌を撫でる。
普段は子どものように煌めいているロジャーの瞳が、その時ばかりは物憂げにセーラをじっと見ていた。
「レイリーと一緒にいろ。こいつなら、お前のこともうまく隠すし、なにかあれば守れるだろう」
シャンクスは駄々をこねるかもしれねーが、今のあいつには荷が重いからな。
ニッと歯を見せて笑った顔は、昨日までの日常となんら変わりなかった。
突然もたらされる情報たちは、セーラの思考を停める。
涙だけがぽろぽろと零れて、その跡をロジャーが愛おしげに眺めて拭った。
名を呼ばれたレイリーは、静かに視線を落としロジャーの言葉を聞いている。誰よりも長くロジャーと人生を共にした男の沈んだ横顔を、セーラはいつまでも覚えていた。
(そういえば、どうしてロジャーはシャンクスが駄々をこねるって分かったんだろう……)
ロジャー自身から船員に話をしたあと、みなが涙を流して自室に引き上げる中で、セーラは歯を食いしばって泣く子ども二人を宥めていた。
すると、ふいにシャンクスがセーラの腕を掴み、子ども特有の丸い目を向けてくる。
「セーラも船を降りるんだよな?」
「……うん、そうだよ」
「じゃあ俺と一緒に行こう」
「シャンクスと?」
目をしばたたくと、そんなセーラにシャンクスは大きく頷く。
いつもニコニコと笑っている彼にしては珍しく、瞬きさえも耐えたような、そんな強い意志を持った瞳で見てくるから、少したじろいでしまう。
「俺、セーラと一緒がいい。な? いいだろ?」
さっきまでの大人のような表情から一転、いつものあどけない子どもの縋るような目でシャンクスはセーラの手を握った。
セーラはその手が震えていることに気づいた。
(急にロジャーのあんな話を聞いて、そりゃ怖いよね……悲しいよね)
この船の大人たちは、みんなバギーやシャンクスからしたら親代わりだ。
しかも、その筆頭はロジャーやレイリーたちである。その一人が亡くなれば、この子たちはどれだけ傷つき、悲しむだろう。
ロジャーが自首すれば、きっと海軍は大々的に処刑を報じるだろう。その一報を聞くとき、船はすでに解散している。
この子たちは、一人でその現実と立ち向かわなくてはならない。
そう思うと、まだ年端もいかぬ子どもには、ひどく酷な気がした。
「なあセーラ? だめか? 俺、セーラと一緒にいたい。なあ」
ぐずる子どもみたいに、シャンクスが繋がった手を揺らしてセーラを急かす。
最近じゃ、もう一人前の海賊だからと剣を持ち、戦闘には我先にと駆けつけ大人の真似事をするこの子が、こうも不安な顔を見せていることに胸が締め付けられた。
(この子たちの迷惑になるから、ずっとは一緒にいられない。でも、せめてロジャーが亡くなった傷が癒えるまでは……)
それまでは、この子たちに寄り添っていてはダメだろうか?
未だボロボロと泣き喚くバギーとシャンクスを腕の中に抱き寄せる。ほのかに汗ばんだシャンクスの髪に頬を寄せ、セーラは口を開いた。
「そうだね」
――シャンクスたちが大人になるまでなら。
そう続けようとしたが、それよりも早く背後から名前を呼ばれてしまった。
セーラの言葉を遮られたシャンクスが、むっと不機嫌そうに顔をしかめる。それに気づいたセーラは、宥めるように赤い髪を撫でながら振り返った。
「どうしたの、レイリー」
「ロジャーが呼んでいる。話があるらしい」
「うん、分かった」
子どもたちの頭を一撫でしてから、セーラは立ち上がってロジャーの場所を聞く。
「あまりシャンクスを甘やかすな。あいつも海の男だ。このぐらいは乗り越えなければならん」
すれ違う一瞬、囁くようにレイリーに言われ、セーラは肩を竦めて「ごめんなさい」と謝るしかなかった。
(そうだよね。船を降りたらもう大人たちのことは頼れない……)
レイリーたちは、子どもたちの将来のことまで考えて厳しくしているのだ。
訪れた先で、ロジャーは呼んだことをすっかり忘れていたのか「どうした?」なんてきょとりと訊いてきたけれど、「レイリーが、ロジャーが呼んでるって」と言えば、心得たように頷いて
「あーそうだった呼んだ。呼んだ」
と大きく笑い出した。
その後も、ロジャーが自首しオーロジャクソン号が解散する日まで、シャンクスからは幾度も誘われたけれど、セーラはうんとは言えなかった。
レイリーは処刑場には行かないと言うので、見届ける船員たちとは別れることになった。
最後の日も、シャンクスは小さな体全部でセーラに抱きつき、腹に顔を埋めながら
「やっぱりダメ?」
と、くぐもった声で訊ねてきた。
「ごめんねシャンクス」
セーラは微苦笑して頭を撫でてやることしか出来なかった。
「元気でね」
最後に子供の姿を目に焼きつけるように見つめ、そっと円やかな頬にキスを落とした。
