夜の独り占め


 子供たちが寝静まったあとの家の中は随分と静かだ。
 ダダンたちは、今日は村の方で酒盛りをしているので帰ってこない。
 最初はセーラや子どもたち三人も一緒にいたのだが、時間が経ってルフィに眠気が来てしまったので、セーラと子どもは早めに解散してきたのだ。
 以前なら三人の息子と一緒に布団に入っていたが、エースから「もう子供じゃねーから俺らだけで寝る」と宣言されたため、セーラは自室で一人で寝なければならない。
 唐突だった宣言から、かれこれ一ヶ月。
 なんだかんだ言いつつルフィが潜り込んできたり、エースが尋ねてきたりするので、さほど寂しさを覚えることはない。
 寝られないと誰かが起きてくる可能性があるので、日付が変わる頃合いまでは、こうしてキッチンで灯りをつけて起きていることが多い。
 今日は、先日ガープが届けてくれた本を片手に夜の時間を過ごしていた。
 読み終えて顔を上げれば、ちょうど日付が変わった頃。今日は誰も起きてこなかったか、と自室に戻るためにランプを持って廊下に出たところでセーラはびくりと身体を震わせた。
「・・・・・・サボ? どうしたの?」
 まさか真っ暗な廊下に子どもがしゃがみ込んでいるなんて誰が思うだろう。
「セーラ・・・・・・」
 見上げる瞳は僅かに動揺を含んでいて、見つかりたくなかったのかとも思ったが、それならセーラが起きているキッチン前にいるわけがない。
 声をかけたいけれど、躊躇していたのだろうか。
 名前を呼んだきり口ごもってしまったサボの様子に、セーラはランプを置いて手を伸ばした。
「わっ! セーラ!?」
「シー・・・・・・エースとルフィが起きちゃうよ?」
 抱え上げてちょうど同じ高さになった顔の前で指を立てる。すると、サボは律儀に両手で自身の口を塞いでみせた。
 ランプも忘れずに回収してキッチンに逆戻り。サボを椅子に座らせて、セーラは牛乳を取り出して小さな鍋に入れる。
 背後では、サボが不思議そうにセーラを見つめていた。
 弱火で少しずつ温め、そこに砂糖を追加。普段は小さじ一杯程度だが、今日は奮発していつもより甘めに作ろう。
 用意していたマグカップに入れて完成だ。
「ほら、サボ。あったまるよ」
「あ、ありがとう。セーラ」
「じゃあ、行こっか。肌寒いからこれ羽織ってね」
「行くってどこに・・・・・・わあ!」
 セーラはさっきまで使っていたブランケットを、サボの小さな身体に巻いて抱き上げる。サボは牛乳を零さないように両手でひしと握りしめて驚いていた。
「少しだけ夜更かししようか? まだ眠くなくてね。付き合ってくれると嬉しいんだけど」
 どうかな? とセーラが伺えば、サボは釈然としないながらもこくりと頷く。
 玄関を出てすぐの所に腰を下ろす。さすがにエースとルフィが部屋で寝ているので、離れたところにはいかない。
 触れ合うぐらいの距離で二人は家を背に座った。
 サボは手持ち無沙汰で、ちびちびとマグカップに口をつける。なぜ、外に連れてこられたのかわからない。
 セーラがふいに手を宙に浮かせた。気づいたサボもそちらに目を向ける。
 それを待っていたように、ランプの明かりが小さくなって消えた。
 途端に真っ暗な闇が二人の周りを覆う。
 サボは急に暗くなったものだから、心細さから反射的にセーラに身を寄せた。
 闇の中で、セーラがパチンと指を弾く。高い破裂音と共に、セーラの手元からパチパチと小さな光が瞬きだした。
 夏場にみんなでやった線香花火のような、そんな小さな光がいくつも空中で弾ける。
「うわぁ・・・・・・!」
 サボが感嘆の声を上げる。まるで、目の前で星が弾けているみたいだった。
 パチパチ弾けた光の粒は、足元をコロリと転がってスッと地面に溶け込んで消える。
 しかし、宙では次々と新たな星が生み出され、それが落ちてまた消えていく。
 サボはその一連の流れを、忙しなく目を動かして追いかけた。
 少しずつ光の勢いがしぼんでいき、最後の一つが地面に吸い込まれてまた闇が広がる。
 サボはさっきのような恐れは抱かなかった。むしろこの闇さえもさっきの星の余韻で暖かく感じられた。
 ランプが再び灯りを取り戻す。
「セーラ、なんで急に・・・・・・」
 セーラがこんな風に魔法を使うのは滅多にない。
 出来ることは自分で、というのがサボたちによく言っていたセーラの言葉だ。やろうと思えば生活の大半は魔法を使って楽が出来るセーラは、そのくせほとんど魔法を使わない。
 使うときがあるとするなら、サボたちが怪我をしたときぐらいなものだ。
