色気<食い気の末っ子

*セーラ本人は出てきません。

 マルコが自室を出ると、ちょうど正面からサッチが駆けてきたところだった。
「なんだ? またエースが盗み食いでもしたのか?」
 サッチが船内を駆け回っているときというのは、大体あの末っ子に灸を据えに行く道中ぐらいなものだ。
 普段ならばすれ違いざまに「これからしごいてくるぜ!」と意気揚々な言葉が返ってくるが、どうやら今日は違うらしい。
 ずんずん近づいてくると、マルコと肩を組んで耳に手を当て、潜めた声で興奮を表した。
「マルコ! お前エースに好き子いるの知ってたか!?」
「エースにだぁ?」
 思わず訊き返してしまうのも無理はない。
 これが他の船員だったなら「変に首突っ込むなよ」と忠告して終わる。サッチが色恋沙汰の噂話を持ってくるのはよくあることだからだ。
 しかし、その矛先があの末っ子とあってはマルコだってつい好奇心が顔を出す。
 この白ひげ海賊団の末っ子枠と言えば、二番隊隊長を務めるエースのことだ。
 家族に入る前は、尖った雰囲気で周囲と距離を取っていた者だが、一度腹を決めてからは元来の性質なのか人懐っこく愛嬌のある者で、今じゃすっかり人気者だ。
 エースと言えば色気よりも食い気の人間で、あの腹のどこに収まっているのかと言うほどの量を平らげケロリとしている。
 しかも、本人曰く、己の弟の方が「すごい」というのだから、末恐ろしい兄弟だ。
 いくら食い気ばかりに気が注がれると言っても、エースも年頃の若い男。
 女ひでりの船での生活。島に上陸すれば各自で適当に発散するのが海賊たちの暗黙の了解だ。
 しかし、エースが女に声をかけているのを見たことがない。と、始めにそれを言い出したのは誰だったか。
 その言葉によって、エースと共にいることが多い隊長たちは、もしや今まで食い気だけで生きてきたからどうしたらいいか分からないのでは、なんて勝手に心配して見守っているほどだ。
 だが、よく考えればエースは普段から鍛え抜かれた上半身を隠しもせず、男前な面を晒しているのだ。
 自分からのアプラーチ方法を知らなくったって酒場で一人で放っておけば勝手に女の方からお声がかかる。
 それなら大丈夫かと一安心しかけたが、なんとエースは全ての誘いを断ってしまった。
 そこで我慢できなくなった隊長たちがエースを囲う。サッチなんて血涙流しながらエースに詰め寄った。
 その時声をかけてきた女が、サッチの好みにドンピシャだったからだろう。
 エースは口の中のものを飲み下しながら、目を白黒させて混乱していた。
「さっきの人はなんで断っちまったんだ? どうせ今日は予定もねえだろ? 綺麗な人だったし誘いに乗ってやればよかったのに」
 まさか弟分の下事情を心配しているとも言えず、イゾウはさっきの誘いのことのみに言及した。
 当人であるエースはもぐもぐと追加の一口をまたゴクリと呑んで、首を傾げる。
「綺麗・・・・・・? ああ、さっきの姉ちゃんか?」
「お、お前〜〜!! さっきの姉ちゃん以外になにがあるってんだよ!!」
 ようやく落ち着いていたサッチの怒りが再発。
 自分が狙っていた女に対して、「綺麗」に疑問を持たれるのは確かに嫌だな、とマルコは思った。
 しかも、こうもエースがケロリとした顔をしているのもまた、普段女に惨敗気味のサッチからしたら腹の立つものがあるのだろう。
「美人な人だったと思うけどな。お前の審美眼にはかなわなかったか?」
「ん〜? いや、きれーな姉ちゃんだったとは思うけど?」
 食べながら、どこまでも他人事のように言ってのける末っ子に、思わずマルコやサッチたちは顔を見合わせた。
「こりゃマジで女に興味ないのか」
「それともありえねーほど理想が高いか、だな」
 こそこそと輪になって密談する隊長たちを横目に眺めつつも、エースは目の前の皿を平らげる。
 まさか養母の美しさで見慣れているが故に、意図せずして目が肥えたなどとは誰も思いもしない。
 当人であるエースが、(セーラの方が綺麗だったしな〜)と暢気に思っていることも。
 最終的に兄貴分として一肌脱いでやらねば、と意気込んだサッチ筆頭に隊長たちが揃いも揃って「あの子はどうだ」「この子はどうだ」とお節介なお見合いおばさんと化したのだが、結局その日は男たちだけの宴会になって終わった。
 得られた情報としては、エースは「サラサラの長髪」と「細身の碧眼美人」が好みだという二点だけ。
「マルコと同じような好みだな」
 と漏らしたサッチにはきっちり口止めしておいた。あいつはその由来まで知っていてわかってマルコを揶揄ってくるのだ。質が悪い。
