きみに片想い


 十二月に入ってから一段と寒くなった気候に、依織は思わずぶるりと体を震わせた。
「くしゅん!」
 肩を竦め、自分の体を抱きしめるように腕を回す。
 渡り廊下の自販機までだからと、ジャケットを置いてきたのが仇となった。
 冬真っ只中の冷えた空気に、シャツとカーディガンだけでは太刀打ちできなかったらしい。
(なんで置いてきたんだろ……寒がりのくせに……)
 俺の馬鹿、と内心で自分を責めつつスンと鼻をすすった。すると、ふわりと肩になにかが置かれた。
 見ると、一回りほど大きい学ランのジャケットだ。
 驚いて、依織は隣の人物を見上げた。
「ぎ、吟くん! これ……」
「着てていい。俺は寒くないし」
「寒くないって……そんなシャツ一枚で?」
 頭一個分は高い我牙丸を見上げて訊くと、なんてことない顔で頷かれた。
 一瞬どうしようかと迷ったものの、彼が真冬のこの時期だって体育は半袖でも平気で走り回っていることに気づいてありがたく借りることにした。
「ありがとう。吟くん」
「別に。依織は細いし弱いから、心配だ」
「そ、そこまでか弱くないよ……」
 そりゃ、サッカー部で身長が百九十を超える我牙丸と比べたら弱っちく見えるだろう。文化部で、運動だってからっきしだから筋肉だってない。
 身長も、かろうじて百七十を超えたところで止まってしまった。
(ここまで、差があるのか……)
 自分の肩にかかるジャケットをそっと抱き寄せ、自分の手が袖にすっぽりと埋もれてしまうことに気づき、内心いじけてしまう。
 そして、ほんのり香ってくる我牙丸の匂いに頬が熱くなった。
 嬉しくて恥ずかしい。心がこそばゆい。
 この野生高校に入学したのが今から二年以上前。高校生活は順調に進み、あと数ヶ月で終わりを迎えてしまう。
 我牙丸とは、一年生の頃からのクラスメイトだ。
 入学式を終え、クラスに戻る帰り道で、後ろから押されて階段を落ちそうになった依織を、我牙丸が片腕で抱き寄せて支えてくれた。
 その頃から我牙丸は体格がよくて、依織はかれの腕の中にすっぽりと収まってしまった。
「大丈夫か?」
 あまり表情の変わらない、けれどこちらを気にした声音とまあるい瞳。
 あのとき見下ろされた我牙丸の表情と、支えられた男らしい体、耳朶をくすぐった低い声……依織は、入学初日に我牙丸吟に恋をしてしまった。
 それから二年以上の月日を過ごし、いまだに依織は片思いを続けていた。
 きっかけがあったおかげでその後も我牙丸とは話をすることができ、依織と我牙丸はいつしかセットして扱われるぐらいには普段から一緒にいるようになった。
 嬉しいけれど、この生活がもうすぐ終わってしまうと思うと淋しくて胸が切なくなる。
 自販機でパックのレモンティーを買って教室に戻ると、クラスメイトの男子たちが一カ所に集まってなにやら盛り上がっている。
 一人が我牙丸と依織に気づいて手を振る。
「お! 我牙丸たち帰ってきた! おい、本命が帰ってきたぞ!」
 なんだろう、と首を傾げる依織の手を引いて、我牙丸は我関せずと自席に戻る。我牙丸が座ると椅子が小さく見える。そうして、彼はそのまま腕を依織の腰に回して引き寄せるので、依織はいつものようにそのまま我牙丸の足に腰を下ろした。
