小さな来訪者と

 フーシャ村の片隅で小さな影が二つ身を寄せていた。
「おい、ウタ。シャンクスたちは?」
「大丈夫、お酒飲んでベロンベロンだから」
 膝を抱えて屈んだまま、二人――ルフィとウタは額を付き合わせて囁く。
「誰にも言ってないよな?」
「言ってないよ! だって言ったら会えなくなっちゃうんでしょ?」
「おう。じいちゃんが言ってた。外のやつにセーラのことが知られたらもう会えなくなるって」
「私はよかったの?」
 ウタの言葉に、ルフィが嫌なことを思い出したと顔を歪める。
「う、ウタはいいんだ。子供だから」
 本当はエースやサボにうっかり喋ったのがバレてボコボコにされたのだが、最終的には三人の様子を見に来たセーラが「大丈夫だよ、ルフィだってわざと言ったわけじゃないんだから」となんとか宥めてくれたのだ。
 エースはキレて「そいつを殺しに行く!」と目をぎらつかせているし、普段はルフィに甘いサボだって「そいつはちゃんと秘密を守れるやつなのか?」って渋い顔をしていたぐらいだ。
「ごべんな〜!! があぢゃん!!」
 腫れ上がった顔をべちゃべちゃにして、普段なら名で呼ぶところをつい母の呼称で呼んでしまうぐらいにはルフィは怖かったのだ。
 時折うっかりをやらかすルフィだが、セーラのこの約束に関しては一度だってやらかしたことがなかったから。
 この優しい温もりから離れる羽目になったらどうしようという恐怖が、ルフィの小さな身体に溢れかえった。
「ほらほら、大丈夫だってルフィ。その子はルフィの友達なんでしょう? じゃあきっと秘密を守ってくれるよ」
 ――だから泣くのは止めて笑って。
 そう宥めるセーラの横で、エースが「甘やかしすぎだ!」と怒りの声を上げていた。
 その時のエースの剣幕とサボの据わった目を思い出して顔色を青くしていたルフィだが、ウタが約束を守ってくれているようで一安心。
 二人は小さな影を丸め、こそこそと村を抜けていった。
「セーラはどこにいるの?」
 コルボ山の比較的なだらかな傾斜を駆け上りながらウタが声を上げる。
「洗濯してる! いつものとこだ! ほら、ウタ行くぞ!」
「うん!」
 弾む胸の音の合わせてウタは足を速める。
 そんな子供の背中を追う男が二人。


「セーラ!!」
 この山ではまず聞かない子供――それも女の子の声にセーラはすぐに当たりをつけた。洗濯ばさみでシーツを挟んで、すぐに振り向いた。ちょうど小さな子供が飛び込んできたところだ。
「ウタ! 来てたんだね」
 細く小さい身体を屈んだ姿勢で受け止め、その紅白の前髪を指で梳きながら笑めば、ウタもニコーッと笑って頷いた。
 隣ではルフィが「ちぇ、ウタに負けた〜」と口を曲がらせている。
「かけっこで勝負してたの。私の方が速かったんだよ」
「村から走ってきたの?」
 コルボ山の下方に位置するこの場所でも、子供の足では結構な距離があるだろうに。ウタもルフィも息が上がっているし、汗だくだ。
「ウタもルフィもびっしょりじゃないか。ほら、こっちにおいで」
 ちょうど洗い立てで乾いたばかりのふかふかのタオルがある。
 まずセーラの腰に抱きつくウタの顔から汗を拭う。タオルを持って近づければ、ウタは自分で前髪を上げて目を閉じた。
 首や肌の出ているところの汗をぽんぽんと吸い取っていけば、待ちかねたのかルフィが「俺は?」とセーラの腕を引っ張った。
「私が勝ったんだから大人しく待ってなさいよ。セーラがルフィのことやらないわけないでしょ」
「俺も早くやってくれよ、セーラ〜・・・・・・ベタベタする」
「順番! やっぱりルフィは子供なんだから」
「俺はガキじゃねーぞ!」
「待ても出来ないガキでしょ!」
 段々とヒートアップする子供たちの会話に、セーラが待ったをかけた。ウタの身体を持ち上げて自身の隣に移すと、膝を叩いてルフィを呼ぶ。
 途端にルフィは顔を輝かせ、パタパタと尻尾でも振るようにセーラの膝の上に収まった。
「そうやって大きい声出してるとまた汗かいちゃうでしょ、二人とも」
「だってウタ/ルフィが・・・・・・ムッ」
 揃った声に、セーラはクスクスと笑い声を上げた。
「ふ、ふふ……本当に仲良しだね、二人は。まるで姉弟みたい」
 それに喜色を表したのはウタだ。
「私とルフィが姉弟ってことは、私のお母さんもセーラってことだよね!」
 セーラの細い腕にぎゅっと抱きついて、「ね? ね?」と返事を急かす。
「そう思って貰えるなら嬉しいな〜娘が出来るのは久しぶりだから」
「ほんと!? じゃあ今日からセーラは私のお母さんだよ? あとでダメって言ってもダメだからね?」
「お母さんっていうよりも、男だからお父さんじゃないかな?」
 エースやサボたちもみんな母と呼ぶけれど……まさかウタまで。
 性別上は男なんだけどな〜とセーラは常々不思議に思う。
「お父さんはいっぱいいるからいいの! お母さんはセーラだけだもん!」
「セーラは俺の母ちゃんだぞ?」
「ルフィのお母さんで、私のお母さんでもあるの!」
 小さな生命いのちに懐かれるのは嫌な気分ではない。むしろセーラとしては幼い子供の成長を見守る楽しみができる。
 ぎゅうぎゅうと二人の子供たちの体重を受け止めながら、ちらりと森の中のある一か所に目をやった。
「お父さんて、例えば赤い髪の男の人とか?」
「シャンクスのこと知ってるの?」
「さっき遠めに見えたの。ここは見晴らしがよくて船着き場がちょうど目に入るから」
「うん! シャンクスが船長なの! あとはね、ベックマンていうね、いっつも煙草吸ってるいかつい顔のひともいるよ」
 あとはね、コックのルウと船医のホンゴウ、あとね……。
 指折り数えて、ウタは自身の船の家族を一人一人名前を挙げていく。
 そこに「丸くてでかい」「いいやつ」などとルフィの追加のコメントが入る。
 そんな二人の様子を微笑ましく見守りながら、セーラはふっと息を一つ。
(ウタの家族なら大丈夫、かな……?)