大きく瞬いた少年の瞳は、すぐに涙を堪えたように皺を作り、レイリーに呼ばれて離れようとしたセーラを引き止める。
「おれ、また会いに行くから……だから、その時は俺の船に乗って」
セーラを真似て、頬に触れようとして失敗したのだと思う。
口の端を掠めていった子供のキスに、セーラは愛しさでじんわりと胸が温かくなった。
そして、この子たちと離れなければならない現実に、切ない痛みが胸を襲うのだ。
口を開いたら声が震えそうで、セーラは頷きも否定もせず、最後に燃えるような赤い髪を撫でて別れた。
◇◇◇
「あら、お出かけ?」
店の裏戸から出てきたシャクヤクが、セーラを目敏く見つけて声をかけてくる。
「うん。今日レイリー帰ってくるでしょ? 煮豆作っておこうかなって」
「レイさん喜んじゃうわね。セーラさんが好物つくって待っててくれるなんて」
「シャッキーの好きなウイスキーも買ってくるよ」
買い出し用の鞄を掲げて笑うと、シャクヤクも煙を吐き出して笑みを作る。
「嬉しいけど、酒屋のあたりは治安がとくに悪いから遠慮しておくわ。レイさんが一緒のときにでも買ってきてちょうだい」
「……そう?」
煙草をくわえたまま距離を詰めたシャクヤクは、セーラに腕を回しフードを被せる。
ぽん、と最後に頭を叩き、「気を付けてね」と美しく微笑んだ。
「すぐ帰ってくるから」
「ええ、行ってらっしゃい」
フードが落ちないように魔法をかけ、そうしてセーラは慣れた道で市場のほうに足を向ける。
シャボンディ諸島は、全体的に見て治安はそう良くはない。ヒューマンショップもあれば、そこへ商品を持って行く人攫い屋が横行している。
また、新世界への入り口ともあって、腕に覚えのある海賊がこぞって集まることも起因していた。
セーラは基本的に外には出ず、シャクヤクやレイリーに代わって家のことや、営む酒場の厨房仕事を手伝ったりしている。
レイリーとシャクヤク以外の前では、絶対に姿を見せないというのが二人との約束であり、からだ全体を覆う大きなマントとフードをかぶるのはそのためだ。
シャクヤクは、セーラがなにかあっても転移で帰ってこられると知っているから「気を付けてね」と、一人で買い物に行かせてくれるけれど、レイリーは違う。
どれだけ短い距離だとしても、必ず一緒についてくるし、セーラを一人で外に出したがらない。
まあ、そのおかげでシャクヤクが「息が詰まっちゃうでしょう?」と、気分転換に一人で外に出させてくれるのだけれど……。
(あそこまで過保護じゃなくてもいいのに……)
けれど、もし正体がバレれば一緒に住んでいる二人にも迷惑をかけるので、気にしすぎるのもしょうがないのだろう。
レイリーはコーティング作業で数日前から出ていた。帰宅の日は前々から教えてくれていたので、今日は久々の自宅だ。好きなものを食べて欲しい。
(喜んでくれるといいな……)
きっとニコニコして嬉しそうにしてくれると思う。
レイリーの笑顔を想像して、セーラはフードの影でそっと口元を緩めた。
一服終えたシャクヤクは、店内に戻ろうとしたところで「あっ」と思いだす。
「どうしましょう。赤髪の船が近くに来てるって言い忘れちゃったわ」
レイさんに気を付けておけって言われてたのに。
振り返って確認するが、セーラの姿はもう見えない。追いかけるべきか悩み、数秒後、とりあえず店で待つことにした。
「まったく……どいつもこいつも親離れできないで……」
誰もいないカウンターに肘をつき、新しい煙草に火を付けた。
思い出されるのは、何度かここを訪れた赤い髪の男のこと。
年を重ねるごとに強さと権威を身につけ、そしてセーラへの感情を内心で煮詰めている男。
年々彼の中を占めるセーラへの感情は重さを増し、ドロドロと密度を高めている。そのうち、溢れてセーラを絡め取ってしまうのではないかと思うほどに。
それは、ひとえに男の肩に掛かる重圧にあるのだろう。
仲間が増え、それを守るために強さを身につけ、そしてどこまでも強くなれる才能を持ってしまっていた。結果、守るものばかりが増えていき、肩にかかる重さで揺れる体を休める場所がない。
覚えのあるものだ。かつて、シャクヤクも一つの船の長だった。
レイリーも似たような感情を持ったことがあるかも知れない。
そして、そういう者たちにとって、セーラというのは麻薬のようなものだ。
こちらがどれだけ力を持っていようが、どんな立場であろうが、彼の前では等しく愛おしい子どもになる。
あの柔らかな声で呼ばれ、しなやかな指で撫でられ、細い体に抱かれると、遠い昔に置いてきた幼心を思い返してしまう。
「親離れできないのは私も一緒ね……」