 ――いつからこれが当たり前になっちゃったんだっけ?
 ドキドキしつつ平静を装ってレモンティーを飲んでいると、さっきの男子生徒たちが二人の机を囲んで話しかける。
「我牙丸! 鈴木と腕相撲対決してくれ!」
「俺が? なんで?」
 どうやら、昼休みを使ってクラスの男子生徒たちで腕相撲のトーナメントを行っていたらしい。他の生徒の中から勝ち上がってきたのが野球部の鈴木で、最後に我牙丸と勝負して欲しいということだ。
 そこまで聞いて、依織はあれ? と首を傾げた。ストローから口を離して、そっと手を上げる。
「おれ、それやってないよ?」
 すると、クラスメイトはみんな顔を見合わせてちょっと気まずそうに「だってな〜」と言う。
「依織とは戦わなくても分かるって言うか……」
「万が一怪我でもさせたら後が怖いしな」
 と、なぜかちらちらと背後にいる我牙丸を見て言う。その視線に、我牙丸も首を傾げている。
 まあ、確かに運動部の子に勝てないということは事実なので文句もない。
 春の体力測定で、握力を測ったら二十しかなくて、ペアを組んでいた記録係の我牙丸が、珍しく愕然として見ていたのは覚えている。
 「触れたら死ぬ……?」と、自分の手のひらと依織を見比べていうものだから、さすがにそこまでか弱くないと怒ったものだ。
 我牙丸は腕相撲トーナメントには興味が薄いのか、依織の腰を両手で抱いて肩に顎を置いている。
 一方、鈴木はやる気満々でシャツを二の腕までまくり上げ、肘を置いて姿勢を作っていた。
「わ、鈴木くん筋肉すごいね」
「そりゃ野球部で毎日鍛えてるからな!」
 依織のひょろっちい細腕とは比べものにならないその腕を、つんとつついて褒めると、鈴木は自慢げに笑った。
「わっ吟くん?」
「やる」
 ぐるりと鈴木から遠ざけるように体ごと回され、反対に我牙丸が身を乗り出す。
 急にやる気を出した我牙丸に、依織は目を瞬き、「じゃあ俺どくね」と立ち上がろうとしたが、すかさず伸びてきた腕がそれを許してくれない。
「そこ、座ったままでいい」
「え、ほんとに? やりづらくない?」
「大丈夫」
 こくりと頷く彼に、依織はとりあえず力を抜く。
 結果――。我牙丸が圧勝して勝負は終わった。
 やっぱりな。とか、化け物か! と楽しそうにはしゃぐ男子生徒は、予鈴とともに解散していった。
 教師が来る前に、と依織も立ち上がってレモンティーのパックを捨ててから席に座る。といっても、我牙丸の隣席なので、ほとんど変わらないけれど。
「依織」
「ん?」
 呼ばれて振り向くと、我牙丸は力こぶを作るように腕を上げている。
「俺のほうが筋肉すごい」
「? うん、知ってるよ」
 普段あれだけくっついているのだから、我牙丸の体が鍛えられているのなんて知っている。
 笑って頷くと、我牙丸は感情の分からない黒目でじっと依織を見ていたが、ふいと逸らされた。
「……そっか」と呟く声が、どこか残念がってるようで、もっと褒めた方がよかったのかな? と依織は授業中もずっと悶々としていた。