 それだって、よっぽどひどい怪我じゃなければ普通に手当てをして終える。
 便利なのになぜ、というのは、サボたち三人が一度は訊いたことのある問いだ。
 その度にセーラは、みんなのことは自分の手でやりたいんだ、と笑っていた。魔法にばかり頼るのも良くないからと。
 それなのに、どうして今日はこんな――。
 いや、サボたちが強請ればセーラは渋ることはあっても断ることはない。だが、今回は特にサボから求めたわけではないのに。
 ぐるぐると頭を悩ませるサボに、セーラは(そんなに混乱させたかな)とちょっぴり反省した。
「今日みたいな日があっても良いだろう? サボに見て欲しかったんだよ。もしかして、気に入らなかったか?」
 即座にサボが首を振る。ぶんぶんと音が鳴りそうなぐらいの勢いで。
「すっげー綺麗だった! まるで夢見てるみたいな、そんぐらい綺麗だった・・・・・・」
「たまにはこういうのもいいね。私は意外と夜の静かな空気も好きなんだ・・・・・・サボは?」
「おれ?」
 じっと手元の真っ白な水面を見下ろしながらサボは考える。
 ――夜。真っ暗で昼間よりも冷たい空気。耳が痛くなるような静けさ。
「おれは、嫌いだ。暗くて静かだと色んなこと考えて、考え過ぎちまうから・・・・・・嫌なことばっか思い出す。でも、セーラが、母さんがいるなら好きだ」
 にへっと、サボが歯を見せて笑う。
 乳歯が抜けたばかりだから、綺麗な歯列に一本だけ隙間がある。その笑顔が、セーラに愛おしさを湧き上がらせた。
「私もだよ。サボやエースやルフィがいてくれるから、どんなときも楽しいんだよ」
 腕で囲うようにセーラはサボを抱きしめる。
 サボはこうした触れあいになれていないため、すぐに頬を赤くして恥ずかしそうに目を彷徨わせる。
(もう少し、エースやルフィのように当たり前だと受け入れてくれても良いのに)
 初々しい反応は微笑ましくもあるが、同時に寂しさもセーラにもたらす。
「おれ、たまに夢じゃないかなって思うんだ」
 抱きしめられる腕の温かさに触れながらサボは呟いた。
「起きたらあの自分の部屋で、エースもルフィも、セーラも、全部夢じゃないかって」
 自分で口にしたそれに耐えられないとサボがセーラの胸元に顔を押し当てる。二人の間にある少しの隙間でも不安がるように。
 慌てたセーラはサボの手からマグカップを抜き取って離れたところに置いた。
「おれ、エースとルフィが羨ましい・・・・・・生まれた頃からセーラといられて・・・・・・俺の母さんはセーラ一人が良かった」
 ぎゅっと皺になるほど強くセーラのシャツを握りしめ、サボはぐっと歯を食いしばるように吐き出した。
 エースやルフィのように、セーラしか知らずに育ちたかった。これが特別だなんて思いもせず、当たり前な世界で生きたかった。
 家族みたいに過ごしていたって、サボはエースやルフィと自分はどこか立ち位置が違うものだと思ってしまう。
 サボは自分の両親がどんな人間か知っている。本来の家族が誰なのか知っている。
 知っているから、この人を母と呼ぶときにどうしても躊躇が生まれてしまう。
 「母」と誰かを呼ぶとき、頭に浮かび上がるのがこの人の笑顔だけならどれだけ幸せだろう。
「サボ、私はね。すごく羨ましい人がいるんだよ」
「・・・・・・誰だよ、それ」
 セーラが羨ましがる? それこそ天変地異みたいなことだ。
 恨み辛み、嫉妬。誰かへ向ける負の感情を、この人が持ち合わせているとはサボは思えなかった。
 抱きしめられた腕の中で顔を上げれば、セーラの銀髪が頬を撫でた。
 サボと同じ石けんの香りがする。
「サボの血の繋がったお父さんとお母さんだよ」
「えっ」
「だって、私はどう頑張ってもサボのもっと小っちゃかった頃も、赤ちゃんの頃も見ることは出来ないから。だからすっごく羨ましいし、見られなかったのがすっごく悔しい!」
 すっっごくだよ? と珍しく力の入った言葉にサボはポカンとしてしまった。
 だって、なんでセーラがあんな人たちを羨ましがるのかわからなかった。セーラの方がずっと綺麗で優しくて、比べるのすら嫌になるような人間なのだ。サボの両親は。
 それなのに、セーラはサボの成長が見られなかっただけで、珍しく眉を寄せるぐらい悔しいのだ。
「はは、なんだよそれ・・・・・・!」
「私にとってはすごく大事なことなんだよ? 息子の成長の一部が記憶から欠けてるなんて耐えられないんだから・・・・・・」
「なんだよ、セーラってばそんなことで羨ましいのかよ!」
