ささやかなお願い

 夏の残暑も鳴りを潜め始めた十月のこと。
 真っ青な空を眺めつつ、セーラは涼やかな風に吹かれた心地よさで眼を細めた。
 パタパタと揺らぐ真っ白なシーツや子どもたちの洋服を一瞥してから、軽くなった籠を持って家に帰ろうと丘を登り始めた。
 すると、草を踏みしめる忙しない足音に気づいて振り返った。それは斜面の下の方から聞こえてきた。
 きっとフーシャ村から山を登ってきた子どもだろう。
(エースたちは今日は滝のほうに行ってるのに……)
 子どもたちの遊び場である水辺は、家を出て反対方向に斜面を下らなくてはならない。そのためこの足音はきっとセーラの息子ではない。
 かといって、村の子どもかと言われるとそれも違う気がした。
 そもそもフーシャ村は住民の多い村ではなく、子どもとなるとさらに数を減らす。この山には獣も闊歩しているので、セーラに会うためとはいえ、子どもだけで山に行ってはならないとよく言い聞かせられているはずなのだ。
(……うーん。誰だろう)
 籠を置き、セーラが内心で首を捻っていると、特徴的な紅白カラーの髪の毛が見えてすぐにピンときた。最後に会ったのは半月ほど前だろうか。
 坂道を上って息も荒く俯いて子どもに、セーラは「ウタ!」と呼びながら駆け寄った。
「セーラ!」
 ハッと顔を上げたウタは、重かった足取りを軽やかにしたが、それでも一気に駆け上って疲れていたのだろう。倒れるようにセーラの腕の中に飛び込んで来た。
 そのまま膝に乗せるように抱え上げ、そっと汗ばんだ肌を撫でてやった。
「一人で登って来たの? そんなに急いでどうしたの?」
 ルフィが一緒ならいざ知らず、ウタが一人でこの山に踏み込んできたことはない。それも休む暇もなく走ってだ。海賊団、または村でなにかあったのかと心配になって訊けば、ウタはふるふると首を振った。
 ゆるく首を持ち上げてこちらを見上げると、
「セーラに早く会いたかったから」
 と、ふにゃりと頬を緩ませた。
 子どものいじらしさに、胸が切なく締まった。
 ぎゅうと一度抱きしめてから、それでもウタのためにと言い聞かせた。
「ありがとう、ウタ。でも、子ども一人で山に入ると危ないこともあるから……だから、今度は誰か村の大人と来るか、ルフィと一緒においでね」
 ルフィやエース、サボならばある程度の猛獣たちの生息地域を把握している。
 いつもは素直に頷くウタだが、どうしてか今日は顔色を曇らせて口を尖らせた。
 注意されて拗ねたというよりも、言いたいことを飲み込んでいじけたような顔だ。
 どうしたのかとセーラが問いかけると、ウタはもごもごと躊躇ってからぽつりと言った。
「今日ね、私の誕生日なの……」
「えっ」
「……出来れば二人がよかったから、大人に連れてきてもらうのは嫌だったんだもん」
 セーラの膝上に腰下ろした状態で、ウタは肩を丸めて自分の膝を丸めた。ぷくっと膨れた頬は子供っぽさを恥じるような赤みが差していて、ルフィの前でお姉ちゃんぶっている姿ばかりみているセーラとしては新鮮で、また愛しい気持ちが増した。
 そして、チラチラとセーラを見上げてくる大きな瞳が、どこか期待のような光があることに気づき、セーラは微笑んでウタの髪を梳く。
「ウタ、お誕生日おめでとう。いくつになったの?」
 言いながらこめかみにキスをすると、待ち望んでいたようにウタが顔を輝かせ、ニコニコと笑いながら答えた。
 そのままセーラの胸元に顔をうずめて抱きついてくるので、小さな背中にそっと腕を回した。
 はじめは明るく笑って満足そうだったが、しばらくすると控えめに甘えたようにすりすりと首元にすり寄ってくる。
「ふふ。ウタは今日は甘えん坊だね」
 こそばゆさと子どもへの可愛らしさでクスクス笑うと、ギクリとなってウタがそろそろ体を離す。
「こ、子どもっぽいよね……私は赤髪海賊団の音楽家なのに。もう海に出てる海賊なのに……」
「どうして? ウタはまだ子どもだもん。甘えていいんだよ? それに私からするとウタは娘みたいなものだもん。自分の子どもだったら、いくつになったって甘えてくれると嬉しいものだよ」
 だからそんな悲しい顔をしないで。
 見ているこっちが切なくなってしまうような、子どもらしからぬ悲しい顔をする少女。わざと幼い子にするようにゆっくりと、何度も頭を撫で、最後に円やかな頬を包むように手を添えた。
 わずかに見開かれた子どもの瞳には、「嘘じゃない?」とセーラを窺う様子があったが、それも数秒のことだった。
 その疑心は触れ合ったセーラの体温に溶け、ウタはすぐにセーラの手のひらに自分から頬を寄席、今度は感じ入るように瞳を閉じる。
「ねえ、セーラ……誕生日だから……今日だけのお願い、きいてくれる?」
「ウタのお願いなら、いつだって聞いてあげるよ」
 頷くと、ウタはそろそろと体を動かし、セーラの膝の上で横向きに座ると、こてんと肩に頭を預けた。小さな子どもの両手がセーラの手をそっと、しかし決して離れていかぬようなしっかりした力で握られる。
「今日だけ、お母さんって呼んでもいい?」
 上目遣いで窺うようにウタは言った。
 大きな瞳が、セーラには潤んで見えた。陽差しを反射してきらきら輝く少女の瞳の奥に切実さが垣間見えて、眼の奥がじんわりと痛む。
「いいよ」
 震えないように腹に力を入れて優しく頷いた。
「今日だけ、二人でいたい」
「うん」
「もっと頭なでて、抱きしめてほしい」
「うん」
「……今日だけ、本当の子どもみたいに甘やかして」
「うん。いいよ。……可愛いウタ。たっくさん甘えていいんだよ」
 セーラが頷く度に潤みを増していく瞳が瞬くと、ほろりと一粒、涙が落ちた。
 ぱちりと上を向く睫毛をくすぐるように、セーラは上瞼にキスをして微笑んだ。すると、一層うるうるした眼差しで、ウタがぎゅうぎゅうに抱きついてきた。
「……おかあさん」
 震えた子どもの声が耳朶に触れた。ほとんど吐息みたいな声で、ウタは何度も何度もセーラ――母を呼んだ。
「なあに、ウタ」
 一つ一つに返事をするように微笑み、セーラはいつまでも小さな少女の背中を撫でていた。

 
◆◆◆

 ウタちゃんハッピーバースデー!! 日付変わってしまった!! ごめんね!!
 日付変わる直前に気づいて、お祝いしていとやっつけでSSを書きましたが、なんとか十数分の遅刻ですみました……(遅刻なのは変わらん)
 今月再上映されるもんね! 絶対行くよ!!