 ◇◇◇

 我牙丸は、日本フットボール連合から「強化指定選手」として選出されたらしい。
 二人で並んで歩いていた夕暮れの帰路で、そういえば、と近所のコンビニに行くような軽い調子で言われて驚いた。
「え、すごい! すごい吟くん! 頑張ってね!」
「ん」
 はしゃぐ依織の様子に、我牙丸の表情がわずかに和らぐ。
「いつから行くの?」
「来週の火曜」
 あまりにも急すぎてびっくりしてしまう。今日は金曜日。一週間もない。
 しかも、東京のほうなので、前日から新幹線で向かって近場のホテルで一泊するという。
 じゃあ今日が最後?
「そ、そういうのって……やっぱり長期間学校お休みして行くんだよね……?」
 そろそろと訊くと、我牙丸はこくりと頷く。
「期間は未定らしいけど、最悪数ヶ月帰ってこない」
 その言葉に、頭が真っ白になった。
 ――数ヶ月?
(じゃ、じゃあ……最悪、吟くんにはもう会えない?)
 卒業式まで三ヶ月。そういう可能性もゼロじゃない。
 我牙丸がサッカーを頑張っていたのは知っている。ときどき応援にだって行った。
 その頑張りが認められるのは嬉しいけれど、あまりに急に目の前に別れを突きつけられてショックが大きい。
 だって、きっとこんなに思っているのは自分だけだ。卒業後は同じ高校という接点がなくなった依織と、我牙丸が仲良くしてくれるか分からない。むしろ疎遠になる気しかしない。
 我牙丸は、人への執着が薄く、依織がいなくても生きていける人だから。
「依織? どうした……?」
 背中を丸めて、我牙丸が依織を窺う。
「あ、ううん。ちょっと淋しいなって思っただけ……吟くんとしばらく学校で会えないんだなって」
「連絡はする。あんま一人で色んなところうろつくなよ」
 ポンと大きな手が依織の頭に置かれる。
 ひょろくて一見弱そうに見えるからか、依織は一人で外に出ると度々色んな男性から声をかけられる。
 そういったときに、にゅっと男たちの頭上から現れて撃退してくれるのが我牙丸だった。
 多分、そのことを心配しているのだと思う。優しい人だから、依織がカツアゲとかに合わないようにと思ってくれているのだ。
「吟くんも、サッカー頑張ってね! 応援してるから!」
「おう」
 いつもの分かれ道になって、手を振ってそれぞれ歩き出す。数歩のところで依織は立ち止まり、我牙丸の背中をみつめた。
(もう会えないかも知れない……これが、最後かも)
 ずっと考えていたことがある。高校が終わったら、きっと接点のない我牙丸との関係は終わってしまう。
 それなら、卒業式の日――最後の日ぐらいは、想いを告げても許されるんじゃないかって。
 もしかしたら今日が最後かも知れない。
 そう思うと、依織は駆け出していた。
「ぎ、吟くん!」
「ん?」
 バタバタと駆け寄る依織に、我牙丸は不思議そうに目を向ける。
「どうした、急、に」
 鞄を落とし、自由になった両腕を彼の首に回す。そのまま顔を引き寄せて、唇の端にキスをした。端っこなのは、直前に少し怖じ気づいたのだ。
 いつもの丸い瞳が、さらに大きく見開かれている。
(驚いてる……どうしよう、嫌われたかも)
 じわりと涙が浮かぶ。
「ご、ごめん吟くん……でも、最後かもって思って、それで俺……おれ、吟くんが好きで……それだけ知ってて欲しくて……ごめんね」
 言い逃げみたいに謝罪を繰り返し、呆けた顔の彼が正気に戻る前に依織は鞄を拾って駆け出した。
 我牙丸は、追ってこなかった。
 冷たい空気が頬を撫でて体温を奪っていく。下瞼に盛り上がった涙が、瞬きと一緒に弾けた。
(言っちゃった。言っちゃった……)
 終わってしまった。きっともう依織と仲良くなんてしてくれないだろう。
 初めて恋をして、そして失恋した。
 悲しくって悲しくって、依織は帰ってからも自室に籠もって泣き濡れた。


 我牙丸が日が暮れるまで道路で放心しているなんて知らず……そしてブルーロックに入った後は、スマホを没収されていたとも知らずに連絡が来ないからと完全に縁が切れたと思っていた依織は、テレビでU20代表戦をテレビ越しに観戦し、やっぱり好きだなと実感した数日後――。
 まさか我牙丸が訊ねてくるとは知らずに暢気に失恋傷心期間を過ごしていた。

▼アディショナルタイム
 
(みんなで恋バナしようぜ!)
(また今村がなんか言い出したぞ)
(……おれ、ここに直前に告白されてキスされたんだけど)
((ハアッ!?))
(んでんで? お前はなんて答えたんだよ!)
(いや、呆けてる間に走って逃げられた。なんか泣いてたし……心配だ……)
(無意識で振ったんじゃねーの?)
(そんなことはないはず……)
(キスされて急に好きだって言われたのか?)
(口の端っこにキスされて、ごめんて謝りながら好きだって知ってて欲しかったって……)
(健気な子じゃねーか!)
(うわーー! なんで我牙丸なんだよ!! 俺が幸せにしてー!)
(写真ねえの?)
(スマホにならある)
(没収されてるから意味ねえー!)
(どんな女の子なんだよ! 羨ましい! 可愛いか!?)
(女? 依織は男だ)
((男かよ!!!))

 男だって分かってその時は早々に恋バナは解散になった(潔とか一部は相談聞いてくれる)けど、このあと、休暇期間に入るときに戻ってきたスマホで写真を見たブルロ勢が「美人じゃねーか!」「やっぱ羨ましい!」って手のひら返して我牙丸に集う。

 入獄以前の我牙丸は無自覚で、監獄中に潔とか筆頭に相談乗ってもらって自覚するし、絶対逃がさない。
 学校の生徒からしたら、逆に付き合ってないっていうと驚かれる未来がある。(周囲の認識:夫婦)