 ◇◇◇

「気づいたな」
 木の陰で三人の様子を窺っていた赤髪の男――シャンクスがつぶやく。
 すかさず隣にいた男――ベックマンが紫煙を吐きながら同意を示した。
「ああ。だがこちらに来る気配はないな。接触する気はないらしい」
「まあ、ウタやルフィの様子からして、隠したいみたいだからな。俺たちから行かなければ来ないだろう」
 完全に気配を消していなかったにせよ、まさか気づかれるとは思っていなかった。
 あの細い身体ではとても戦えるようには見えないが、手練れなのだろうか。
 実は長い逃亡生活で、人の気配――それも視線に聡くなっただけなのだが、そんなことを二人は知らない。
「女……いや、男か」
「華奢だが女のような丸っこさはないからな」
 だが、男女どちらでも構わない美貌の持ち主だ。女のように華奢であるが、女の柔らかさはない。逆に細くしなやかで肉のついていない身体が、あの美しさを際立たせているようにも見える。
「二人でこそこそと出かけてると思えば……まさか他所で母親作ってるとはな。なあ、お頭? ……お頭?」
 返事のないシャンクスにベックマンが振り向けば、そこには遠くを見るような目で三人――セーラを見つめるシャンクスの姿があった。
「……ああ、すまん。なんかあの人見たことある気がしてな……どこだったかな」
 存外真剣に悩むものだから、ベックマンは口を挟まずに紫煙を吹かせて待つ。
 その間も、ケラケラと子供の楽しそうな声が届く。
 随分懐いているな、とベックマンは煙草の味を噛みしめながら思った。
 きゃー、と悲鳴のようなウタの声が響き視線を向けるが、どうやら強い風に驚いたらしい。ウタとルフィは左右からセーラに抱き着き、楽しそうに声を上げて笑っていた。
 遅れてベックマンとシャンクスのもとにも風が吹き、木の葉が数枚落ちてくる。
 ふいに、シャンクスが「ああ」と合点がいったように声を漏らした。
「海で会ったんだ」
「海?」
「ああ、まだロジャー船長の船に乗ってたガキの頃さ。ドジって船から落ちちまってな。しかも運悪く波にのまれて沈んじまった。そん時に誰かに助けられたんだよ」
 いつもならなんてことないんだがな〜とシャンクスは暢気に笑う。
 その視線の先では、セーラの長い銀の髪が風で舞い、反射した陽光によって光の波を見ているようだった。
 あの時もそうだった。
 海の中で、誰かに抱き上げられ急に呼吸が楽になった。ふわりと波の流れがあるのにも関わらず身体が浮き上がったので、驚いて目を開けたのだ。
 すると、海面がすぐ眼前に迫っていて、何があったのかと振り向いたのだ。
 そこで、シャンクスは夢のような光景を見た。
 深い青の中で、その人は心配そうにシャンクスを見上げていた。
 わずかに届く光が、海中を舞う銀の髪を照らして淡く輝かせる。
 息が止まるような、そんな美しい光景だった。
 触れてみたくて身体を押し上げる不思議な力に抗って潜ろうとすれば、その人は驚いたのかぎょっとして追い払うように手を振る。きっと早く上に行けと言いたかったのだろう。
 結局その人に手が届く前にレイリーに引き上げられてしまい、その人にまみえたのはその一度きり。
 ロジャーやレイリー、バギーなど船員たちには夢か幻覚でも見たのだろうと言われた。
 シャンクス自身、動転して何かを見間違えたのかとも思ったが、やっぱり間違っていなかった。ちゃんとあの美しい存在は実在していたのだ。
 確かあのころ、いるかいないかでバギーと喧嘩になり賭けをした気がする。一体何を賭けたんだったか。
 ああ、ちゃんと「いるわバーカ!」と鼻で笑っとくんだったな〜、とシャンクスは懐かしい友を思い出して笑みが滲んだ。
 離れた場所では、今も途切れずに子供たちの声が届いてくる。
 その真ん中には、シャンクスが見た時と変わらぬ美しい人がいて、今なら触れられるな、と小さな欲が顔を出した。
 しかし、あの平和な光景を崩すのも忍びなく、ベックマンと二人、子供の和やかな声を背中にゆったりとした時間を過ごすことにした。
 たまには、こんなのどかな時間があってもいいだろう。