お昼寝


 パタパタと廊下を駆けてキッチンを通り過ぎたとき、ルフィは視界の隅を掠めたそれに急ブレーキをかけた。同じように子ども特有の軽い足音を立てながら戸口からキッチンを覗き込む。
 珍しく白銀の髪を一つに結んだセーラが、ダイニングテーブルに突っ伏すように座っていた。
「……セーラ?」
 ぴくりとも動かない様子に、ルフィが自然と声を潜めて近づいた。
 背伸びをしてテーブルの上を見上げると、セーラはたたんだ腕の上に顔を置いてすやすやと寝息を立てていた。
 もう一度小さな声で呼んでみたが、珍しく眼を覚まさない。
(いつもはすぐ俺たちに気づくのに……)
 セーラの寝顔をこうもまじまじと見る機会はほとんどない。いつだってセーラはルフィたちを寝かしつけてから布団に入るし、朝も子どもたちより早く起きて朝食の準備をしている。
 普段ならばあり得ない今の状況に、好奇心と緊張でドキドキと鼓動がよく聞こえた。
 ほお……と、自分でも知らぬうちに口を開けたままルフィはしばらくセーラの寝顔を眺めていた。
 と、戸口のほうでルフィを呼ぶ声が聞こえた。
 振り向くと、サボとエースが不思議そうな顔でこちらに近づいてきた。
「ルフィ、そんなとこでなにしてんだ?」
 首を傾げる兄二人に、ルフィは口の前で指を一本立てて「しー!」と吐息で言った。それに倣って、二人も声を潜めた。
「なんだよ急に……」
「それよりセーラはどうしたんだって」
 そこでセーラの寝顔を眼にした二人は、ピタリと動きを止めてルフィがそうだったように珍しい状況にセーラのことをまじまじと見つめていた。
「寝てんのか?」
「寝てるみたいだな……」
 ルフィの左右に立って、ぞろぞろと三人で覗き込んでいると、セーラがむず痒そうにスンと鼻を鳴らしたと思えば、すぐに小さく「クシュン」と肩を震わせた。
 起きるのかとひやりとした三人は持ち前の反射神経でダイニングテーブルの下に引っ込んで隠れていたが、しばらく経ってもセーラが起きる様子がないので、再びそろそろと三人並んで頭を出した。
「もしかしてセーラ、寒いんじゃないか?」
 今日はいつもより冷えるから、とサボが言った。エースとルフィは「そうか?」といまいちピンと来ない顔で首を傾げる。
「このままじゃ風邪をひいちまうかもしれない」
「え! 大変だ! セーラが風邪ひいちまう!」
 パカリと口を開けて叫んだ弟を、エースが拳骨で黙らせた。
「ばか! 声がでけーよ!」
 器用に小声で怒鳴り、今度は落ち着いた様子でサボと向き直った。
「でも起こすのは可哀想だぞ」
「かといって俺たちじゃ運べないしな……」
 普段どれだけ森を駆け抜けて猛獣相手に腕を振るっていても、こういうとき子どもの体というのは不便だ。ガープほどしっかりしたが体格と力があれば、セーラを起こさずにベッドに運ぶことなんてわけもないはずだ。
 どうしようか、とうんうん唸る兄たちの横で、ふいにルフィが閃いたように言った。
「セーラのことベッドに運べねーなら、布団をセーラのところに持ってくればいいんじゃねーか?」
 ニカッと笑った弟の言葉に、兄二人ははたと眼を瞬かせた。そしてやがて揃って笑みを浮かべた。
「その手があった!」