 まあ、マルコ自身としても覚えのある特徴に気づいたときは、思わず顔を覆ってしまったものだが。
 しかし、ガキの頃に助けられた女のことを今も忘れられないなんて、末っ子に言いふらされちゃたまらない。
 顔もほとんど覚えていないが、サラサラと流れる長髪と、夜の海のような瞳だけは忘れられない。
 白ひげ海賊団の古株や隊長たちの中じゃ有名な話だ。
 その後もしばらくは、島に着く度にエースが「おっ」と思えるような女を見つけるためのお節介が発生していたのだが、毎度毎度全員で騒いで呑んで食べて終わるので、各自の自分の欲の発散に勤しむことになった。
 簡潔に言うと諦めたのである。
 マルコやサッチからしたら苦い思い出だ。
 自分が示すいいと思った女が、軒並み「いいんじゃねーか?」の一言で返ってくるのだから。自分の目を疑う羽目になったやつもいる。
 その時のことを思い出してマルコは思わず目頭を押さえた。翌日の二日酔いの痛みまで思い起こされた気がしたのだ。
 しかも、マルコの言った女には他より反応が良かったからか、余計にサッチやイゾウから揶揄われたのもある。
「あーどうせお前の勘違いじゃねえのかよい」
 まさかあそこまで女に興味のなかった末っ子だ。
 ついに春が、とも思ったが、よく考えればどうせサッチが大げさに捉えただけだろう、と。
 そう言って話を終わらせようとしたマルコにサッチが食い下がる。
「ばっか! ちげーんだって! あのエースが誰かに手紙書いてんだよ! しかも綺麗な便せん使ってだぞ!?」
「はあ? あの筆無精が手紙だあ?」
 それこそ見間違いだろう、とマルコの鼻で笑う気配を察したサッチが、「イゾウもハルタも見たんだぜ!」と付け加えた。
「書いてるところをか?」
「俺が島の雑貨屋でレターセット吟味してるところを見て、イゾウとハルタはさっき部屋に行ったときにエースが机で何か書いてんのを見たんだよ! しかも急いで隠したらしいんだ、怪しいだろう?」
「手紙か・・・・・・確かに怪しいよい・・・・・・」
 これは本当に女か、とマルコが疑いにかかったときだ。
「あ、マルコー! ちょっと訊きてぇことがあるんだけどよ」
「おおおおおう! エースじゃねえか!」
「ああ、どうかしたのか?」
 噂していた本人の登場にサッチが大げさにびびる。それに横肘入れてやりながらマルコは何でもないように答えた。
「いや〜・・・・・・あのよぉ、手紙ってなにを書きゃいいんだ?」
 まさか当人から話題に突っ込んでくるとは思わず、つい声が飛び出しそうになったマルコを、今度はサッチが横肘で制す。
「・・・・・・なんだ、お前が手紙書くのか?」
「おう。書いてちゃわりぃかよ」
 自分でもらしくないことをしている自覚がらしい。
「別に悪かねぇよい。珍しいって話だ」
「そうそう」
 むすっと口を尖らせたエースは、俯き気味に「だって負けたくねーし」と呟く。
 誰に、と訊きたいとこだが、この様子を見るに答えないだろう。
 今の言葉だってマルコやサッチに聞かせるつもりで言ったわけじゃない。
「で? 誰に書くんだ? それによっちゃ書く内容も変わってくるよい」
「家族だよ。故郷の村にいる」
 ああ・・・・・・と、ここでマルコとサッチの肩から力が抜ける。
 どうせそんなことだろうと思っていたんだ。
「元気でやってるとか、こんなことあったとか行った島での楽しかったことでも書いてやったらどうだ? お前の家族だったら、お前の書いたことならなんでも喜んでくれそうだよい」
「それな〜あの弟に書くのか? 話聞いた感じじゃお前と一緒で長い文章は読まないタイプに見えるけどな」
 カラリと笑ったサッチに、エースは頬をかいて「ルフィじゃねーよ」と言う。
「まあ、いいや。サンキューなマルコ! 確かにあの人ならなんでも喜んでくれるわ!」
「お、おう・・・・・・」
 たいしたことは言っていないが、スッキリしたらしい。いい顔でパタパタと船内を駆けて帰っていくエースの背中を二人揃って呆然と見送った。
 姿が見えなくなって数秒、
「あの人って誰だよ」
 とサッチから落ちた言葉で、再び末っ子の手紙の相手女じゃねーのか疑惑が浮上した。しかも年上。
 もしかして故郷に心に決めた年上美人な彼女がいるんじゃねーかとまで膨らんだその疑惑。
 が、いくら問い詰めたところでエースが口を開くことはなかったとだけ言っておこう。

 まさか自分の初恋の女が実は男で、末っ子の養母だったなんてこの後知るとは思いもしない、そんな兄貴分のただの日常の一コマである。