苦く笑い、煙草の灰を落とす。
可笑しなものだ。愛した男がいるのに、セーラがその男にかまってばかりいると、逆に愛した男に嫉妬するのだから。
まさに親の関心を取られた子供の心境だ。
けれど、セーラを自分のもとに引き留め、どこにも行かせたくないわけではない。
「あの人には、幸せでいてもらいたいのよね」
たとえどこにいても、だれといても――。
それは距離が離れたとしても、セーラがシャクヤクを思う気持ちが微塵も変わりはしないと分かっているからだ。全員を平等に、我が子のように愛してくれるセーラの愛を疑ったことがないから。
しかし、レイリーやシャンクスは少し違う。
あの二人は、セーラを自分のもとに置いておきたいと思っている。レイリーはセーラをシャンクスのもとには向かわせたくないだろうし、それはシャンクスも同じだ。
だから何度もここを訪れてはレイリーのいない隙を伺ってセーラを誘う。
そうして断られながらも、セーラとレイリーの空気が変わっていないことに、安堵して帰って行くのだ。
(毎度毎度来るたびにほっとした顔しちゃって……)
そういうところは可愛らしいボーヤだが、いかんせん秘めた心情が重すぎる。セーラが一度頷きでもしたならば、シャンクスはこれ幸いとセーラを船から降ろすことはしないだろう。
子どものような無邪気さでセーラに甘え、しかしその内にあるのは親に向けるには重すぎる情愛。
レイリーがシャンクスを警戒するのは、セーラが子どもの願いを断れないからだ。子どもの顔をされて迫られれば、最終的に断れないと知っている。だからシャンクスの船に一度でも乗せてしまえば、レイリーの勝ち目はなくなるだろう。
「そこまで計算した上で事前に言いくるめてるんだから、レイさんもいけない人よね」
シャンクスにとって子どもらしさを前面に出すことが勝ち筋ならば、敗因もまたセーラから子どもだと思われていることにある。
セーラは自分という存在が爆弾であることを知っている。だから、決して愛する子どもの船には乗らない。
子どもたちに迷惑をかけると分かっているからだ。
元々セーラはそういう人だが、その思いをより強くしているのはレイリーの何気ない言葉たちだろう。
――あいつもまだまだ爪が甘いな。
――まったくまた無茶をしているようだ。
新聞を賑わせる赤髪の名を見ながら、自然と口にしている言葉。意図しているときもあるし、そうでないときもある。
しかし、セーラの中にシャンクスはまだ子どもなのだと植え付けるには十分だ。
出会った時から大人で強さを兼ね備えていたレイリーと、赤ん坊の頃から面倒をみていたシャンクスでは、そういった面ではレイリーに分がある。
セーラも、ロジャーに言われたからというのもあるだろうが、レイリーだから頼れるという面もあるだろう。
「レイさんもちんたらしてないでさっさと奪っちゃえばいいのに」
うんざりしたようにシャクヤクは呟いた。
そうすればシャンクスとて諦める――と、期待を込めて――思うのだ。
もどかしいったらありゃしない。レイリーもシャンクスも、求めているくせにセーラを無理矢理に奪おうとはしない。
それは、どこまでも優しく清らかなセーラに嫌われたらという恐怖心がそうさせるのだと思う。
セーラに嫌悪を示されたら、それこそ人として終わりな気がする。
想像するだけで、心臓に冷や水をかけられたようにゾッとするのだ。
分かってはいても、やっぱりはたから見ているシャクヤクとしては、さっさと奪ってしまえと活を入れたくなる。
誰が好き好んで、愛した男が余所の男に尻込みしている姿を何年も見ていたいと思うだろうか。
これが他の女ならこちらを向かせてみせると見得を切れるが、セーラ相手じゃそうもいかない。
それはあの人を愛する気持ちが分かってしまうからだろう。
全く難儀な男を好きになったものだ。
シャクヤクも――レイリーもシャンクスも。
「セーラ、早く帰ってこないかしら」
一人でいると、考え込んでしまっていけない。
短くなった煙草をくわえたまま、戸棚の奥から隠していた秘蔵の酒瓶を手に取る。
飲み過ぎは体に良くないと叱られるから、仕事中にこっそり飲めるように隠しているものだ。
ショットグラスに注ぎ込み、それを一気に飲み下した。
アルコールが喉を下り、体の奥でカッと火を付けたように熱くなる。そうやって時計を眺めながら飲んでいるうちに、時間は過ぎていく。
市場から往復するには十分な時間が過ぎてもなお戻ってこないセーラに、シャクヤクはため息をついた。
「ボーヤにつかまってるわね、これは……」
しかし万が一、ということもある。
何かあってはいけないと、シャクヤクは傍のジャケットを手に取り、新しい煙草に火を付けながら店のドアを閉めた。