知らなかった愛情


 強風が窓ガラスを叩く音でエースは呻きながら眼を覚ました。
「んぅ……」
 むくりと体を起こす。眼をこすってぼんやりした視界を明瞭にしていくと、薄暗い部屋の中でぼんやりと空のままの布団が眼に入った。
「セーラ……?」
 エースは生まれてからずっとセーラと同じ部屋で生活している。それは三つを迎える今でも変わらない。
 昨夜は大晦日で、ダダンたちは酒を浴びるように飲んではガハガハと笑い立てていた。セーラとエースは、その喧噪を後目に二人で夕食を取っていた。
 日付が変わるよりも前にエースが舟を漕ぎ始めたので、セーラに抱えられてエースは部屋に戻ってきたので分からないが、きっとダダンたちはあのままの勢いで寝ずに騒ぎ立てていたはずだ。
 しかし、そう広くもないこの家の中で、彼女たちの騒ぎが微塵も聞こえてきていないとなると、早々に酔って散らかしたまま寝てしまったのかもしれない。
 やっと頭がハッキリし始めたエースは、隣の空っぽになった布団に淋しさと不安を抱き始めた。
 いつだってセーラはエースと同じ布団で寝ている。
 一人用のベッドではあるが、まだ幼いエースと細身のセーラでは余裕があるほどで、子供用の小さな枕と一回り大きいセーラの枕を並べているのだ。
 遅くまで起きていられないエースに合わせ、セーラはいつも一緒に布団に入る。そうして、エースが眠るまで子守歌を歌ったり、トントンと体を叩いて眠りに誘うのだ。
 囁くようなセーラの柔らかい声やぬるま湯のような温かい温度に包まれて眠りに入る瞬間がエースは好きだった。 
 なのに、いまはそのセーラの姿がない。
「セーラ? どこだ?」
 心細い子どもの声が落ちた。すると、すぐにベッドを囲っていたカーテンが静かに開き、ビックリしたエースが顔を上げると、同じように驚いているセーラが眼に入った。
「ごめんね、起きちゃった?」
 肩から羽織ったカーディガンに手を通しつつ、セーラはエースに近づくとその小さな体を抱え上げた。鼻腔をくすぐるセーラのふんわりとした花の香りに、エースの中の淋しい気持ちや不安がとけていく。
 ほっとしたまま、エースはセーラの首に腕を回してぎゅっと抱きついた。
 彼の肩越しに、カーテンの向こうの景色が見えた。
 部屋の隅に置かれた机の上には、本が一冊置かれていた。時々現れるガープが、セーラのためにと帰還の度に山ほど置いていくものだ。
 机上から少し離れた空中には、セーラが出したもののと思われるふよふよと浮かぶ爪先程度の大きさの光があって、さっきまで本を読んでいたのだと分かった。
(いつもは俺と一緒に寝てんのになんで……)
 セーラはいつだってエースを優先してくれる。なにをしていたって、エースが呼べば目許を細くして愛情に満ちた瞳でエースを見るのだ。
 それなのに、今はエースをベッドに一人置いて本を読んでいた。
 怒ることじゃないはずなのに、幼いエースにはなんだか母の関心を取られたようなに感じられた。嫉妬と悔しさが混じった声で、「なんで一緒に寝てないんだよ」と尖らせた口で言う。
 すると、セーラは拗ねたエースの様子に微笑んでそっと癖のある前髪を払った。
「ごめんね。あのまま横になってると寝ちゃいそうだったから……今日は日付が変わるまで起きてたかったんだ」
 許してくれる?
 と、窺うようにセーラが言った。彼の細い指先がくるっと宙に小さな円を描くと、机の辺りをふよふとしていた光がふっと消えた。
 部屋は本来の暗さを取り戻したが、セーラの体温を感じていたためにエースが怖がるようなことはなかった。
 エースを抱えたままのセーラがベッドに腰掛けた。
 そうしてゆっくり子どもの体を布団に横たえると、自分も隣に寝そべった。いつもの寝るときの姿勢だ。
 仰向けのエースは首まで布団をかけられ、しかしちゃんとした答えをもらっていないことにじとりと隣のセーラを横目に見た。
「なんでだ? 年が変わるからか?」
 年が明けることが、エースよりも大事なのか? そんな子供じみた嫉妬心のまま口をつけば、セーラはふっと笑みを浮かべた。そしておもむろに頭を上げて壁に――いや時計に眼をやった。
 なにかを待っているようにじっと時計を見ていたセーラは、痺れを切らしたエースが声を上げる前に隣で眠る幼い身体をぎゅうと抱きしめた。
 布団の中で温まり始めたエースの体が、さらに体温を高めてポカポカした。
 暗闇でも分かるセーラの輝く銀の髪が頬を滑っていく。エースは嬉しさと戸惑いでセーラの背中に腕を回しながら辿々しくセーラの名を呼んだ。
「エース。お誕生日おめでとう」
 生まれてきてくれてありがとう、エース。
 神さまにでも祈るような切実さと感謝を含んだ声に、エースの瞳が見開かれた。じわじわと体を支配していくのは、震えるような感激と嬉しさだ。
 やっとエースは、セーラがどうして本を読んで起きていたのかを知った。
 日付が変わるのを――エースの誕生日がくるのを待っていたのだ。いの一番にお祝いの言葉を伝えるために。
(なんだよ、それ)
 エースは風の音が強くなければ眼を覚ますことだってなかっただろう。そうなったら、こうして直接エースが聞くことはなかったはずだ。いや、セーラのことだから朝になって眼が覚めれば同じように言葉を紡いでくれるはずだが、こうして夜の静けさの中で、体いっぱいにセーラからの愛を感じながら誕生日を祝われることはなかっただろう。
 セーラはきっと、ずっとこうして祝ってくれていたのだ。去年もその前も。
 エースが知らないだけで、眠るエースの髪を撫で、愛おしいと顕著に語るその深い青い瞳で見つめ、柔らかな愛情の滲む声でそっと囁いて祝福していたのだ。
 それに気づいたエースは、どうしてか眼球が痛いほどに熱を持っていて叫びたいような……そんな自分でも理解できない大きな感情が湧いた。
 ぐっと唇を噛みしめ、セーラの胸元に顔をうずめる。そのままぐりぐりと額をこすりつけると、まるでセーラはエースの心情を理解したように笑んで、一際強く抱きしめたのだ。

 まだ風は強く、窓がガタガタと音を立てている。それでも、エースには随分と遠く聞こえた。
 薄い皮膚の下から伝わるセーラの鼓動がエースの耳に伝わり、そのリズムに合わせてエースはいつの間にか眠りについていた。
 そんなエースを、セーラはずっと抱きしめて愛おしげに微笑んでいたのだ。


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 エース誕生日おめでとう!!
 一生大好きだよ!!!
 せっかくのお祝いなのに、短いし、急ごしらえのSSでごめんね泣