 さっそくとばかりにセーラの部屋に行って、タオルケットを一枚運んできた。
 誰が持つかで小さな喧嘩があったものの、ジャンケンで勝ったルフィがその小さな腕で丸めたタオルケットを抱えた。さすがに弟相手に駄々をこねて負け惜しみを言う気はなかった兄たちである。
 そうして戻ってきたダイニングスペースで、三人はタオルケットの隅をそれぞれ持って四苦八苦していた。
 自分たちの手ではセーラの肩に手が届かないのだ。隣や向かいにある椅子を音を立てないように引きずってきて、そこに一人ずつ乗って広げたタオルケットをセーラに気づかれぬように近づけて肩にかけた。
 それなりに大きさのあるタオルケットは、軽やかにセーラの細い体を覆って冷えた空気から守ってくれた。
 一仕事終えた三人は、セーラの穏やかな寝顔が変わらないことを確認し、ほっと息をついた。
 安心したせいだろうか。あとは椅子を元に戻すだけだと思っていたところ、ひょいひょいと飛び降りた兄と同じようにしたルフィが、椅子から降りる直前に足をもつらせて顔から落っこちたのだ。
「ルフィ!?」
 それほど高さはないが、顔から落ちたので随分と痛かったのだろう。むくりと起き上がったルフィはおでこを赤く腫らして涙を堪えていた。
 しかもその拍子に足が椅子に当たってしまい、椅子も大きな音を立てて床とぶつかる。
 三人がハッとしたときにはすでに遅く、セーラがしょぼしょぼした眼をこすりながら起き上がった。
 そうして泣くのを耐えた末っ子と倒れた椅子を眼にすると、瞬時に意識を覚ましてその体を抱え上げてやったのだ。
「ルフィ!? いったいどうしたの? 転んだの?」
 こんなに赤くなってる……。と、セーラは細い指でルフィの前髪をかき分けて赤くなった額に優しく触れた。
 その繊細な手つきと母の体温に、耐えていたルフィの眼からぶわりと涙が溢れた。
「うぅ〜〜いだがっだああ〜〜〜」
 顔をぐちゃぐちゃにして抱きついてきたルフィを受け止め、その拍子に自分の肩から落ちたタオルケットに気づいた。
「これ……」
 ルフィの背中をトントンとあやしながら、見渡して状況を確認する。
 自分の近くに運ばれた椅子たち。そこから落ちたと見られる子ども。椅子の上にのって一体なにを――?
 と、視線がぐるりと一周したところで再びタオルケットに戻ってきて、セーラはあっと思い至る。
「もしかして私が寝てたからかけてくれたの……?」
 ぽつりと漏れた問いは小さく、えぐえぐと泣いたルフィは気づかなかったらしい。
 泣いた弟におろおろと静かに慌てていた兄二人をセーラが見て、「そうなの?」ともう一度訊く。
 愛しさが込み上げてきて震える感極まった深い青い瞳に見つめられ、サボもエースもぽっと頬を染めて揃ってやや下を向いた。
「いや、だって……まだ寒いからよー」
「セーラが風邪ひいたら大変だって思って……」
 最後にお互いに目配せでして、「なあ……?」と確認するように言った。
 照れた様子でもじもじする二人の前に膝をつき、セーラはルフィを抱えたもう一方の手でまずエース髪を撫でた。
 そうしてかき分けた額に、そっと唇を寄せた。
 ぽかんと惚けたエースをよそを、今度は同じようにサボのこめかみをそっと撫でて軽くキスをした。
 じわじわと頬を赤くする子供たちを前に、セーラは胸を温める愛しさのままに言った。
「ありがとう、サボ、エース」
 揃って額を手で抑えていた二人は、ハッと我に返ると笑みを噛み殺したように、けれど少しそっけなく「別に大したことじゃないし」と呟いた。
 それを見て微笑んでいたセーラだったが、三人に割って入ったのは、やっと涙が止まった末っ子だ。
 セーラの胸元から顔を上げ、ムッとした顔で鼻を啜りながら潤んだ瞳で言った。
「お、おでだって……がんばっだのに……」
 なんでエースたちだけ? ずるい、ずるい。
 顕著に感情を現すルフィの大きな可愛らしい瞳に、セーラはつい吹き出してしまった。
 そして、兄たちにしたように前髪を優しく梳いてそっと顔を寄せた。
「ルフィもありがとう」
 唇が触れた刹那で、赤くなったおでこを魔法で癒す。
 治癒されたことに気づいたのか、それとも母から褒められたからか。ルフィはさっきまで大泣きしていたのなんかなかったように、大きくにんまりと笑って、今度は全身で喜びを表してセーラの細い体に抱きついた。
「三人ともありがとね」
 改まって子どもたちに言うと、三人はお互いの反応を窺うように目配せして、合わせたようにふにゃりと顔を和らげた。
 そんな胸の温かくなる光景を、セーラは己の青い瞳に焼き付ける。
 そのうち、泣いたせいかルフィが大きくな欠伸をすると、すぐ横でサボとエースも大きく口を開けた。
 むにゃむにゃと眠気の出た目許を擦る三人の頭を順に撫でると、
「いい天気だから、お昼寝でもしちゃおっか」
 訊けばゆっくりと三人の頭も下がった。


(セーラー? ったく、ガキどももセーラもどこに行ったんだい?)
(お頭ー! こっちこっち!)
(なんだよ、そんなちっさい声で呼んでって……ん?)
(セーラさんまで横になってるなんて珍しいっすね)
(ふん。まあたまにはいいんじゃないか。今日の飯は私らで作るか)