 耐えきれなくなってサボがケラケラと笑い声を上げると、「笑いごとじゃないよ」とセーラがぎゅうと抱きしめる腕の力を強めた。
 全く痛みなんて感じないのに、サボは抵抗するように「いたいいたい」と笑いながらじゃれる。
 さっきまで鬱々と考えていたのがどこかに吹っ飛んでしまった。
 胸の辺りがむずむずして落ち着かない。
 笑い疲れて息を整えながら、「ああ、自分は嬉しいのか」とサボは気づいた。
 あんな親を羨ましいと思えるほど、セーラはサボを愛してくれている。それがたまらなく嬉しいのだ。
(なーんだ、ちゃんとセーラは俺のことも愛してくれてるんじゃないか)
 エースと出会ってその流れでセーラとも出会った。
 最初はエースの友達だからとサボに構ってくれていた。
 いや、セーラはそんな風には思っていなかっただろうが、サボからしたらそう思えていたのだ。
 しかもセーラは優しいから、なおさらそうとしか思えなかった。だって赤ん坊の頃から育てていたならまだわかるが、急に息子の連れてきた友人を、本当の家族だなんて思えないだろう。
 でも、それはサボが勝手に線を引いていただけだったらしい。
 本当はどこかでちゃんと分かっていたんだ。でも、今まで数え切れないほどセーラから愛して貰っていたくせに、自分はそれでもまだ足りなかったらしい。
 こうしてセーラに抱きしめられ、言葉を貰い、そうしてやっと心の荷を下ろせる。
 意外と貪欲だったんだな、とサボはまた笑った。
「もう、いつまで笑ってるつもり?」
「へへ、なあセーラ。今日・・・・・・一緒に寝ても良いか? 起きたときに夢じゃなかったんだって、実感したいんだ」
 そんなサボの可愛らしい願いに、セーラは微笑んで「もちろん」と返す。
「今日だけなんて寂しいこと言わずに毎日だっていいよ。家族なんだから、なんでも言っていいんだよ」
「じゃあ、今日は一緒に寝てくれよ・・・・・・でも、起きたらエースに怒られそうだな〜・・・・・・ふわぁ・・・・・・」
 ブランケットとセーラの温もり。ホットミルクの効果もプラスしてか、急激に眠気がサボを襲う。
 そして、セーラはそれを促すようにトントンと背中を優しく掌で叩いた。
 サボの瞼がゆっくりと落ちてハッと持ち上がる。しかし、一際大きな欠伸が出てむにゃむにゃと顔を動かすと、ついに舟を漕ぎ始めた。
 寝入ったばかりの息子を起こさないよう、セーラは慎重に抱き上げて玄関を開ける。
 ふい、と指先を動かしてマグカップとランプを浮かばせ、そのまま食器を洗い、立てかけた。ランプは灯りを極限まで絞り、足元を照らして部屋に向かう。
 まず、サボをベッドの壁際に寝かせ、その隣に自分も潜り込む。最後にランプの火を消せば、辺りは真っ暗になった。
「おやすみ、さぼ」
 丸い額にキスを一つ落とし、どうかいい夢を見ますように、と願いを込める。
(こうして、サボと二人だけで寝るのは初めてだな・・・・・・)
 子ども部屋からの退去を命じられたこの一ヶ月間。ルフィやエースが部屋を訪れることはあったが、サボが一人で来たことはない。
 きっと、どこかで遠慮していたのだろう。大人びた子だからと少し様子を見すぎたかも知れない。
 離れるのが怖い、とでもいいたげに懸命にセーラの服を握っていた小さな手の強さを思い出す。
(もっと早く、私から話をしていればよかったね)
 そうすれば、この子はここまで思い詰めなかったかも知れない。
 もっと早く、安心させてあげられたかも知れない。
 少なくとも、声をかけるか迷って真っ暗な廊下で小さくなっているようなことはなかったはずだ。
 明日からはこれまで以上にうんと甘やかししまおう。
 いい加減にしてくれ、と怒られるぐらい。きっとそれぐらいが、ちょうどいい。

 まさかそのせいでサボが開き直り、「もう少し親離れさせた方が良かったかな」と将来悩むようになるとは露知らず、セーラは小さな子どもの温もりを抱きしめて眠りについた。


(なあエース)
(なんだよ)
(俺がエースとセーラに出会ったのは五歳の時だろ?)
(おう)
(エースはこの十年セーラと一緒に寝てたわけだろ?)
(ああ、そうだけど?)
(俺は五年少ないから、あと五年一緒に寝ててもいいよな?)
(はあ!? それじゃあお前十五まで一緒に寝る気かよ!!)
(別にいいだろ。俺だけみじけぇの納得いかねーもん)
(それだと、俺はあと三年一緒に寝てていいのか!?)
(うるせールフィ! 今サボと俺が喋ってんだ! それにお前は泣き虫なんだから早めにセーラ断ちしろ!)
(ええ〜〜!? なんでだよ〜〜!!)